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プロ1号、道開いた奥寺=今も続く日本人活躍の場―日本サッカー・育ての親(下)


 1977年夏、奥寺康彦は唐突なオファーに戸惑いを隠せなかった。サッカーのドイツ1部リーグ、ケルンが獲得を希望。当時25歳。家庭を持つ身でドイツ語もできない。「向こうでやれるとは思っていなかった」。不安から一度は断った。
 日本代表を率いていた二宮寛とケルンの名将バイスバイラー監督が親しかったことで、クラブの練習に参加したことがきっかけだった。ドイツ人指揮官の熱意に背中を押され、「チャレンジしてみようかなって気になった」。同年10月に3年契約を結ぶ。ドイツで最初の日本人プロサッカー選手が生まれた。
 当初は試合で味方からパスがもらえなかったが、献身性が評価されて徐々に信頼を得る。1年目に国内2冠に貢献。その後も毎年のように優勝を争ったブレーメンなどで9シーズンにわたって活躍。通算234試合出場は2017年に長谷部誠(フランクフルト)に抜かれるまで日本人最多だった。
 80年代には尾崎加寿夫が続くなど、自身が切り開いた道を多くの日本選手がたどった。今季はドイツ1部で8人がプレー。「日本人が信用されるプレーをしてくれている。やっぱりうれしい」と感慨深げ。香川真司(シントトロイデン)はドルトムントで日本人最多の41ゴールをマーク。長谷部は38歳になった今もリーグ最年長選手として存在感を示し、同僚の鎌田大地はフランクフルトの欧州リーグ制覇に大きく貢献した。
 日本人がドイツで成功できたのは「きっちり真面目にやる部分が似てたから」とみる。奧寺が海を渡る発端となった練習参加は、ドイツ連盟から資金提供を受けて実現したものだった。古くから縁のあった両国はワールドカップ(W杯)カタール大会の1次リーグ初戦でぶつかる。「スピード感で負けなければ日本は十分にやれる」。万感の思いで見守る。(敬称略)

 ◇ドイツ1部、主な日本選手の活躍
  年         出    来    事
1977年 奥寺がケルンに加入。1年目に国内2冠を経験。
  83年 尾崎がビーレフェルト入り。デビュー戦ゴール。
2006年 フランクフルトの高原が日本人初ハットトリック。
  09年 長谷部、大久保がウォルフスブルクで奧寺以来のリーグ優勝。
  11年 ドルトムントの香川がリーグ優勝に貢献。翌シーズン連覇。
      シャルケの内田が欧州CLで日本選手初の4強入り。
  14年 マインツの岡崎が通算28得点。奧寺抜きトップに。
      ハノーバーの酒井宏が主力としてチームの1部残留に貢献。
  16年 酒井高がハンブルガーSVの主将に。
  17年 香川が通算38得点目で日本人単独トップに。
      長谷部が奧寺抜く通算235試合出場。
  20年 ブレーメンの大迫が通算150試合出場達成。
      長谷部がアジア人最多309試合出場。
  21年 シュツットガルトの遠藤航がリーグ最多デュエル勝利数。
  22年 長谷部、鎌田のフランクフルトが欧州リーグ制覇。 (了)
【時事通信社】
〔写真説明〕競り合うケルンの奥寺康彦(左)=1978年5月27日、東京・国立競技場
〔写真説明〕奥寺康彦 元プロサッカー選手
〔写真説明〕欧州リーグ決勝で優勝が決まり、歓喜するフランクフルトの長谷部誠(手前中央)=18日、スペイン・セビリア(AFP時事)
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