
フリーアナウンサー笠井信輔(61)が21日までに、ブログを更新。1995年3月20日に東京都で発生した地下鉄サリン事件を振り返った。
笠井アナは「私は、あの日、あの瞬間、あの現場に立っていました」と明かし「本番中にニュース速報『地下鉄築地駅等5駅で原因不明の異臭が発生。乗客ら十数人倒れる』地下鉄サリン事件発生の第一報でした 局内にいた私に出動命令!『カメラクルーと築地交差点で合流せよ』これが日本の事件史に残る重大事件になるなんて思ってもいませんでした」と事件発生当初を振り返った。
「結局、報道局の判断により、私はワイド番組のリポーターとして出動したのですが、そのまま夜9時まで連続11時間、築地駅前で中継を行いました」と当日の中継が長丁場となったと記した。
さらに「中継の合い間に、近くの聖路加病院に取材に行くと、救急医療のベッドは足らず、廊下のストレッチャーや、長椅子にたくさんの被害者が寝転がっていて、まるで野戦病院」と当時の生々しい状況をつづり「そんな時に、担当医師から、『多くの被害者の目が縮瞳しています。何かのガスの影響です』という話が出てきていました」と続けた。
「あの日は、朝から夜の9時まで11時間、1人で築地駅前、サリン散布現場の間近で中継を行いました」とし「最終的には、私自身も自衛隊の散布した『サリン解毒剤』を吸い込み、翌日まで頭痛『もしかしたら、サリンを吸ってしまったのかもしれない』その日の晩の不安は今でも忘れられません」と不安な思いをしたことを告白した。