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夏の全国高校野球大会「1918年 米騒動」でなぜ中止になったのか?


新型コロナウイルスの影響で第102回全国高校野球夏の甲子園大会が中止となりました。夏の大会は1915年(大正4年)にスタートしましたが、過去に中止になったのは…

・1918年(大正7年)第4回大会の「米騒動」

・1941年(昭和16年)第27回大会の太平洋戦争の影響

以来、今回が3度目です。

このニュースを聞いて、こう思った人も多いのではないでしょうか

「米騒動で中止ってどういうこと?」

米騒動が原因で夏の高校野球がなぜ中止になったのか? これを説明できる人はそんなにいないと思います。

そこで、まず一言で説明すると…

『米の値段が高すぎて庶民が暴徒化し、外出すら危険な状態だったから』。

1918年の“米騒動”は、暴徒化した人々が破壊行為や放火を起こす非常事態でした。野球大会を開催すれば球場に大勢の観客が集まり、そこへ暴徒者が詰めかけると危険である、そう判断しての中止だったのです。

米騒動で野球大会中止のあらましをざっくり説明します

1918年半ばから米の値段が急騰する

欧州を主戦場とした第一次世界大戦で、世界的に船舶不足になったことから日本は造船、海運業に力を入れ大戦景気に沸きます。そうなると巷の物価も高くなるわけですが、景気が良かったのは戦争の恩恵を受けた一部のみで国民全体ではありませんでした。

1918年、ロシア革命を抑えるために日本からシベリア出兵が決まります。“派遣軍隊のために大量の米が必要になる”そう目をつけた商人達が米を買い占めました。米価が高くなったら売って儲けようと考えたのです。

米の値段は急激に上がりました。当時の市民の平均月収が18~25円だった時代、1月に100升15円だった価格が6月は20円、7月には30円を超えました。食べ物の種類が多い現代と違い、当時は成人男性で一日一升の米を食べる人が沢山いました。米の価格高騰は社会問題となりました。

 急激に広がった抗議活動

7月中旬、富山県富山市、魚津市などの役所に主婦を中心とした民が押しかけ米の高騰に抗議。これがエスカレートしていきます。この活動が8月5日の全国紙に掲載されます。内容は…

・富山の主婦等200名が米価高騰に抗議のため米屋に押し入り、値下げを直談判

・応じなければ殺すと脅した

このような内容でした。

連日、富山での米騒動シーンが新聞で報じられるようになると全国に波及。触発された庶民による集会、抗議活動、暴動が各地で起こります。中でも激化したのが関西でした。

8月11日、大阪市と神戸市で暴動が発生。最初は米屋などに抗議していましたが、米価値下げの訴えと怒りが爆発し徐々に暴徒化、破壊行為へ転じて行きました。米とは関係のない商店や車、交番などが襲撃され、放火があちこちで発生する騒乱状態になって軍隊が出動。事件の多発に警察は犯罪を取り締まれない状況に。言うなればフーリガン対政府・軍隊・警察といった様相を展開したのです。

全国野球大会延期

野球大会はその影響を受けます。

1918年第4回全国中等学校野球優勝大会(当時の名称)は8月14日から5日間の日程で、兵庫県西宮市の鳴尾球場で開催される予定でした(甲子園球場はまだありませんでした)。

参加14校の選手、関係者は当然現地入りして開会日を待っていたのですが、その3日前から発生した米騒動が戦争のような状態に悪化。しかも鳴尾球場の近くで放火事件が発生した事も重なり、主催者は危険と判断して開催の延期を急遽決定します。そして8月16日、治安改善の見通しが立たないとしてあっさりと大会中止を決定したのでした。

野球大会は運悪く騒動のピークに日程が重なってしまったため開催を断念したというわけです。

 

その後、米価を下げる流れとなり9月中旬に騒ぎは収束。約50日に及ぶ一連の暴動は1道1府37県で発生し、参加者数百万人、検挙者約2万5千人、死者は少なくとも25人以上(のちに死刑2人)という日本列島が激震した事件、それが球児たちの夢を奪った米騒動だったのです。

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