
昨年の全日本大学サッカー選手権(インカレ)と、総理大臣杯でダブル準優勝した新潟医療福祉大の練習に、今月で40代に突入する新潟担当記者が潜入取材した。
14年から同大を率いる佐熊裕和監督(61)は、神奈川・桐光学園高時代を含め80人以上のプロ選手を輩出。5月24日の天皇杯1回戦は延長戦でJ3奈良に敗れたが、Jクラブを追い詰めた。勝利と育成を両立させる秘訣(ひけつ)を探った。
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佐熊監督から「今度、練習参加してみなよ」というありがたいオファーを受け、おこがましくも潜入取材させてもらったが、オフ明けの3日は下山コーチ(同大大学院2年)が主導する「魔」のフィジカルデーだった。高校時代まで攻撃的MFだっただけに、わずかな自信はあったが…
冒頭はコートの縦105メートル+ゴールエリアとペナルティーエリアを使ったダッシュ…から45秒でスタート地点までジョギングで戻る計1分30秒×6本の素走り。本数を重ねるごとに選手の息づかいは荒くなるが、誰も脱落せずに走り続ける姿に驚愕(きょうがく)。ただただ、すごい。
その後は最大心拍の状態でボールを扱うメニューに突入。「ワンチャン抜ける」と臨んだ縦10×横7メートルの中で行われた1対1のバトルでは、ドリブルを仕掛けようとしても進行方向すら向けず、守備では腰を落として対応も距離を取ればスピードとパワーで振り切られ、足幅を広く取れば股抜きされるテクニックを見せつけられたりと完敗だった。
ゴールを使ったハーフコートでの3対3とフルピッチでの5対5(各4分×4セット)では攻撃方向にフリーマンを1人ずつ立たせ、パス&ゴーで矢のように飛び出してフィニッシュに持ち込む。「出場限定1分」で臨んだ記者は左足ダイレクトパスでゴールに関与するも、輝き? はこのワンプレーのみ。「1分、こんなに長かったっけ…」。激しい寄せにシュートは打てなかった。
走れる、跳べる、ぶつかっても倒れない体をベースに技術、戦術理解を持ち合わせていないといけない。佐熊監督は「疲れる中でボールを扱い得点する。失点しない。日々の練習からその1本にどれだけこだわれるか、だよね」。
サッカーはミスが付きもので、極めて心が折れやすい理不尽なスポーツでもある。酒井コーチと野崎コーチは「ボールにさわる時間が少ない中で1歩、1本をサボれば勝敗に直結する。極限状態で仲間のミスをカバーし合えないと勝てない」。この日も前向きな言葉で鼓舞。選手たちは歯を食いしばりながらも声をかけ合って限界突破していた。
昨年度の大学公式戦はわずか、2敗。だが、その黒星はインカレと総理大臣杯の決勝だった。チームは全国ファイナルでの勝利を渇望している。佐熊監督は「日々の取り組みが試合に出る。昨日の自分を今日、どれだけ越えられるか」と選手に投げかけていた。練習後、記者に向かい「8月はゲーム参加ね」。フィジカル編-完。【小林忠】
○…天皇杯1回戦の後半に同点ゴールを決めたMF武原幸之介(帝京長岡出)はチームで1、2を争う体力自慢。それでもフィジカルデーは「前日からつらい…」と苦笑いする。ポジションはボランチ。守備ではカバーに走り、機をみた飛び出しで攻撃に厚みを出さなければならない。「きついメニューだけど、そこで踏ん張れるチームが強い。4年生としていい雰囲気作りを心がけています」。この日も笑顔と前向きな言葉で仲間を鼓舞していた。
◆練習参加後記
初の大学日本一とプロ入りを目指し、全国から集まる有望選手たちは強い、速い、うまい。体をぶつけられて転倒、痛い!強い理由がわかった。そしてプロで活躍する同年代のJ1新潟DF千葉選手、WE新潟MF川澄選手、MF上尾野辺選手のすごさに、改めて気づいた。選手にケガをさせない、そして生きて帰るという目的は達成した。
◆小林忠(こばやし・ただし)1985年(昭60)6月26日生まれ、新潟県阿賀野市出身。小2年で水原サッカー少年団に入団。北越高2年時に全国選手権16強入りを経験。ケガと不整脈を理由にサッカーと距離を置き、高校卒業後は保育の道へ。専門学校を経てこども園で13年勤務した後、日刊スポーツに入社。20年からJ1新潟担当。憧れは同じ左利きの元日本代表MF中村俊輔さん。
◆新潟医療福祉大サッカー部 2005年創部。24年4月に専用グラウンドが新設。トップチームは北信越大学リーグ1部8連覇中。22年から無敗を継続中で、22、24年は全勝優勝。2軍の新潟医療福祉大学FCは北信越フットボールリーグ1部所属。3軍のNUHW FCは同2部。4軍の島見FCは新潟県社会人サッカーリーグ1部で活動。部員160人。