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【野球殿堂】エキスパート部門に掛布雅之氏 85年バース、岡田と最強クリーンアップで日本一


阪神タイガースの元選手である掛布雅之氏(69)が、16日に野球殿堂入りを果たした。この栄誉は、1985年に阪神を日本一に導いた功績が認められたもの。掛布氏は千葉県出身で、1973年にドラフト6位で阪神に入団。以降、徹底した練習を重ね、翌年の1975年にはレギュラーポジションを確保した。1979年には48本塁打で本塁打王を獲得し、その後も1982年、1984年と本塁打王のタイトルを手にした。1985年にはチームのクリーンアップとして、40本塁打、108打点を記録し、日本一に大きく貢献した。現役を退いた後は、解説者として活躍し、阪神2軍監督や「HANSHIN LEGEND TELLER」として球団の歴史を伝える役割を担うなど、長年にわたり球団に貢献し続けた。

掛布雅之氏(2024年11月撮影)

阪神OBで、チームを1985年(昭60)日本一に導いた掛布雅之氏(69)が16日、エキスパート部門で殿堂入りを果たした。

掛布氏は1955年(昭30)5月9日生まれ、千葉県出身。

千葉・習志野2年夏に甲子園出場も1回戦で東洋大姫路に敗れた。73年秋に阪神の入団テストを受験。同年ドラフト6位で阪神入りした。

下位指名の無名選手とあり、徹底した猛練習を自らに課した。1年目の74年3月21日、太平洋(現西武)とのオープン戦に、藤田平が結婚式のため欠場。代役として8番・遊撃で東尾修から2安打し、アピールに成功した。

2年目の75年には106試合出場し、三塁の定位置を確保する。主砲の田淵幸一が西武へと去った79年には、48本塁打で初のキングに輝いた。

80年には故障がちとなり70試合出場にとどまったが、82年と84年と3度の本塁打王となった。

そして85年には、バース、岡田彰布と最強クリーンアップを形成。40本塁打、108打点、打率3割で日本一の立役者となった。

86年以降は死球をはじめ故障が続き、低迷する。88年に惜しまれながら引退となった。

現役通算1625試合、1656安打、349本塁打、1019打点、打率2割9分2厘。

引退後は野球評論家として活動したほか、16~17年には阪神2軍監督を務めた。また20年から2年間「阪神の伝説を語る人」という意味が込められた「HANSHIN LEGEND TELLER」に就任するなど、球団を支え続けた。

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