プロ野球阪神タイガースを、監督として球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分に兵庫・西宮市の病院で脳梗塞のため亡くなった。91歳だった。
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吉田さん訃報のタイミングで、ひょっとして不謹慎なのかもしれないけれど、頭から離れない話を書きたい。吉田さんは“粋な人”だった…ということだ。
イチロー氏がシアトル・マリナーズでデビューする試合を吉田さんと観戦した。01年4月のことだ。「イチロー開幕戦をよっさんと見よう」というツアーを日刊スポーツ大阪本社が募ったのである。その評論記事を書くために同行した。
趣旨がそういうことなので「セーフコ・フィールド」(現Tモバイル・パーク)の記者席ではなくツアーの参加者、吉田さんとともに観客席に座った。周囲では試合前から米国のファンがドリンクを飲んだり、ホットドッグを食べたり。
すると吉田さんが「あれ、おいしそうですな。食べましょか」。こちらは「そうですね」と行って販売スタンドに出向く。そういう感じで飲み物や食べ物を数度、購入。そのたびに私がドルで支払った。
吉田さんは「おおきに」と言って受け取り、楽しそうに口にされる。それはよかったのだが、一瞬、「あれ?」と思った。年長者が買い物を頼めば出してくれると思っていたからだ。
そこで思い出したのは「おカネに細かい」という“吉田義男伝説”だった。「こういうことなのかな…?」と、正直、感じたのである。とはいえ仕事だし、自腹とはいえ、こちらは主催者側だし、そんなものかと思っていた。
ツアーが終わり、帰路の機内。吉田さんの隣に座っていろいろと話をしていた。その合間。急に「そうそう。これを」と言って封筒を渡してこられた。買い物以上の金額が日本円で中に入っていた。「これは…?」と聞くと「いろいろお願いしたし、取っといてくださいな」と笑顔。粋な人だな、失礼なことを思ったな、と反省した。
球場ではイチロー氏の初安打に触れ「打ちましたで!」と大喜びされていた。当時、私は妻を37歳の若さで亡くしたばかり。吉田さんもそのことは知っておられ「大変ですな。でも頑張ってくださいな」と励ましをいただいた。
その後、甲子園などで顔を合わせると、いつもシアトルでの話になった。吉田さんにとっても楽しい経験だったのではないか。貴重な瞬間をともに過ごせ、粋な人柄にも触れることができ、本当に光栄だった。こちらが生きている限り、いつまでも忘れない。【編集委員・高原寿夫】