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清原和博氏、バット投げつけプロレス技お見舞いの大乱闘シーンに「おれ大変なことしちゃった」


1989年9月23日に行われた西武対ロッテの試合で、清原和博選手が死球を受けて激高し、乱闘を引き起こしたエピソードを振り返りました。死球を受けた清原氏は、怒りからバットを投げ捨て、ロッテの平沼定晴選手に飛び蹴りのようなアクションを取ったことで、両軍が入り乱れる大乱闘となりました。清原氏はこの出来事を「血気盛んな年頃」の出来事とし、当時の感情を笑いながら語っています。また乱闘の翌日、清原氏はロッテベンチと平沼選手に謝罪をし、当時の選手会長だった辻発彦氏の指示で謝罪に赴いたことも明かしています。清原氏は見せ場を反省しつつも、今では平沼氏と良好な関係を築いていることを述べました。

89年9月23日の西武対ロッテ 平沼定晴(手前)の死球に激高し飛び蹴りを見舞う清原和博

NPB通算525本塁打を放った清原和博氏(57)が3日、BSフジ「プロ野球レジェン堂」に出演し、伝説の乱闘シーンを振り返った。

清原氏はNPB歴代最多の196死球を記録。西武4年目の89年には今も語り継がれる大乱闘を起こした。

ロッテ平沼定晴氏から左肘に死球を受けると、清原氏はバットを投げ平沼へ突進。プロレス技の「ヒップアタック」をお見舞いし、両軍が入り乱れる騒ぎとなった。清原氏は「今はいい付き合いをさせて頂いてて、あのときは血気盛んな年頃でした。バット投げて平沼さんにヒップアタックして…。プロ野球史上誰もいないんじゃないですか」と笑いながら語った。

感情的なシーンにも清原氏は「着地した瞬間に我に返ったんですよ。『おれ大変なことしちゃったな』って。ロッテベンチから自分の方に向かって一斉に走ってきたので、逃げるのもかっこ悪いけど、とりあえず逃げとこうと思って」と、冷静になった瞬間を明かした。

翌日は平沼氏をはじめ、ロッテベンチに謝罪。「当時の選手会長が辻さん(発彦=元西武監督)だった。『謝りに行くぞ』ということで、『小僧!おまえなめてんのか』とかひたすら罵声を浴びるだけで。『本当にすいませんでした』みたいな」と振り返った。

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