累計190万ダウンロード超の世界的大ヒットを記録したインディゲーム『8番出口』。同作を原作に二宮和也さんが主演、川村元気さんが脚本・監督を務めた実写映画が、8月29日(金)からいよいよ全国公開されます。その公開に先駆けて刊行され反響を呼んでいるのが、川村監督自らが書き下ろした小説『8番出口』。映画製作と並行して生まれたという小説の執筆エピソード、小説ならではの楽しみ方について伺いました。
無限ループする地下通路は、人間の内面を映す空間かもしれない

023年に、20代のインディーゲームクリエイター・KOTAKE CREATE氏が一人で制作し、社会現象となった”異変”探し無限ループゲーム『8番出口』。この物語のないゲームを原作に映画化、そして小説化という異例の試みに挑んだのが、これまで『告白』『悪人』『君の名は。』『怪物』ほか40本を超える映画を製作し、『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』『百花』など小説家としても知られる川村元気さん。初めてゲーム『8番出口』出会った時の印象を尋ねると、「まずゲームデザインが本当に素晴らしかった」と振り返ります。
「極めて東京的といえる真っ白で整理された地下空間と、前に進むか引き返すかという二択のシンプルなルール、その無限ループが恐怖に繋がっていく。もしもこの空間を使った物語が発明できたら、世界的にヒットするとてつもない映画が作れるんじゃないか——。そんな予感めいたものを感じました。とはいえその時点では勝算もなく、どういう映画になるのかさっぱりわからなかった(笑)。けれど、想像もつかないものこそが自分が観たい映画ですし、自分が監督をするならそういう映画でありたいと思いました」
映画化にあたり、まずは前作「百花」でもタッグを組んだ脚本家の平瀬謙太朗さんとループする地下通路についてのディスカッションを行ったという川村さん。その中で浮かび上がってきたのが、川村さんが以前執筆した小説「神曲」にも描いたダンテの「煉獄(れんごく)」という概念。地獄でも天国でもないその中間の空間が、無限ループする地下通路のイメージに重なったと言います。
「「煉獄」というのは地獄に行くか天国に行くか、人間が罪を問われるような場所。プレイヤーが二択を続ける『8番出口』とは何かを考えるうちに、日々悩みながら選択を繰り返す私たちの人生を映した空間なんじゃないかと思えてきたんです。だとしたら『異変』は自分の中に内在する罪で、それが可視化されたものではないか。そう考えたときに、地下通路はただのゲーム空間ではなく、映画『2001年宇宙の旅』における宇宙船、『シャイニング』における館のような、人間の内面や心の中の恐怖を描く空間になる。この気づきをもとに、現代的なビジュアルでクラシックなスリラーが作れるんじゃないかと考えました」
ゲームと映画の境目が曖昧な、新しい映画体験

