starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

イチロー氏、米殿堂入りでユーモアにあふれたスピーチ「フーターズの衣装はもう2度と必要ない」


米国野球殿堂入りした、左からビリー・ワグナー氏、イチロー氏、CC・サバシア氏が記念撮影をする(AP)

イチロー氏(51=マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)が、米野球殿堂入りに際し、ニューヨーク州クーパーズタウンでスピーチを行った。ジョークとユーモアにあふれたスピーチは米メディアにも好評で、アジア人初の栄誉を彩った。

今から27年前の1998年。社会人2年目だった私は仕事とは関係なく、休暇を取って1人の野球ファンとして初めてクーパーズタウンを訪れた。当時の状況を考えると、今回の殿堂入りは信じ難いものがある。

クーパーズタウンを訪れたのは、98年の9月。ニューヨークの中心街からバスに揺られて6時間。人口2000人という田舎町だった。

殿堂博物館は、街で唯一のランドマークだ。中に入ると、真っ先に目についたのは、この年70本塁打を打ったマーク・マグワイア(カージナルス)と66本塁打だったサミー・ソーサ(カブス)の展示。この2人の本塁打王争いに、全米が熱狂した年だった。2人が後に薬物使用を告白し、まさか殿堂入りを逃すとは、夢にも思っていなかった。

他には「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズがコース別にヒット数を示した展示などに目を奪われていた。日本人関連の展示は、95年にドジャースで新人王を獲得していた野茂英雄投手のものがあった。だが、鮮烈なデビューら3年ほど経過しており、それほど目立つ展示とはなっていなかった

日本といえば、むしろ「極東の日本にもプロ野球がある」という紹介がされていた。

王貞治内野手の本塁打、福本豊外野手の盗塁、衣笠祥雄内野手の連続試合出場といった世界記録。阪急山森雅史外野手によるフェンスに金網のよじのぼって捕球した写真もあった。だが、コーナーの展示としては微々たるもの。01年のイチロー登場前、米国で日本野球への関心とは、それほど大きいものではなかったのだろう。

イチローの登場は、米国の野球ファンに衝撃を与えたはずだ。本塁打数の競争が何より注目されていた時代に、スピードとテクニックを武器に対抗。打率3割5分、242安打、56盗塁で新人王とMVP、首位打者、最多安打、盗塁王を獲得した。

同じ01年デビューのCC・サバシア氏が「2001年の(自分が受賞するはずだった)新人王を奪ったイチロー」と冗談交じりに紹介したのも、無理がない。誰だって17勝を挙げれば、新人王が確実だと思うだろう。

しかもイチローの活躍は一過性ではなく、10年連続で200安打を放った。04年には262安打というシーズン最多記録まで樹立した。守備でも10年連続ゴールドグラブは、外野手では史上最長タイだ。16年連続2桁盗塁は10人目だった。殿堂入りには、積み上げた記録がものをいう。イチロー氏がスピーチで言った「3000安打、ゴールドグラブ10回、10年連続の200安打。悪くないでしょう?」のジョークは米メディアでは大きく取り上げられており、最高にクールという評価を得ている。

イチロー氏のスピーチは、随所にユーモアとジョークがちりばめられていた。私が面白いと思った部分を書き留めておく。

(1)私は今51歳です。新人いじりはお手柔らかに。(恒例の新人いじりとして選手時代に着た)フーターズ(女性店員がセクシーな衣装で接客する飲食店)の衣装は、もう2度と必要ないです。

【参考】01年9月2日、イチローは私服を隠され、人気レストラン「フーターズ」の白いTシャツとオレンジ色のホットパンツでボルティモアからシアトルに移動した。

(2)人はよく3000安打、10度のゴールドグラブ賞、10年連続の200安打で私を測ります。悪くないでしょう? でも正直、野球がなければ、みんな僕のことをこう言うでしょう。「コイツ、ただのバカ(dumbass)だな」と。

(3)3000安打や262安打は、記者が認めてくれた数字です。まあ、1人を除いてですけど。ところで、その記者を僕の自宅に招いて食事をするという話は、もう期限切れになりました。

【参考】2月に殿堂入りが満票に1票足りずに決まった際、唯一投票しなかった記者に向けて「本当に自宅に招待したい。酒飲みたい。なんだったら僕料理作りますよ。いつまでを有効期限とするかな」と話していた。

(4)毎年、春季キャンプに合流する時には、私の肩は出来上がっていました。マリナーズのアナウンサーのリック・リズが「すごい(Holy smokes)! イチローのレーザービームだ!」と叫ぶのを待っていた。

【参考】01年4月11日、敵地でのアスレチックス戦。8回1死一塁から右翼への安打を捕球。三塁を狙った一塁走者を確認すると、力強い正確なノーバウンド送球で三塁補殺した。シアトル向けの中継ラジオで実況のリック・リズ氏が「すごい。イチローからレーザービームのストライク送球が三塁手のデービッド・ベルへ」と叫んだ。ESPNを通じて全米へ流された。

(5)ニューヨーク・ヤンキースの皆さま(来てくれて)ありがとうございます。皆さんは本日、CC(サバシア氏)のために来ていることは分かっています。でも、それでOKです。彼は皆さんの愛を受けるのに値しますから。

【参考】イチローとサバシアは12年途中から14年までヤンキースで同僚だった。サバシアはヤンキースの帽子で殿堂の盾に描かれている。

(6)マイアミ・マーリンズの皆さま、ありがとうございます。デビット・サンプソン、マイク・ヒル、今日は来てくれてありがとうございます。正直、2015年に契約の話をもらうまで、あなたたちのチームのことは聞いた事がなかった。

【参考】マーリンズは97、03年にワールドシリーズに優勝したが、その後は低迷を続けていた。14年の観客動員数はア・リーグ最下位の173万人だった。

(7)私にとってビジネスを超えた代理人だったトニー・アナスタシオさんは、この瞬間を見る前にお亡くなりになりました。アメリカへ連れて来てくれて、ワインの楽しみ方を教えてくれました。

(8)私は安定した選手を目指していました。彼女(妻弓子さん)は最も安定したチームメートでした。引退した直後、私と弓子は夜にデートしました。選手時代に絶対にできなかったこと。2人でスタンドに座って、マリナーズの試合を楽しみました。アメリカ流で、ホットドッグを食べながら。【斎藤直樹】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「斎藤直樹のメジャーよもやま話」)

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2025
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.