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【阪神】吉田義男さんは闘将だった 米国からの派遣審判にも英語で猛抗議 プロ24年目で初退場


阪神タイガースの元監督で、日本プロ野球史上初めて球団を日本一に導いた日刊スポーツの客員評論家、吉田義男氏が脳梗塞で亡くなった。吉田氏は現役時代には優れた守備で「今牛若丸」と呼ばれ、引退後は阪神監督を三度務めた。特に対巨人への対抗心を持ち続けたことで知られている。1997年5月17日には、甲子園でのヤクルト戦で派遣審判のマイク・ディミュロと対峙し、判定の遅さに抗議。審判に腹を突き24年目にして初の退場処分を受けるなど、闘争心の強い人物であった。

1997年5月17日、阪神対ヤクルト マイケル・デュミロ球審(右)に抗議する吉田義男監督

阪神タイガースの監督として85年に球団史上初の日本一を達成した日刊スポーツ客員評論家の吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分、脳梗塞で亡くなった。91歳だった。京都市出身。通夜と葬儀・告別式は家族葬で行う。現役時代は華麗なフィールディングで「今牛若丸」と称され、引退後は阪神監督を球団最多の3度歴任。打倒巨人を生涯の信念とし、阪神を愛し続けた猛虎のレジェンドが天国に旅立った。

   ◇   ◇   ◇

吉田さんは“闘将”だった。納得いかない判定には審判にたびたび抗議し、97年5月17日のヤクルト戦(甲子園)では米国3Aからの派遣審判、マイク・ディミュロ球審と対峙(たいじ)した。「Judgement slow!」。英語を使ってアウトセーフの判定が遅いと激しく訴えた。さらに通訳も帰して詰め寄り、思わず指で腹部を突いてしまった。「Get out of here!(退場)」。プロ24年目で初の退場処分を食らった。

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