19日に死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏(98)は、野球音痴だった。政治記者時代、当時の後楽園球場で巨人の試合をみたときに「右バッターはなんで三塁に走らないんだ。一塁より三塁の方が近いだろ」と真顔で話したという。しかし読売新聞の社長になり、巨人の経営にも携わるようになると、野球を猛勉強。特にプロ野球界の憲法「野球協約」を徹底的に読み込み、誰と議論しても負けないほどの知識を蓄えた。
93年にFA制、ドラフト自由化を推進した当時は「巨人のための改革」と言われた。確かに巨人を優勝させるためでもあっただろうが、巨人が衰退するとプロ野球界も衰退するという危機感があったのだと思う。「巨人の繁栄」と「プロ野球界への貢献」は、渡辺氏の思考ではイコールだった。
その意味では、最大の功績は長嶋茂雄氏の監督復帰を決断したことだろう。当初は「彼で大丈夫か?」と疑念を抱いていたが、Jリーグが始まり、野球人気にも陰りが出ていたことを鑑みて、長嶋氏の人気とカリスマ性に賭けた。結果は3度のリーグ優勝と2度の日本一、そして松井秀喜というスーパースターの育成で実った。
プロ野球東京地区暴力団等排除対策協議会をつくり、球場から暴力団や悪質応援団を排除したのも功績の1つ。06年の第1回WBC実現にも読売グループとして積極的に後押した。10球団1リーグ制信奉者ではあったが、「たかが選手」発言で世論の流れを変えた点では、結果的に2リーグ制維持の最大の貢献者となった。
暴言や失言も多く批判を受けることもあったが、率直な物言いで常に話題をつくった。FAで大リーグ移籍を選択肢に入れていた桑田に対し、「オレが肩代わりしている17億円の借金はどうなるんだ!」とバブル時代につくった借金の額を暴露。今ではコンプライアンス違反にもなりかねないが、結果的に野球界に注目を集め続けることにも貢献した。
「悪名は無名に勝る」。事あるごとに話していた通り、良くも悪くも、大きな足跡を野球界にも残した。【93~95年、99~01年巨人担当 沢田啓太郎】