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原点は「悲劇」、再びドーハへ=森保監督「歓喜に変える」―サッカーW杯予選


 1993年10月28日。サッカー日本代表の森保一監督(53)は、ワールドカップ(W杯)初出場を目前にしてドーハのアルアハリ競技場にいた。当時25歳。現役選手のボランチだった。  勝てば悲願がかなう94年W杯米国大会アジア最終予選のイラク戦。日本は2―1でリードして終盤を迎えた。時計の針が、後半45分を過ぎたその時―。CKを短くつながれ、そのクロスから失点。今も語られる「ドーハの悲劇」は、日本の原点とも言える。  「サッカーをする限りでは、あれ以上の悲しい思いをすることはない。全てを前向きに考えることを教えてもらった」。あの日の記憶はうつろ。だが、森保監督の胸には確かに刻まれている。忌まわしい体験は、指導者として生かされている。  運命の巡り合わせなのか、2018年夏にW杯カタール大会を目指すA代表監督に就任した。「誰かがW杯出場を与えてくれるものではない。つかみ取りにいく」「現実に起こっていることが全て。その中で最善を尽くす」  選手に壮絶な過去の体験を話すことはないが、言葉の端々から伝わる。柔和な人柄と丁寧な対話でチームをまとめ、選手からの信頼は厚い。吉田麻也主将(33)=サンプドリア=は「みこしを担ぎたい」と言う。  最終予選で苦しんでいた昨秋、「悲劇」をともに味わった三浦知良(55)=鈴鹿ポイントゲッターズ=、ラモス瑠偉さん(65)、武田修宏さん(54)と会食。熱い激励を受けた。「ドーハ組はみんな応援している。W杯出場を信じて一緒に戦う。思い切って仕事をしてくれ」。「戦友」とは固い絆で結ばれている。  30年近くを経てドーハの地へ戻る。日本はW杯でベスト16の壁にはね返されること3度。カタール大会で目指すのは、ベスト8以上の最高成績だ。  「世界の人たちに日本のサッカーが成長したと思ってもらい、日本の人たちには日本のサッカーに誇りを持ってもらえるような結果を出したい」と語り、「『ドーハの歓喜』に変えられるように選手、スタッフと一丸で戦う」と誓った。日本サッカーの歴史を塗り替える。 (シドニー時事) 【時事通信社】 〔写真説明〕W杯出場を決め、喜ぶ森保監督=24日、シドニー
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