
およそ30年近くにわたって日本のR&B/ヒップホップをリードしてきた男は、今が一番自由で自然体かもしれない。DJ HASEBE、54歳。90年代後半の伝説のイヴェント〈HONEY DIP〉を始めとしたDJプレイ、数多くのプロデュースワークを経て、現在はYouTubeチャンネル〈Welcome to my room〉や昭和歌謡のDJイヴェント〈スナックはせべ〉等、クラブシーンを超えて幅広いエリアで活躍している。〈GO OUT〉とも縁が深く、2015年の初出演以降は常連と言ってもいい存在だが、今年も9月26~28日に開催される〈GO OUT CAMP〉への出演が決定した。レジェンドは今何を思い、どこを目指すのか、その胸の内を聞いてみよう。
めざすは笑顔のスーパーサイヤ人
――実は〈GO OUT CAMP〉のお客さんには、若い頃にハセベさんが主催していた伝説のクラブ・イベント〈HONEY DIP〉に行っていたというお客さんが少なくないんです。改めて、その頃のお話を聞かせてもらってもいいですか?
〈HONEY DIP〉は97年に渋谷ハーレムが出来た時に、誘ってもらって火曜日に始めたイベントです。当時は小バコでしかやっていなくて、あれくらいのキャパ数のハコでレギュラーを持つのは初めてでした。〈さんピンCAMP〉があった96年頃から、ヒップホップ周りがみんなメシを食え出すんですけど、タイミング的にもその翌年で、パワーがある時で、裏原宿も元気だったから、そういうメンツが溜まり出して、横で繋がっている芸能周りの人も遊びに来てくれて、どんどん盛り上がっていった。僕もちょうどSUGAR SOULを結成して、97年に“今すぐ欲しい”を出して、98年に自分の『adore』というミニアルバムを出して、ワーナーと契約して2000年に“MASTERMIND”を出すんですけど、ちょうどその時期、97年から2000年いっぱいまでハーレムで〈HONEY DIP〉をやっていたんですね。
――意外と短い感じがしますね。そう聞くと。
3年半かな。で、2000年で辞めて、渋谷から離れようと思ったんです。
――それはなぜ?
大人になろうと思って(笑)。ずっとは続かないだろうなとなんとなく思っていたので、その後、西麻布Yellowに移るんですけど(イベント名は〈Fowl〉)。「自分はどこへ行ってもやれるんじゃないか」という自信はあったんだけど、全然ダメでした。Yellowも3年半続けたけど、徐々にパワーダウンして、ハーレムと同じ期間やったからそろそろ辞め時かなと思って、閉じたのが2004年かな。
――ハセベさんは2001年に30歳を迎えるので、20代から30代の架け橋が〈HONEY DIP〉だった。キャリアの中で大きなターニングポイントですよね。
そうですね。でも当時は、見えているものがちっちゃかったと言うかーー僕は千葉で育って、80年代後半から90年代にかけての東京のシーンに憧れて、90年代初期にニューヨークに行ってからは「日本語ラップや日本語R&Bを海外へ」みたいなことをぼんやり考えていて。で、ワーナーの1枚目のアルバム『HEY WORLD』(2000年)は世界発売されたんですけど、プロモーションを人任せにして、「ドイツではラジオでキャンペーンをやってくれてるよ」みたいな話を聞いているだけで、「スイス、オーストリア、フランスでツアーをやろう」とか、フランスのワーナーが組んでくれたプランも断ったりとか。
――もったいない。なんで断ったんですか。
めんどくさかったから(笑)。ブラジルのフェスに呼ばれても「遠いから行かない」とか、バカだったんですよ(笑)。だから当時やり残したことがいっぱいあって、それを今回収している感じです。僕の今年のテーマは「脳みそオーバーロードで動く」という、例えて言うと、『ドラゴンボール』でセルと戦う前に、悟飯と悟空で〈精神と時の部屋〉に入って、常にスーパーサイヤ人状態でいる修行をするんですよ。スーパーサイヤ人状態は体にストレスを与えるから、イライラしたりするんだけど、修行が終わって出てきた時には笑顔のスーパーサイヤ人になっていて、「それだ!」と(笑)。自分に相当負荷のかかる状態をデフォルトにするのが今年のテーマなんですけど、まだ全然ですね。休み休みですけど、今までよりはちょっとは詰めていけてるかな?と思っています。
