吉田拓郎さんや南こうせつさんら著名音楽家に多くの詞を提供した岡本おさみさん(1942~2015年)の功績を伝える音楽記念碑が命日の11月30日、出身地・鳥取県米子市の市公会堂広場に完成した。岡本さんが作詞で最も大切にした「日々の暮らしを唄(うた)う」の言葉が記され、式典に駆けつけた全国のファンは詞の心が次世代につながることを願った。
旅を住みかとした岡本さんは片隅で生きる人々に心を注ぎ、拓郎さんの「旅の宿」や日本レコード大賞を受賞した森進一さんの「襟裳岬(えりもみさき)」、こうせつさんの「私の詩(うた)」など400超の作品を残した。時代を超える詞を残しながらも地元であまり知られていないことから、市民が昨年4月、「岡本おさみさんを語る会」を結成。記念碑建設や若者の創作活動の支援、岡本さんの作品を歌うコンサートの開催などを活動方針とした。
記念碑の建設費は約2カ月半かけてクラウドファンディングと市民の寄付金で集め、目標を上回る460万円が寄せられた。米子市の音楽の殿堂となる市公会堂での建設を市に求め、場所の無償貸与を快諾してもらった。記念碑には岡本さんの代表曲「旅の宿」や故郷への思いをつづった「山河、今は遠く」の歌詞と、クラウドファンディングで協力した350人の名前が記されている。
記念碑完成を受け、拓郎さんからお祝いメッセージが寄せられ、語る会の長谷川泰二会長(78)が披露した。長谷川会長は時折、感激で声を詰まらせながら「岡本氏と僕の無言の共通テーマは『逢(あ)いたい』でした。そういう『逢いたい』を心に持っている人にとって、『その地』は永遠なのではないでしょうか」と締めくくった吉田さんのメッセージを読み上げた。
記念碑の資金集めでは全国200超のフォーク酒場が呼びかけに協力した。札幌市で「居酒屋 拓郎」を営む小林祐嗣さん(64)は「店は週末のかきいれ時だが、『何がなんでも行かないと』と思った」とアコースティックギター1本とハーモニカを手に駆けつけ、「旅の宿」を来場者と一緒に歌った。式典には東京に住む岡本さんの長男邦彦さん(54)も出席した。長谷川会長は「たくさんの人に米子を訪れてほしい。僕らは、岡本さんが生まれた米子を語り継いでいきたい。若い人には音楽活動をどんどんしてほしい」と記念碑完成への思いを語った。【阿部浩之】
吉田拓郎さんのお祝いメッセージ全文
人間が人生をそれなりに生きていく中で
とある瞬間に、自分が生まれ育った地に想いをはせるのは
とても自然な行為だと思います
僕の音楽人生は東京と言う大都会での50数年に及びます
人と人との愛を歌にする時の題材は、この大都会に無数に散らばっております
しかしながら、自分個人というスタンスでの、例えば青春編を描こうとする時
いつの間にか僕の魂は生まれた鹿児島や育ててくれた広島の情景へと向かいます
郷土愛というほどの熱情ではないのですが
「ふるさとの吐息」のような空気感に包まれながら
「詞を書く」という動作に没入していくのです
岡本おさみ氏も、きっと色々な旅を続けながら
この地の記憶に想いをはせてペンを走らせていたと確信いたします
岡本氏と僕の無言の共通テーマは「逢いたい」でした
そういう「逢いたい」を心に持っている人にとって
「その地」は永遠なのではないでしょうか
2024年秋 吉田拓郎