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佐々木朗希、高校時代に語った哲学「誰かが敷いたレールだけを歩むのは」メジャー挑戦は生きざま


ロッテの佐々木朗希投手がメジャー挑戦を決意した背景には、彼の真摯な哲学がある。幼少期に東日本大震災で父を失うなど困難な経験を経て、自らの意思を大切にする生き方を貫いてきた。高校時代には自由な姿勢を象徴するスヌーピー柄の赤いタオルを常に携えていたが、プロになってからは「大人」になるためにこれを封印した。「自由に生き、自分なりの道を行きたい」という信念は、メジャーリーグという新たな挑戦への原動力となるだろう。

ロッテ佐々木朗希(2024年10月撮影)

<とっておきメモ>

ロッテは9日、佐々木朗希投手(23)のポスティングによるメジャー挑戦を容認すると発表した。

   ◇   ◇   ◇

佐々木のメジャー挑戦は彼の生きざまそのものだ。大船渡高時代に「こういう生き方はしたくない、というものは?」と尋ねた。そう口数が多くない18歳の哲学は、声色にもブレが一切ないものだった。

「与えられた、というか誰かが敷いたレールだけを歩むのは。自分の意志を大切にして生きる、というか。自分なりの生き方を生きたいなと思います」

9歳の時、東日本大震災で父らを失った。避難所生活を経て、仮設住宅に住んだ。母陽子さんは背を伸ばすための早寝方針以外は、優しかった。それでも「普通の子ども」よりは間違いなく“条件”が多い中で育った。不満を口にせず。

ロッテ入団後、外国人選手との交流を尋ねた。「自由だな~と思います」とうらやましがった。佐々木も高校では自由だった。右尻のポケットにいつも“尻尾”をぶら下げた。近所のコンビニの景品でもらったスヌーピー柄の赤いスポーツタオル。「練習の時はいつも入れています。何かと便利なので」。汗をふいたり、ストレッチに使ったり。注目を浴びる3年夏の大会でも、ブルペンでは尻尾を生やしていた。

5枚程度をカバンに入れてロッテに入寮したが、いつしか尻尾を生やさなくなった。それがプロ、それが新人選手、またはそれが大人になるということ-。誰かに指摘されたのだろう。でもアイデンティティーが失われ、世間というレールを進み始めたようで、寂しさを感じさせられた。

160キロ台を通算300球以上も投げた日本人なんていない。見慣れた物差しで測れない個性が、自由の国で舞う。17歳にしてカナダ人講師にぐいぐい切り込んだ青春の学びも、いざ本領発揮の時か。いばらもなんぞ、踏み越えて。なんならまた尻尾を生やして、愛されてほしい。【19年アマチュア野球担当、20~22年ロッテ担当=金子真仁】

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