
NHKは8日、3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の生涯を振り返ったNHKスペシャル「さよならミスタープロ野球」を放送した。
「ON砲」として巨人黄金期を築いた盟友のソフトバンク王貞治球団会長(85)、元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの愛弟子松井秀喜氏(50)など関係者の証言がVTRで紹介された。
09年に独占取材が行われた同番組内では、長嶋さんの紆余(うよ)曲折あった引退後の人生がクローズアップされた。
現役引退翌年の75年に巨人監督に就任。すぐには思い通りに行かず、1年目を球団初の最下位で終えた。一度も日本一を経験しないまま6年間の任期を終えた。「野球っていうものはやるほうと見れば大変な野球だと。選手の方がいいなとしょっちゅう感じましたよ」。背番号「90」の監督はグラウンドからしばらく姿を消すこととなった。
93年にはサッカーのJリーグが誕生。一大ブームが巻き起こり、野球人気に陰りが見え始めた。バブル経済も崩壊し、日本経済は長い低迷期に突入。そんな中、12年の時を経て長嶋さんは2度目の巨人監督に復帰した。「そのころはサッカーがね、だんだん力をつけて。野球よりもむしろサッカーが上だと。その都度野球はどうするって思っていて。野球もね、もう1回やってみるということを思って」と就任要請を受けた背景の心境を振り返った。
そして92年のドラフト会議で運命的な出会いが訪れる。当時の高校屈指のスラッガー星稜(石川)の松井秀喜を4球団競合で引き当て、長嶋さんは松井氏を巨人軍の新たなスーパースターに育て上げることを目指した。
当時の「上体がいま上がっちゃってるよ。上体の力を抜いてここに(腹)にウエートを置いて」と室内練習場で助言を送る映像が流れた。
さらに毎日自宅などに呼んでマンツーマンで指導。かつての自分と重ねるように、人目につかないところで特訓を行うためだった。
電気を消して素振りを行い「音の世界でやろう」と現役時代と同じ練習方法を行い、経験してきたすべてを伝授した。独特の世界観を「(松井氏は)分かっていました」と長嶋さんは振り返った。
一方で松井氏は「全然わかんないですよ」と笑顔で当時を回顧。暗闇練習を始めたばかりの頃は「まず自分で音で聞き分けられないですから。良いか悪いか判断できないですよ」と全部同じ音に聞こえたという。長嶋さんは「ダメ、音が割れている」などと問題点を指摘。松井氏は「本当にわかるの監督」と思いながらも必死に食らいついていった。
すると2~3年後、変化が起きた。「この感じで振ったらその音が出るんだみたいなっていうのは自分の体でも耳でも少しずつわかってくる」と徐々に暗闇練習の効果を感じたという。
20歳前後の若手時代からプロ野球選手、巨人の中心選手としてのあるべき姿を長嶋さんから徹底して教え込まれた。オープン戦でも「巨人の中心選手は休んじゃだめなんだよ。お客さんはその選手を見に来るんだ。だからそのお客さんをがっかりさせちゃダメだ。ちょっと痛いかゆいで休んじゃダメだよ」と言われた。以降は「多少なことはあっても絶対休まない」と改めて気が引き締まったという。常々「お客さんあってのプロ野球選手」「お客さんあっての松井秀喜なんだ」とファンへの感謝を絶対に忘れないようにたたきこまれたと当時を振り返った。