
<ドジャース-カブス>◇19日◇東京ドーム
ドジャース佐々木朗希投手(23)がメジャーデビューする。
大谷翔平投手(30)と名を連ね、日本の野球ファンをわかせる。彼ら2人も、開幕投手を務めるエンゼルス菊池雄星投手(33)も、スタンフォード大で本塁打を連発する佐々木麟太郎(19)も岩手県出身だ。「なぜ岩手から続々と大物が?」。メジャー関係者からも注目される謎を継続取材してきた記者が、あらためてまとめる。
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佐々木の希代の快速球は高身長が基盤になる。背が伸びた背景には「早寝」があり、佐々木自身もその効果を認めている。
00年代後半に「早寝する子は育つ」との説が岩手県の教育界で広まった。大船渡高で佐々木を指導した国保陽平監督(現盛岡一高)も「22時と23時半に成長ホルモンが出ると、教員になってから聞きました」と証言する。寝具メーカーは「早寝で幼少期に成長ホルモンが抑制されにくくなる」とも言及する。
保育士からの「子どもの背を伸ばしたいなら21時には寝かせないと」。保育士のアドバイスを実行に移したのが佐々木の母陽子。夜9時には就寝させる徹底ぶりで“成功”させた。菊地や大谷も睡眠について言及したことがある。
早寝の要因はもう一つある。県の広さだ。「四国よりも大きい」とされ、移動には長時間を要する。三陸沿岸を含め、高速道路網の整備がある程度完了となったのはここ5年のことだ。コロナ禍で最後に陽性者が確認された都道府県としても知られる。
今でも沿岸と内陸を行き来するには車で2時間近くかかる場所も多い。練習試合での移動にも時間がかかる。必然的に早起きになる。佐々木も大船渡高時代は朝5時に起きることも多かったという。
県研究の第一人者・藤井茂氏が、日刊スポーツの取材に対し「岩手は人物が出るのが1世代分遅い」と指摘したことがあった。冷たい季節風の「やませ」が凶作につながり「江戸時代あたりでも食べていくのに一生懸命な土地だったようです」。
戊辰(ぼしん)戦争の敗北で、明治や大正の第1世代はスポーツや芸術の世界に進みづらい背景もあったという。
前述の「広さ」も相まって人やもの、文化の流通も遅かった。大きなトピックが82年、東北新幹線の大宮-盛岡間での開通。少しずつ往来が活発になっていった。流れが定着した90年代に、大物選手たちの親世代が思春期を迎えている。
平成に移り、子どもたちのスポーツ環境も整う。指導者たちの世代交代も複合的に作用した。わざとストライクゾーンを広くし、打撃強化と球速強化を促した中学野球「Kボール」の取り組みも含め、新たな価値観が岩手に広まる。
「もともと奥ゆかしく、粘り強い頑張りと忍耐強さがある県民性」(藤井氏)という基盤に、未知の学びが混じり合い、一気に花開く土壌ができた。
藤井氏は「岩手は出るまではモジモジだけど、いったん出ると一気に出る」と言い切っていた。原敬、新渡戸稲造、石川啄木、金田一京助、宮沢賢治…。その流れが21世紀、野球界にも生まれている。【金子真仁】