力強く、這い上がる-。阪神湯浅京己投手(25)が独自で続けている「ボルダリングトレーニング」に潜入した。
兵庫・西宮市内のジム「OLD BUT GOLD」に今年9月から通っている。国指定の難病である「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」の手術後、リハビリも兼ねて継続。神経伝達の改善や筋力アップ、気分転換など多方面で効果は抜群だ。実際の練習を見学&体験し、取り組みへの思いを聞いた。【取材・構成=波部俊之介】
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湯浅の1歩1歩は丁寧かつ、力強かった。登る壁は決して平らではない。地面とほぼ平行に伸びたものや、大きく突き出た部分もある。「ホールド」と呼ばれるブロックも形状や大きさから、さまざまだ。時に数本の指で全身を支えながら、ゴールを目指してクライミング。落下しても笑顔を絶やさず、再び立ち上がって挑戦に向かった。
「足に神経症状が出ていたからこそというか。手術して神経症状がなくなって、もっと感覚が良くなるように。元に戻すのではなく、もっと感覚が良くなるように何ができるか考えて」
今年8月下旬に「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」の手術を受けて退院。消えていた右足の感覚や、ピリピリと感じていた肋間(ろっかん)神経痛のような違和感に良化が見られた。リハビリ期間は体にあらゆる刺激を加える「神経伝達系」を意識した練習に着手。脳から筋肉へ伝わる神経伝達を促進させることで、あらゆる動きの精度を高められるというものだ。
時にサッカーボールを使ったリフティング、時に左投げでのキャッチボール。工夫を凝らし、さまざまな体の動きを練習に組み入れた。全身を使うボルダリングも、その1つとして取り組んできた練習だった。
「まずはリハビリとして全身運動。前腕とか指の力とかを使って、プラスなことしかない。下半身の動きとか、股関節も柔らかく使わないといけない。神経伝達もだし、いろんな意味がある。野球につなげる意味でも、いいリハビリがないかなと思っていた。できることは限られていたので」
退院して間もない9月ごろ、SNSを通じて直接ジムに連絡。およそ週1回のペースで通い、常に楽しみながら練習を続けてきた。鳴尾浜などを中心に行う普段のリハビリは、自身の体と向き合い続ける孤独な日々。周囲に経験者の少ない難病であれば、なおさらだろう。異競技の出稽古は、気分転換としての意味合いも大きかった。
「楽しみながら鍛えられる。ずっと鳴尾浜とかで同じ空間にいると、しんどくなる時もあるじゃないですか。最初はリハビリだったから、気分転換を兼ねてとかもあった。それを継続して、今もやっています」
オーナーの石塚力さん(41)から時折アドバイスを受けながら、楽しんで練習。自宅では上級者の動画などを見て参考にするほどハマっている。「うまい人の動画を見たら、動物みたいな、虫みたいな動きをするんです」と笑顔だ。この日は通常であれば週3日通いで約4カ月はかかるとされる、中級者向けの中でも難しいコースに挑戦。ジムに通ったのは半分ほどの日数ながら、登り切ることに成功した。石塚さんも「相当すごいです」と驚きを隠さない。
これまでも3度の腰椎分離症を乗り越えるなど、度重なるリハビリから何度もはい上がってきた。今立ち向かう壁も、間違いなく大きく難しい。それでも、すでにブルペン投球を再開するなど順調に段階を進めてきた。食らいつき、登り続ける-。乗り越えた先には、何倍もたくましくなった姿が待っている。
湯浅の苦闘
◆聖光学院 腰痛で2年秋までマネジャー
◆骨折 プロ1年目に腰椎を疲労骨折。翌20年も公式戦登板できず。
◆悪夢 23年はWBCから帰国後、守護神として開幕。プロ初セーブなど好調だったが4月に疲労のため再調整。5月に復帰後は調子が上がらず、6月15日を最後に戦線離脱した。
◆叱責(しっせき) 今年2月の紅白戦で3連打を浴び岡田監督に「後ろ(の投手)は喜怒哀楽を出したらあかん」と厳しく責められる。その後、2軍キャンプ合流。
◆体調不良 3月から4月の約1カ月、微熱に悩まされ、右足に力が入らない症状も。2軍では25試合で防御率7・48と不調を極めた。
◆難病 「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」を患い、8月に胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化切除術を受けた。