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【悼む】吉田義男さんの大胆起用、中西清起氏語る「逆3連発かという場面でね」


1985年日本シリーズで阪神を優勝に導いた吉田義男氏を偲ぶ声があがっている。リリーフ・エースの中西清起氏は、吉田監督の大胆な起用が自身のプロ野球人生に大きな影響を与えたと振り返った。吉田監督は攻撃的なディフェンスを重視し、選手に常に積極姿勢を求める采配で知られ、中西氏のストッパーとしての役割を見抜き、彼に大舞台でのチャンスを与えた。吉田氏は選手の信頼を受けて、試合中には直接声をかけて送り出すなど、確固たる指導力を発揮した。中西氏は吉田監督がいなければ自身の野球人生は語れないと感謝の念を表している。

日本シリーズ第5戦 阪神対西武 8回から登板したリリーフ・エース中西清起(右)は、2イニングを無失点に抑え、阪神・吉田義男監督の出迎えを受けながら、ウイニングボールをスタンドに投げ込む(1985年10月撮影)

85年の阪神日本一メンバーが3日に亡くなった吉田義男氏を悼んだ。胴上げ投手になった中西清起氏(62)は恩師の大胆起用を語った。

   ◇   ◇   ◇

私にとって、恩人という一言では表現できない監督だ。

1年目は惨たんたる成績でね。次の年は、85年の吉田さんの監督復帰1年目。バックスクリーン3連発の巨人戦は、9回にクロマティと原さんが本塁打を打って、逆3連発かという場面でね。中畑さんの打席で、出番を言い渡された。吉田さんは「清水の舞台から飛び降りる気持ちだった」と振り返っていたけど、使う側も度胸がいったと思う。ブルペンから緊張して、足が震えていたよ。でも3人で抑えて、プロ初セーブ。リリーバーとして生きる道を作ってくれた。「3連発というが、あそこで中西が抑えてくれなかったら、それもなかった。あれで今シーズンの戦い方が見えた」とよく言ってくれたな。

攻撃こそ最大の防御という考えの人だった。攻めて、攻めて…。ディフェンスでも攻める気持ちを絶対に忘れるな、と。直接マウンドに来る監督で、ピンチで交代かと思っていたら、「お前、最後までいくんやからな!」とよくゲキを飛ばされた。ストッパーの起用もそうだし、思い切った決断のできる監督だった。

指導者としても解説者としてもいろいろと教わった。「そろそろユニホームをきなあかん」と、球団にもプッシュしてくれたと思う。去年、イベントに一緒に出演した時には、滑舌もいいし、記憶力もいい。よく食べるから、元気だなと思っていた。今年はタイガースも90周年で、もっともっと元気な姿を見られると思っていた。プロ野球人生は、吉田さんなくして語れない。残念です。

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