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<吉田義男さんメモリーズ6>
「今牛若丸」の異名を取った阪神の名遊撃手で、監督として1985年(昭60)に球団初の日本一を達成した吉田義男(よしだ・よしお)さんが2月3日、91歳の生涯を閉じました。日刊スポーツは吉田さんを悼み、00年の日刊スポーツ客員評論家就任以前から30年を超える付き合いになる“吉田番”の寺尾編集委員が、知られざる素顔を明かす連載を「吉田義男さんメモリーズ」と題してお届けします。
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吉田さんの通夜・告別式に飾られた遺影は、あらかじめ候補として用意された何十枚もの写真から選ばれたものだった。「私的なもので」「ユニホーム姿がいい」「いやフォーマルなほうが」などと時間が費やされた。
テーブルに並んだ写真から選び抜かれたのは、なんともいえない笑顔の一枚だ。日刊スポーツの客員評論家として、兵庫県内のゴルフ場で行われた開幕直前の順位予想をする座談会に出席した際に本紙が撮影したものだ。
吉田さんは大変なゴルフ好きで、関西の名門「西宮カントリー倶楽部」の古くからのメンバーだった。元気なときは週に1、2回はラウンドに出た。同じ年格好の仲間と朝一番でパッと回って、さっと引き揚げた。
ゴルフの打ち方は、現役時代のバッティングに似ていたようだ。バットのヘッドが後ろに入らない、外に向けた打撃フォームがしみついていた。ゴルフでも同じような打ち方をした。
ゴルフであっても悔しがることを隠さない。短いパットを外すと、クラブをたたきつけるようなしぐさをみせた。勝負ごとになると血が騒ぐのか、負けず嫌いの性格はゴルフをしていても顔を出した。
14年11月2日、当時81歳だった吉田さんは、西宮カントリー倶楽部の開場59周年記念競技で、スコア「40、41」でトータル81の“エージシュート”の快挙を達成した。
阪急、近鉄で名監督だった西本幸雄さんが、別のゴルフ場でエージシュートをしたのを伝え聞いた吉田さんは「ぼくも西本さんのようにやってみたい」という、かねてからの念願をかなえた。
数年前にグリーンで足を滑らして腰を強打した。後半はリタイアしたが「わたしはスライディングが得意でしたんや。だから手で体を支えたから頭を打たず済みましたわ」と平気をアピールした。
吉田さんとラウンドした複数関係者の話を総合すると、風呂場で見た本人の張りのある立派なふくらはぎは、とても老人の肉体とは思えないと証言する。「さすが牛若丸でした。強靱(きょうじん)な下半身はあのふくらはぎが支えているのだと思いました」。
実際、80歳代後半になっても、吉田さんはゴルフ場を軽やかに走った。そして90歳を超えてもラウンドした。ただ年々、ゴルフ仲間が減っていったのをさみしがった。ゴルフを通じての自身の会だった「大丈夫会」を最後まで大切にしていた。
吉田さんにとってゴルフは仲間との憩いの時間だったし、社交場でもあった。ときにはグリーン会談、大事な密会も行われた。ちょうど前日16日、慣れ親しんだゴルフ場から愛用のクラブが引き揚げられた。きっとまた天国でプレーに興じている。【寺尾博和】