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【阪神】雪降りしきる中、吉田義男氏との最後の別れに200人 自ら歌った「六甲おろし」で旅立ち


阪神初代日本一監督で日刊スポーツ客員評論家の吉田義男さんの葬儀が8日、西宮市内でしめやかに行われました。享年91で亡くなった吉田さんの葬儀には、家族葬にもかかわらず約200人の関係者が参加しました。出棺時には雪が降りしきる中、吉田さん自身が歌った「六甲おろし」の歌声が流され、異例の見送りが行われました。1985年の日本一メンバーや阪神OBの掛布雅之、江本孟紀らが参列し、吉田さんの功績と影響がしのばれました。吉田さんは3度にわたり阪神の監督を務め、ファンを魅了した守備で「今牛若丸」と称されました。最後の別れを見守った娘たちは、父の偉大さを実感したと語り、かつて吉田さんが元気に歌い上げた音源が流れる中、しめやかに葬送が進められました。

吉田義男さんの祭壇(撮影・前田充)

3日に死去した阪神初代日本一監督、吉田義男氏(享年91=日刊スポーツ客員評論家)の葬儀・告別式が8日、西宮市内の「エテルノ西宮」でしめやかに営まれた。家族葬にもかかわらず約200人が参列した。雪が降りしきる中、自らが歌った「六甲おろし」で送り出される異例の旅立ちとなった。

   ◇   ◇   ◇

最後の別れが近づくと、空から雪が降ってきた。吉田さんの葬儀・告別式が、約200人の関係者が参列する中で営まれた。雪は出棺のタイミングでさらに激しくなった。

異例の形で送り出された。棺が斎場から霊きゅう車に運び出されるまでにかかったBGMは「六甲おろし」。そこから聞こえてきたのは、なんと吉田さん自身の、あの甲高い歌声ではないか。

実は23年9月18日、神戸・三宮の屋外で開催されたABCラジオ「おはようパーソナリティ小縣裕介」の公開放送で、自らマイクを握って力強く「六甲おろし」を歌っていた。

当日は気温40度を超える猛暑だったが、声高らかに歌い上げた。この日流れたのは、そのときに録音された音源。その日はイベント出演を終えると、そのままシニアのゴルフ大会に参加して優勝するほど元気だった。

「今牛若丸」といわれた華麗な守備でファンを魅了し、阪神監督に3度も就いた。7日の通夜から1985年の日本一メンバーだった教え子が続々と駆けつけた。遺影の吉田さんはうれしそうだった。「後は阪神を頼んだぞ」と語りかけているかのようだった。

今すぐゴルフに行くような服装に着替えた棺にはパインアメも入れられた。愛妻・篤子さんが故人の顔に触れた。長女智子さん、次女範子さんは「改めて父の偉大さを感じました」と口をそろえる。

最後は「六甲おろし」を歌って、自分で自分を送り出す格好となった。きっと三たび日本一を味わって歌いたかったに違いない。午後1時37分、降りしきる雪の中の出棺。阪神タイガースをこよなく愛した男が天国に旅立った。【寺尾博和】

▽阪神OB江本孟紀氏(江夏豊氏らとのトレード移籍1年目の76年に吉田監督のもと15勝)「最近思い出話をするようになってね。ここ晩年、昔話をするときにあのときは良かったなと。なんとか格好がついたと思う。体はちっちゃいけど大物でしたね。そういうところに周りのみなさんもひかれたと思う」

▽阪神掛布雅之OB会長(4番打者で85年日本一に貢献)「本当に感謝しかない。すべての野球の基本を作ってくれた方かもしれません。吉田さんが(監督)1期目は若かったので、身ぶり手ぶりで形を見せてくれた。打つ、守る、守るですね、僕の野球の土台は」

▽阪神OB中西清起氏(吉田監督時代の85年、バックスクリーン3連発後の9回に2者連発を食らった直後に登板してプロ初セーブ)「あとで聞いたけど、『よくあんなところで使いましたね』って言ったら、『俺も清水の舞台から飛び降りる思いだ』とか言われて。中畑さんに打たれたら逆3連発やから。そこで使ってくれて。こういう世界に導いてくれた大恩人だった」

◆主な球界参列者 三好一彦、竹田邦夫、南信男、秦雅夫、杉山健博、粟井一夫、安仁屋宗八、福本豊、江本孟紀、上田二朗、山田久志、福間納、掛布雅之、谷真一、中田良弘、中西清起(順不同、敬称略)

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