――いいですね。笑顔のスーパーサイヤ人。
この間、福井でもこの話をしたんだけど、反応がイマイチだった(笑)。でもね、なぜそう思ったかというと、もう50代半ばで、あとどれくらい人前で活動していけるのかな?と考えた時に、「思いついたことはどんどんやっていかなきゃ」と。やっぱり人より動いていないと、いい結果は絶対出ないというのは、自分のアホなキャリアの中でもちょっと学んだ感じはあるので。アイディアが浮かんでも、今までは寝かし気味だったものを、今年はちゃんと形にしていこうということです。

もうトレンドを追わない
――そんな精神状態の中、近年のハセベさんはレギュラー・イヴェントを持たずに、いい意味で自由気ままにプレイしているイメージがあります。
クラブの現場はやっていなくて、頼まれて気が向いたらたまにやる感じです。それも終電前に終わるイヴェントがほとんどですね。ここ何年か、12時寝の6時起きなので、深夜帯が辛くなっちゃったのと、喫煙の場所でやらなくなったので、フェスや単体のデイ・イヴェントが多いです。
――それは、自然にそうなっていったのか、意図的にそうしていったのか。
コロナ禍が始まった2020年が、50歳になる前の年で、その時にいろんなことをルール的に決めたんです。生活のリズムとして、ルーティンを決めたほうがスムーズにいくだろうし、それが勝手にブランディングにもなるかなと思ったので。
――50代のルーティンですね。〈HONEY DIP〉=20代の頃のお話は伺いましたが、30代、40代はどんな時期でした?
30代は、20代の余力でズドン!と行っちゃった感じ。たぶん20代後半で、自分の中で見えていた「音楽でこうなりたい」というビジョンは達成してしまって、その先は見えていなかったから、状況に流されていた気がします。40代は、「ここのまま行くとヤバいな」と思って、修正する時期でしたね。10年かかりました。
――ハセベさんの40代というと、ほぼ2010年代と重なりますね。
2010年代に入る手前から、音楽シーン的にも、クラブDJに求められているものがエレクトロ的な音になってきた。僕はもともとヨーロッパっぽいブレイクビーツや四つ打ちも好きだったし、大きいハコでやる時はパワーがある音楽のほうが作りやすいから、「いいんじゃない?」と思っていたんだけど、ある時ふと気づいて、言い方は悪いけど「俺はこのフロアを踊らせるために(DJを)始めたんじゃない」と。これは早めに抜けないとマズイなと思い、「もうトレンドを追わない」と決めて、自分に合った音楽のセレクトとサウンド作り、DJプレイをしようと軌道修正したんです。でも、それには10年かかりました。
――そんな葛藤があったとは……。
それが2010年代後半にやっと落ち着いてきて、結果も出てきたので、新曲を出して、若手のシンガーやラッパーと絡んだりしていたんですけど、そこで2020年にコロナ禍が起きた。ああいうふうに世の中がざわざわしている時だからこそ、「じゃあ何をやるか?」と考えたんです。そのこと自体はワクワクできたし、そこでパッと思いついたのがライブ配信で。

Welcome to my room
――それがYouTubeチャンネル〈Welcome to my room〉ですね。
オーディオインターフェースとかカメラとか、著作権はどうなるかとか、そういうことを全部調べて、2020年の3月からまずInstagramでライブ配信を始めるんです。結構反響があったんですけど、週に3日やっていたら体を壊しそうになって(笑)。ひとまず5月でやめて、1か月休んでからYouTubeに移る。初年度は週イチでやっていたんですけど、週に1回は自分のフォロワーにDJやってる姿を見てもらえるから、焦って現場を作っていかなくても成立するなと思ったし、チャットを見ながらDJするのも面白かったんですよね。リアルタイムの反応が届くから、そこにフロアのお客さん的な空気感が生まれて、どんどん楽しくなってきて、今も続けている感じです。
