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【阪神】岡田彰布氏が体調不良で7分弔辞「監督、声、出ないんです」/吉田義男さんお別れの会


2023年3月25日、大阪市内で日本一監督として知られる吉田義男さんのお別れの会が行われ、岡田彰布阪神オーナー付顧問が弔辞を述べた。吉田さんは阪神タイガースを1985年に球団初の日本一に導いた名監督であった。岡田氏は吉田さんとの出会いや指導を受けたエピソードを語り、特に1985年のリーグ優勝と日本一達成の思い出を共有した。また、岡田氏は吉田イズムの重要性を強調し、それを若い世代に継承していく決意を表明した。吉田さんへの感謝と敬意を示し、安らかな眠りを祈った。

吉田義男さんお別れの会の開場前でお別れの言葉を述べた岡田阪神オーナー付顧問(撮影・宮崎幸一)

2月3日に91歳で亡くなった阪神初の日本一監督・吉田義男さんの「お別れの会」が25日、大阪市内で行われた。

85年日本一達成時の主力選手で、23年に監督として38年ぶりの日本シリーズ制覇に導いた阪神岡田彰布オーナー付顧問(67)が約7分間、弔辞を読み上げた。

内容は以下の通り。

監督、大事な時に声、出ないんです。体調を壊して、本当、たくさん語りたかったんですけど、ちょっと聞きづらいかも知れないですけど、監督、聞いてください。また一緒にゴルフや食事に行けると思ったのにこのたびの突然の訃報が今なお信じられません。悲しく寂しい思いでいっぱいです。

私が初めて吉田さんと同じチームになったのは、2度目の監督に復帰された1985年のシーズンでした。シーズンオフに吉田さんから『二塁いけるか?』と。外野でずっと過ごしていた自分は即答で『いけます』と返事すると、セカンドへのコンバートを即断してくれました。そのあとの高知・安芸でのキャンプでは、日が落ちるまで想像を絶するほどのハードなノックで鍛えられ、二遊間コンビを組んだ平田とともにディフェンスの大切さを徹底的にたたき込まれました。

野球をやっていて『守りで攻めろ』と言われたのは吉田さんが初めてでした。これらのご指導のおかげで、その年、個人としては打率、本塁打、打点ともにキャリアハイとなる成績を残すことができ、私にとってはプロ野球人生の転機となるとともに、チームとしても21年ぶりのリーグ優勝、球団創立50周年の筋目の年に初の日本一を達成することができました。

また、3度目で復帰された1998年には、現役を引退してオリックスの2軍助監督兼打撃コーチをしていた私を、阪神タイガースのファーム打撃コーチとして呼び戻していただき、今度は監督とコーチという立場で、いろいろまた野球の勉強をさせていただきました。

今年、阪神タイガースは創立90周年を迎えます。長い歴史の中で日本一を成し遂げたのはこれまで2回しかない中、吉田さんは初めて日本一を成し遂げた、当時唯一の監督です。さらに2023年、吉田さんが成し遂げて以来2度目となる日本一を私が監督として成し遂げることができたのは、当たり前のことを当たり前にやるという吉田イズムを学ばせていただいたおかげです。阪神タイガースに日本一の強さを注入してくれた吉田さんは球団一番の功労者であり、私にとってはいくら感謝しても、し尽くせない大恩人です。

1つ今でも話の食い違いがあります。巨人戦での江川からのバント談義です。『俺は絶対にバントのサインを出していない』と今でもこだわっていた吉田さん。本当はバントのサイン出ていましたよ。3球目までバントのサインでした。1ストライク2ボールになったらエンドランに変わると思っていたら、本当にエンドランのサインが出ました。案の定、レフトフライにホームラン打って、その試合勝ちましたよ。あれが最初で最後のバントのサインでした。これが本当の真実です。

伝統球団である阪神タイガースはこれからもずっとファンに愛される強いチームであり続けるためには、時代が変わっても世代が変わってもなお、吉田イズムをチームに、そして若い世代に継続し続けなければならず、それが私の果たすべき役割だと思っています。その姿をどうか暖かく見守ってください。吉田さん、本当に今までありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。令和7年3月25日 阪神タイガースオーナー付顧問 岡田彰布」

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