そこから発想した物語の大枠は、ひとりの男が人生における大きな二択を突きつけられ、答えが出ないままループ空間に入っていくというもの。どこにでもいそうな主人公の「迷う男」は、小さな二択を繰り返しながら、大きな二択の結論に向かっていく。名もなき男の主観から始まる映画と小説は、いつしか観客や読者自身が同時にプレイヤーになって選択を迫られるような、不思議な感覚を呼び起こします。
「脚本づくりのヒントになったのが、ゲーム実況者でユーチューバーのキヨくんの実況動画、それからスーパーマリオを作った任天堂のゲームプロデューサーの宮本茂さんの言葉です。『8番出口』は自分がプレイしても楽しいんですが、キヨくんの実況動画を観ていると「なんでそれ気づかないの?」「あ、見逃してた!」みたいに、一緒にゲームをしている感覚になるのが面白くて。そのとき思い出したのが、昔対談で宮本茂さんに聞いた「良いゲームは、自分で遊んでも面白いし、人が遊んでるのを見てるだけでも楽しい」という言葉。ならば、自分もプレーヤーであるのと同時に他人のプレイを見ている楽しさもある、そんなゲームと映画の境目が曖昧なエンタテインメントを作れたら、見たことがない新しいジャンルの映画が生まれるんじゃないか。そんな発想もあって、映画も小説も、プレイヤーの心の動きをリアルに表現しつつ、同時に観客や読者の感情の動かし方を意識しています」
実際の撮影は、地下通路で主人公の二宮和也さんに動いてもらい、撮影して、その場で編集して、みんなで見て議論して、ダメならシナリオを書き変えて、撮り直していくという、既存の映画の作り方とはまるで違う手法で進められました。当初は小説化は予定しておらず、「撮影中に出版社から依頼を受け、編集作業をしながら執筆を始めた」という川村さん。これまでにない撮影の体験が、小説にも大きな影響を与えたといいます。
「二宮くんは生粋のゲームフリーク。プレイヤー視点で「自分ならこう動くだろう」「主人公にハンディキャップがあったほうがいいんじゃないか」といったように、脚本の初期から素晴らしいアイディアを出してくれて、撮影でもアドリブのセリフやシーンをたくさん採用しています。現場で撮って編集してみんなで見て、夜に僕が脚本を書き直して、翌日にリテイクする。日々繰り返すなかで、脚本や物語の精度もどんどん上がっていきました」
小説と映画は、言うなれば「双子の関係」
こうして完成した映画『8番出口』と小説『8番出口』。それぞれに触れた観客や読者は、同じテーマの物語でありながら、全く別のエンターテイメントを体験しているように感じるかもしれません。その理由は、「映画と小説は全く異なるメディアで、特性によってアプローチも変わるから」と川村さん。
「僕は映画を作るときは、映画館で見ることを前提としています。映画館の95分間はみんながスマホを手放して映画の主人公と一体化し、スマホならスワイプされてしまうような無音や不思議な時間も楽しめる。映画『8番出口』は、セリフや説明がほとんどないのですが、この映画館の特性を意識して、映像も音も体感的に作ることを意識しています。
一方、小説『8番出口』は登場人物たちの心の声でできています。撮影でカットした異変や、編集中に思いついた異変、撮影では成立しなかったけれど小説だからこそ表現できるような異変も入れています。小説というのはある意味自分と対話する想像力のメディアであり、映画で描かれなかった登場人物の背景や異変の意味も、小説を読むことで埋まるようになっている。だから僕にとって映画と小説は、言うなれば双子みたいな関係。それぞれ違うかたちで楽しめると思います」
映画や小説など多様な表現を自在に使い分けるように見えるけれど、「描きたい物語に一番適した表現で出しているだけ」と川村さん。そのすべてに共通するのは、”物語を紡ぐ”ということ。
「映画や小説の好きなところは、自分の記憶を掘り起こしてくれたり、気づいていない感情を引っ張り出してくれるところ。僕にとって良い作品というのは、ゼロから何かを作るのではなくて、みんなの言葉にならない感情を言語化、可視化したものだと思っています。「腑に落ちる」「膝を打つ」という言葉が好きなんですが、みんなが心の奥で感じていることを物語化すると人は動く。それがヒットの構造であり、そんな物語を作るのが僕の仕事だと思っています。
例えば今回のテーマは「無関心の罪」。殺人や盗みってほとんどの人はやりません。でも、電車で怒鳴っている人を見て見ぬふりしたり、戦争で困っている人から目を逸らしたりする。そんな無関心の罪が、自分も含めたみんなの心の中に累積ポイントのように溜まっているんじゃないかと感じていて。現代は人が集まる空間でもみんながスマホを眺めていて、どこか孤立しているような感覚もあって、その孤立した人たちは、誰かと繋がることができるのか? というテーマもありました。僕にとって物語を作ることは、こうして「自分自身が解決しなくてはならない不安」のようなものの答えを明らかにしていく、そんな作業でもあるんです」
映画か、小説か。『8番出口』らしく、まずはその「二択」から楽しんでほしい

小説に続き、カンヌ国際映画祭に出品された映画も8月29日から公開となり、ますます注目が集まる『8番出口』。双子の映画と小説、そのどちらを先に楽しむべきかという問いに、『8番出口』らしく、映画か小説の「二択」を楽しんでほしいと川村さん。
「小説を読むか映画を見るかの選択そのものが、観客と読者に突きつけられた究極の二択(笑)。小説と映画のどちらからでも楽しめるしかけになっていますから、その選択を含めたエンターテイメントとして楽しんでほしいですね。それから小説版は、紙と印刷ならではの特性を生かしたしかけもあるんです。今回は水鈴社さんの協力もあり、真っ白な地下空間をイメージした白味が強い紙を使わせてもらったり、黄色のインクを使って本ならではの演出をするなど、本そのものに”異変”を感じるようなこだわりの演出をしています。ぜひ紙の本を手に取って、ページをめくってみてほしいですね」

小説『8番出口』 川村元気
定価: 977円(本体888円+税10%)
発売日: 2025年7月9日
https://www.suirinsha.co.jp/books/detail21.html
川村元気
映画プロデューサー、小説家、脚本家、映画監督、絵本作家。 1979年横浜生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』『怪物』などの映画を製作。12年、小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、同作は32カ国で翻訳出版され累計200万部突破。著書に小説『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』『私の馬』、対話集『仕事。』ほか多数。22年、自身の小説を原作として、脚本・監督を務めた映画『百花』で第70回サン・セバスティアン国際映画祭「最優秀監督賞」を受賞した。