競馬実況アナウンサーとしてファンから愛された杉本清氏(87)が、1日に放送されたMBSラジオ「ヤマヒロのぴかッとモーニング」に出演した。番組パーソナリティーの山本浩之(62)とは関西テレビ在籍時代の先輩後輩。競馬アナとしてはヤマヒロの師匠にあたり「元日は杉本さんに来てほしかった。電話はありましたが、対面するのは10年ぶりですね」と感慨深げに口にした。
1985年(昭60)に入社したヤマヒロは競馬実況にあこがれ、杉本氏の実況を収録したレコードを聴きながら、そのひと言ひと言をメモ書きしていたという。「ふだんの昼飯から、土日の競馬場までずっと一緒で、僕はまるで杉本さんの付き人でした」とヤマヒロ。杉本氏から見たヤマヒロは「穏やかな人で印象は悪くなかった。ただ年に1度2度、瞬間湯沸かし器のようにキレることがあって僕らは『シュンちゃん』と呼んでました」と振り返った。
5年ほど競馬担当を続けた頃、会社から「ニュース担当に替われ」と命じられたヤマヒロは「競馬に残りたい」という本音を抱いて杉本氏に相談に行った。しかし、杉本氏は「ヤマちゃん、行った方がええで。ニュースなら毎日、画面に顔が出るんやから」と送り出した。
その後、ニュースキャスター時代、カツラを着用するようになったヤマヒロだが「しばらく僕はカツラのことを知らなかった。そういえば、ゴルフに行った時、昼食に来るのはいつも皆より遅れてたなあ」(杉本さん)。午前のラウンドを終えたヤマヒロはひとりロッカールームに戻り、帽子を取り、急いでカツラを着用。何食わぬ顔で食堂にかけつけたという。
杉本氏の名調子としては、87年の菊花賞を勝ったサクラスターオーの「菊の季節に桜が満開」が、あまりにも有名。ヤマヒロは「生まれ変わっても、こんな実況はできない」と脱帽したが「そんなフレーズを前もって用意することはなかった。前夜、競馬新聞を読みながら考えるのは『どの馬から馬券を買おうか』だけ」と杉本氏は笑って話していた。