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清原和博氏、亡き恩人の仰木彬監督へ敬意「一緒に野球するぞ」「大阪に逃げ帰るの嫌なんです」


巨人の元選手・清原和博氏が、BSフジの番組に出演しオリックスの元監督・仰木彬氏への思いを語りました。清原氏は2005年に契約を残していながら戦力外通告を受け、再契約の形で巨人に留まりましたが、その際仰木監督から熱烈な移籍オファーを受けたことが明かされました。仰木監督の強い勧誘にもかかわらず清原氏はその時点での移籍を拒否し、「つまらん意地」で巨人に留まることを選択。しかし翌年、仰木氏が亡くなり、その後清原氏はオリックスに移籍。清原氏は、仰木監督がオリックスで歓迎される道筋を作ってくれたことに感謝し、その影響の大きさを語りました。

05年5月10日、握手を交わす巨人清原(右)とオリックス仰木監督

NPB通算525本塁打を放った清原和博氏(57)が3日、BSフジ「プロ野球レジェン堂」に出演し、亡き恩人への思いを語った。

清原氏は巨人時代の04年オフ、05年まで契約が残っているにも関わらず戦力構想外が判明。結果的に残留となったが、当時オリックスの仰木彬監督から熱烈なオファーがあったという。

仰木監督から連絡が来た瞬間を振り返り「突然、携帯に知らない番号から電話がかかってきて。出たら『おうわしや!』っていう感じで。僕は『どちらさんですか?』。そしたら『ワシや!仰木や!一緒に野球するぞ』って。『仰木さん、まだジャイアンツとの契約が1年残ってて…』と返したら『そんなのかまへんから来い!』って言ってくれた」と明かした。つづけて「つまらん意地ですけど張らせてください。ここで僕、大阪に逃げ帰るの嫌なんです」と、05年は巨人でのプレーを決断した。

仰木監督は清原氏にオファーを送った翌年、監督を退きシニアアドバイザー(SA)となった直後の05年12月15日に死去。清原氏は同年オフに巨人を退団すると、仰木SA亡き後にオリックスへ入団。「それが仰木監督との最後(の会話)になってしまったんですけど…。その分オリックスに行って大歓迎してくれるような道筋を作ってくれたのは仰木監督ですね」と感謝を口にした。

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