――〈Welcome to my room〉は本当にいい雰囲気ですよね。まさにマイルームに招かれている感じ。
最近はアーカイブを1週間で下げて、自分のしゃべりをカットしたBGMヴァージョンだけ残しているんですけど、それがYouTube的な需要に合っていたみたいで。その動画の数字が伸びていて、常にYouTubeのおすすめに入るようになり、プロモーションとしても機能しだしている。僕のミックスは和モノが多いから、リスナーは日本人が多いんですけど、アジアとかヨーロッパ、アメリカの人たちも、BGM的に聴くぶんには他国の言葉のほうが楽しめるみたいなんですね。僕らが英語の曲をBGMにするように、海外の人から「ちょうどいい」みたいなコメントが残されることが多くて、そっちにも需要があったし、日本の曲も知ってもらえるし、いいことづくめだなと。
――ですね。
しかも、ライブ配信を見てくれた人が、現場に来てくれる割合が増えてきているんですよ。僕のターゲットは40代と50代前半の方がメインで、その人たちは一回クラブの現場から離れてしまって、音楽も新しいものを聴かなくなってしまった世代だと思うんですけど、コロナ禍のライブ配信でバーっと戻ってきてくれた感覚がすごくあって。その人たちが次に「現場に遊びに行きたい」という感じになって、チャットを見ていると、それこそ「〈GO OUT CAMP〉のチケット取りました」という人がいたり。それがきっかけになって、自分主催のイベントも考えるようになって、その一つが〈スナックはせべ〉です。
――なるほど! そういう流れがあったんですね。
ライブ配信を始めて2年目ぐらいで、代々木のLODGEというライブハウスから「うちで配信イベントやりませんか」と誘われて、Mummy-Dに来てもらってイベントをやったんですね。で、2回目はTinaを呼ぶことになったんだけど、俺とTinaが普通にR&Bイベントをやってもベタだから、もう一個ひねりが欲しいなと思ったんです。そこで、「そうだ、昭和歌謡のイベントにしよう」「Tinaをスナックのママにしちゃえ」と。それまでのライブ配信中に、僕がふざけて、影響を受けた昭和歌謡をかけたりしていたんですよ。クラブでかけることは全くなかったんですけど、配信の自由さで昭和歌謡だけをかけて「ほら、ちゃんとグルーヴ作れてるでしょ?」みたいなことをやっていたら、だんだん盛り上がってきていたんです。。さらに、ZEN-LA-ROCKが、Mummy-Dの会にオファーもしていないのに遊びに来てくれていたから、「じゃあゼンラの肩書きは〈近所の常連〉で」って、ママと常連とDJの3人でやりだしたのが、〈スナックはせべ〉の始まりです。
――仕掛けたというより、勝手に盛り上がっちゃったみたいな。
そしたらほかでも呼ばれるようになって、この間の高輪ゲートウェイでのイベントも、普通のDJと〈スナックはせべ〉と両方やったんです。駅構内でやった普通のDJは入場規制で入れなくなったし、〈スナックはせべ〉のほうも数百人が来てくれて、カオス状態になっちゃった。いろんな人がSNSにアップしてくれて、それを見た人から「東京以外でもやりたい」というオファーをいただいたり。
――すごいですね。まさかの大人気。
正直、どうしたらいいのかよくわからないところはあるんだけど(笑)。調子こくと、すごいショボい終わり方をするだろうなと思うから、ある程度小出しにして、ちょっとずつ行けたらいいなと思っています。

GO OUT CAMPはいつも楽しすぎて泥酔
――楽しみです。そんな〈スナックはせべ〉が、今年は9月26-28日の〈GO OUT CAMP〉に出店してくれますけれども、振り返ればハセベさんの〈GO OUT CAMP〉初出演は、2015年の〈GO OUT CAMP vol.11〉でした。覚えていますか?
