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柏木由紀子、坂本九さんの“遺言”支えに「事故を風化させない」日航機墜落40年の思い語る


25年4月「YUKIKO STYLE」の出版記念会見を行った柏木由紀子

8月12日は「上を向いて歩こう」の歌手坂本九さんの40回目の命日である。1985年(昭60)同日の日航ジャンボ機墜落事故で、43歳の若さで亡くなった。妻で女優の柏木由紀子(77)がインタビューに応じ、40年という歳月の思いなどを語った。坂本さんとともに、事故の記憶も風化させたくないと願った。【笹森文彦】

   ◇   ◇   ◇

運命の日。坂本さんは私用で、羽田発大阪行きの日本航空123便(ボーイング747)に搭乗した。

午後6時12分に離陸した。約44分後、群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した。乗客乗員524人のうち520人が死亡した史上最悪の航空事故だった。後部圧力隔壁の破損等に伴う制御不能が主な原因と言われる。

身元判明の決めては、いつも身につけていたペンダントだった。茨城・笠間稲荷神社の名前が彫られた特注品。坂本さんは戦中、母の実家のある茨城・笠間町(現笠間市)に疎開した。第2の故郷で、71年12月に同神社で柏木と結婚式を挙げた。

柏木はペンダントを今もお守りとして大切にしている。しみじみと語る。

柏木 年を取って来ると、同じような年を重ねたご夫婦が、旅行したり、散歩していたり、そういう姿を見ると、うらやましいなってすごく思います。その思いは(若いころから)ずっとありましたけど、年取ると、余計にそんなことを感じたりします。

当初は坂本さんの歌を聴けなかったが、徐々に前向きになった。

事故から約20年後の04年から長女の歌手・大島花子、次女の女優・舞坂ゆき子と母子ユニット「ママエセフィーユ(母と娘たちの意味)」を結成。父の歌も歌うコンサートを行って来た。コロナ禍以降、中断しているが、「またやりたい」という。

今年4月には、ファンションや生き方の自著「YUKIKO STYLE」(講談社)を出版した。

柏木 主人ができなかった年月を、私が主人の分も頑張らなきゃいけないな、と思っていろんなことに挑戦しています。きっと応援してくれている、喜んでくれていると思って、やっています。

「上を向いて歩こう」(61年)は、日本を想起する「SUKIYAKI」と改題され、63年に全米シングルチャートで3週連続1位を獲得した。日本人歌手の1位は史上初で、今も坂本さんしかいない。

柏木 私にとっても、とても誇りです。60年以上たっても、まだ1人ということなので、本当にすごいなって思います。

8月20日には、没40年の節目に、それらの偉業を伝えるベストアルバム「坂本九」が発売される。柏木はスーパーバイザーとして制作に参加した。来年には岡田准一主演で、映画「SUKIYAKI 上を向いて歩こう」の公開が予定されている。

柏木 坂本九という歌手を、あらためて知っていただくためにも、すごくうれしいと思います。坂本九を忘れられたくありません。そして事故のことも風化させたくはありません。それが私の役目とも思います。

遺作「心の瞳」は、日本航空123便に搭乗する前に、NHKの公開収録で歌っていた。「いつか若さをなくしても、心だけは決して変わらない。絆で結ばれている」と歌う。柏木へのメッセージと言われている。柏木はその“遺言”を支えに、これからも生きていこうと決意している。

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