
長崎県の雲仙・普賢岳の噴火活動でできた「平成新山」について、一般登山解禁に向けた動きが出ている。立ち入りを規制する「警戒区域」指定のきっかけとなった、1991年の大火砕流から6月3日で34年。できたばかりの山を間近で観察できる世界的に希少な場所として観光需要を喚起したり、火山災害の記憶を継承したりすることへの期待が集まるが、安全面など検討すべき課題は多い。
「噴火の可能性は低い」
「災害からの時間が経過している。貴重な観光資源で、交流人口増加にもつながり、(一般登山は)検討に値すると考える」
長崎県雲仙市で4月にあった島原半島ジオパーク協議会の総会で、会長の古川隆三郎・島原市長はこう問題提起した。出席者によると、メンバーから「噴火の可能性は低い」「平成新山の活用が保全や教育面から有意義だ」などと肯定的な意見が出たという。
平成新山は90年11月に普賢岳が198年ぶりに噴火し、出現した溶岩ドームが冷え固まった山だ。91年5月に初めて溶岩ドームができて以来、13のドームが誕生し、崩落に伴い火砕流がたびたび発生。91年6月3日の大火砕流では、地元消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となった。
山が形成される過程が観測
噴火活動が終息後の96年に平成新山と命名。標高は1483メートルで、普賢岳の1359メートルを抜いて雲仙山系の最高峰となった。山が形成される経緯が観察された数少ない事例として、2004年に国の天然記念物に指定され、09年に認定された世界ジオパーク「島原半島ジオパーク」の主要な構成要素となっている。
大火砕流を受けて島原市など周辺自治体は周辺を災害対策基本法に基づく警戒区域に指定し、一般の立ち入りを罰則付きで厳しく規制。火山の活動が落ち着いた現在も、溶岩ドームが崩壊する恐れから平成新山を中心に東側の半径2キロなどへの立ち入りを制限している。許可を得て入山できるのは、溶岩ドームの現状を調べる年2回の防災登山など限られた機会だけだ。
07年から運用が始まった噴火警戒レベルでは、雲仙岳はもっとも低いレベル1(活火山であることに留意)が続く。
雲仙・普賢岳に密着して観測を続ける「ホームドクター」で九州大地震火山観測研究センターの松島健教授は「マグマだまりがある島原半島西側の橘湾で大きな地震は発生しておらずマグマは動いていないとみられ、マグマ噴火はしばらくないと考えている。(14年に死者・行方不明者63人を出した長野、岐阜の県境にある)御嶽山であったような、水蒸気がたまって一気に噴出する水蒸気噴火はいつ発生するか分からないので注意が必要だが、可能性は低いのではないか」と話す。
火山災害継承にも期待
国土交通省雲仙砂防管理センターによると、1億立方メートル(みずほペイペイドーム57杯分)に上ると推定される溶岩ドームは今も年3・2センチずつ島原市側にずり落ちている。歳月を経てずり落ちる幅は小さくなっており、松島教授は「すぐに崩落する状況ではないが、地震などで崩れる恐れはある」と指摘する。
周辺環境や景観への影響を最小限にすることも求められる。環境省雲仙自然保護官事務所の日比野晃裕・自然保護官(34)は「今は岩だらけだが、いずれ植物が生えるなど遷移の過程を大事にしなければならない」と訴える。
古川市長は5月30日の記者会見で、警戒区域全体の指定解除については依然危険性が残るとして消極姿勢を示したものの、防災登山のルートにもなっている平成新山西側の警戒区域の一部での一般登山の可能性を示唆。登山ルートが整備されておらず足場が不安定であることや、噴火時に備えたシェルター整備などの検討課題を指摘した上で、「(警戒区域を指定している島原、雲仙、南島原の)半島3市で深掘りしたい」と強調した。雲仙市の金沢秀三郎市長も5月26日の記者会見で「協議の経過を見守りたい」と述べた。
一方、火山災害の記憶の継承にも期待が集まる。雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長(75)は「火山を本当に理解してもらうためにはやはり現物を見ることが必要になる。登山の知識がある人にガイドしてもらうなどして安全性を確保しながら、ルールを決めた上で行えば意義のあることだ」と歓迎する。【山口響、松尾雅也】
登山ルポ「不安定な岩場にすくむ足」
長崎県の雲仙・普賢岳の噴火で生まれた「平成新山」(標高1483メートル)の状況を調査する防災登山が5月12日実施され、火山学者や自治体関係者、毎日新聞を含むメディア記者ら約90人が参加した。
普賢岳の南西に位置し、登山口となる仁田峠(標高1079メートル)から登山道を通って約2時間、立ち入りが制限される「警戒区域」に入った。「立ち入り禁止」を示す木の柵をくぐると、それまでの新緑の草木であふれた景色から一変。人よりも大きなものも含む岩石が不安定な状態で積み重なる地帯に入った。
「崩落すると危ないため、垂直に登らず、斜めに横断します」。九州大地震火山観測研究センターの松島健教授のかけ声とともに、参加者は全員ヘルメットを着け岩につかまり足場を確認しながら慎重に山頂を目指した。整備された登山道はなく、岩に付けられた登山ルートを示す目印を頼りに進む。途中、足場の岩がぐらついたり、岩と岩の間に深い穴が開いていたりし、足がすくんだ。
警戒区域に入って約1時間、噴気が上がる山頂付近に到着した。研究者らが噴気の温度を測ると約91度。噴火活動が終息した1995年ごろは700~800度だったが、2011年までに100度程度に下がり、以降は90度前後で推移している。同行した長崎地方気象台の職員は「特段の変化はなく、静穏に経過している」と現状を説明した。【尾形有菜】