
<西武9-4楽天>◇9日◇ベルーナドーム
「8・9」は特別な1日だ。西武の隅田知一郎投手(25)が、8回途中2失点で自己最多タイの今季9勝目を挙げた。長崎県出身の左腕は、長崎市街地に原爆が投下されてから80年目のこの日、強い思いでマウンドへ向かい、勇敢に投げ込んだ。23年の「8・9」にもプロ初完封し、その2年後。プロ野球選手としてさらにたくましくなり、1人の大人として平和への願いを口にした。
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隅田は自分の力で、堂々と、平和への願いを伝える場を勝ち取った。試合後のヒーローインタビュー。お立ち台で、マイクを手にして言った。
「今日は長崎県民だけじゃなくて日本の皆さんの特別な日だと思うので。日頃から、ご飯食べるのも寝ることも、平和に過ごせることに感謝して、今日1日、平和について考えてみてください」
8月9日は地元長崎の「県民祈りの日」だ。80年前のこの日午前11時2分、長崎市街地に原爆が投下された。今もなお、長崎県内の小中学校では8月9日が夏休みの登校日だ。学ぶための日。隅田少年も当時、直視さえ苦しい資料を見た。「原爆の映像もありました。その後に全員、感想文を書くんです。子どもながらに見て思ったことを考えて書く作業なので、自然と勝手に戦争のことが脳裏に焼き付いて」。
身の回りにも戦後に体を痛め、苦しむ人がいた。平和の尊さは十分に学んだ。でも、大人になった今、語り継ぐことが決して簡単でないことも知る。前日8日、記者に突然切り出した。
「実は明日、どうしようか迷ってるんです」
マウンドへ向かう登場曲を変えようか迷っていた。“平和と命”が隠れメッセージとなる女性歌手の名曲だ。当然、対極にあるものを想起させる歌だ。「戦争を口にするのって、難しいですよね。いろいろな、思ってもいない捉え方をされたりもするので」。
迷って結局、いつも通りの登場曲でマウンドへ。8回2死から乱れ、2年ぶりの「8・9完封」はならず。「余力がある中でマウンドを降りてしまったのは本当に悔しいですね」と話したものの、立派にやり抜いた。お立ち台では「8・9」に多くを語らず「深く言い過ぎても、ってところはあるので」と機微の扱いも大人だ。「ベルーナドームは暑いですけど、応援もすごく熱いので、選手は力になります」と明るく締めた。【金子真仁】
◆隅田知一郎(すみだ・ちひろ)1999年(平11)8月20日、長崎県大村市生まれ。小学2年から野球を始める。西大村中時代は軟式野球部所属。波佐見では3年夏に甲子園出場も1回戦敗退。卒業後は西日本工大に進学し、1年春からリーグ戦に登板。4年春にMVPとベストナイン。21年ドラフト1位で西武入団。22年3月26日のオリックス戦でプロ初登板。23年アジアCS、24年プレミア12で日本代表入り。今季は17試合で9勝6敗、防御率2・09。通算成績は81試合で28勝36敗、防御率2・93。177センチ、81キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸9000万円。