もちろん。最初は〈GO OUT HOUSE〉(屋内ステージ)で、めちゃめちゃ盛り上がった記憶があります。すごく雰囲気が良くて、何をかけても大丈夫だなという空気感があって、DJが終わった後に、なんか知らないけどみんなと握手して、「スターかよ」みたいな(笑)。そんな感じで終わりにした記憶があります。選曲は結構ベタに、90年代中盤のヒップホップをメインにして、R&Bよりヒップホップをかけたイメージがありますね。そのあと、DJでもう1回ぐらい出させてもらって、SUGAR SOULでも出て、京都も1回、沖縄は3年連続で出ています。
――〈GO OUT CAMP沖縄〉は3回しかやっていないから、皆勤賞ですよ。
全部出て、全部泥酔している(笑)。たぶん1回目の時かな、飲食エリアのところにDJブースがあって、すごい雰囲気が良くて、もう気持ちよくなりすぎちゃって。僕の定番で、DJやってる途中にトイレに行くんですけど、長い曲をかけて「ちょっと行ってきます!」とか言って、ブースを出た瞬間に芝生にヘッドスライデングして、前の日に雨が降ってたから水びたしになって。起き上がってトイレに行って、帰ってきたら泥だらけで、「どこ行ってきたんすか!」みたいになって、ドカーン!と受けた(笑)。
――あはは。笑っちゃいけないですけど、それは笑いますね。
その日の帰り道にも、泥酔しすぎて山道で遭難しかけた(笑)。朝起きたら、ホテルのベッドに倒れ込んだ姿勢のまま、泥だらけのままで、あれは忘れられないな。〈GO OUT〉にはいい思い出しかないですよ(笑)。
――贔屓にしていただいてありがとうございます(笑)。
だから最近、キャンプやろうかなとちょっと思い始めて、キャンプを始めるには車が欲しいなって、車欲も出てきて、今考えているところ。近い将来の夢は、〈GO OUT CAMP〉に出演しつつ、自分のテントで寝ること。それなら宿の相談をしなくて済むし。
――キャンプ・デビュー、楽しみに待っています。そして今年の〈GO OUT CAMP〉は、〈スナックはせべ〉だけではなく〈GO OUT HOUSE〉で通常のDJプレイもされるという、ダブルヘッダーでの出演が決定しました。
昭和歌謡だけで終わっちゃうと、みんながモヤっとする恐れもあるなと思って(笑)。「〈GO OUT HOUSE〉でもやりたい」と言ったんです。〈GO OUT HOUSE〉のほうは自由に選曲して、自分のプレイの定番なもの中心にやろうかなと思っています。
――〈スナックはせべ〉のほうはどうですか。何かプランはありますか。
プランはないです(笑)。〈スナックはせべ〉はTinaママのライブが入るから、かけれる曲が限られてくるんですね。爆弾級の曲を投下し続けて、全員疲れちゃうぐらいな感じもできるなとか、最後はやっぱり小林明子「恋におちて」で締めたいなとか、いろいろ考えているところ。しっとり系の曲で締めると、みんな合唱して終わるんですよ。德永英明「レイニーブルー」で締めることも多いけど、雨が降ってきたらシャレにならないので(笑)。でも基本、締めはしっとりな感じが多いです。
――ハセベさんの昭和歌謡は、70年代、80年代の歌謡曲やポップスが中心ですよね。ほかに、必ずかける曲ってありますか。
村下孝蔵「初恋」とか、稲垣潤一「ドラマティック・レイン」とか、かける頻度は高いです。あとはサザンオールスターズ。サザンをかけていると、それだけで成立しちゃうから、もうDJとか必要ないじゃんと思ったり(笑)。そんなことを考えていると結構面白いんですよ。自分が好きな曲は全部PCのフォルダの中に入っているから、その中から雰囲気でセレクトしてくことになると思います、自分の年代と近い方に向けて、今は聴かなくなってしまった昭和歌謡をバーッとかけていくと「ああ、こういうのあったね」「好きだったな」みたいな感じになるのが嬉しいんですよね。シティポップとか、和モノレアグルーヴ的なものではなく、いなたい昭和歌謡というものを僕がミックスして、そこに僕の癖みたいものが出ていればちょっと面白いかなと思っています。
――今年の2ステージ、楽しみにしています。
いつもDJしながら酒を飲むんですけど、最初のDJの時は酒の量をちょっとコントロールしないと。沖縄の時みたいに泥酔してステージに上がるのも楽しいけど、そんなことしたら〈GO OUT HOUSE〉に絶対たどり着けないので(笑)。気をつけようと思っています。

インタヴュー・文/宮本英夫
撮影/大橋祐希
ライヴ写真/Sosuke Shimizu
DJ HASEBEさんも出演するGO OUT CAMP vol.15の概要はこちら。
【GO OUT CAMP vol.21】
公式サイト:www.gooutcamp.jp/goc/
開催日:2025年9月26日(金)、27日(土)、28日(日)
会場:ふもとっぱら(静岡県富士宮市)
出演アーティスト:浅井健一/矢井田 瞳/YO-KING/FNCY(ZEN-LA-ROCK / G.RINA / 鎮座DOPENESS)/スナックはせべ(DJ HASEBE / Tina / ZEN-LA-ROCK)/Spinna B-ILL/naotohiroyama (ORANGE RANGE /delofamilia)/D.W.ニコルズ/ICHI-LOW/Satoshi Miya/+music
The post DJ HASEBEが語る、キャリア35年とスナックはせべの謎【GO OUT MUSIC FILE vol.6】 first appeared on GO OUT WEB.