阪神タイガースの監督として85年に球団史上初の日本一を達成した日刊スポーツ客員評論家の吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分、脳梗塞で亡くなった。91歳だった。京都市出身。通夜と葬儀・告別式は家族葬で行う。現役時代は華麗なフィールディングで「今牛若丸」と称され、引退後は阪神監督を球団最多の3度歴任。打倒巨人を生涯の信念とし、阪神を愛し続けた猛虎のレジェンドが天国に旅立った。
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吉田さんは“闘将”だった。納得いかない判定には審判にたびたび抗議し、97年5月17日のヤクルト戦(甲子園)では米国3Aからの派遣審判、マイク・ディミュロ球審と対峙(たいじ)した。「Judgement slow!」。英語を使ってアウトセーフの判定が遅いと激しく訴えた。さらに通訳も帰して詰め寄り、思わず指で腹部を突いてしまった。「Get out of here!(退場)」。プロ24年目で初の退場処分を食らった。