今回もお話しを伺ったのは建築業を中心にコインランドリー事業など幅広く事業を行っている株式会社Re.TSUKULの代表取締役 福原 巧太さん。令和元年に起こった千葉県の房総半島台風の災害での実情やその時の気付きについて話してくれた。
令和元年に起こった千葉県の房総半島台風の災害。株式会社Re.TSUKULは高い技術を売りにして房総半島の風土を活かした建築を行っていたがその技術の定義が台風によってひっくり返された福原氏は言う。今までどんな台風にも耐えていた当社が建てた家があったが、この大きな台風で初めて被害にあい「福原さんの家でも100%ではなかった」と言われたと話す。台風の被害は大きく、時には技術でカバーできるものではない。とはいえ、高い技術を持っていることは補修や今後の災害に対しての防災にも使えるので台風や風に強い家づくりをしていかないと、と改めて気付かされた。株式会社Re.TSUKULの強みとしては高い技術を持った職人がいること。そしてその技術と共に土地の風土を理解して、地域に適した家づくりを提供していけることだと大高氏は話す。
災害時にボランティアにきてくれた人はプロで技術力や知識が高い人も多く、自分たちの向上心にも繋がった。ただ、その逆に、この地域は家づくりの技術が高いこともわかった。例えば震災時の屋根の修復の際、地元の業者が足りなくなり大阪や九州など他に地域に協力を要請することになった。すると、すぐに台風などで剥がれてしまいそうな屋根の仕上がりとなり、結局はやり直すことになってしまった。それを見た時に他の地域との技術の差がハッキリとわかり、自分たちの技術の高さが明確になった。今後、同様なことが起こった場合、やり方から指導も必要だと感じていると福原氏は語る。
房総半島台風の災害時に激甚災害地区になったため、災害を受けた家の修復には国の補助も出るようになった。ただ、申請するには写真を撮って書類作成をしてと尋常じゃないほどの手間暇がかかる。その工程を災害を受けた家につき1件、1件こなすのがとても大変だったが、スタッフのサポートもあり自社オリジナルのリストをつくることでカバーした。また国の制度も曖昧で疑問も多かった。例えば損害が大きく、早くに屋根をなおさないと暮らせないほどの家の修復を急いで行うと、修復後の申請では補助金が出ないなどのことが起こった。そんな実情を見て災害者に寄り添っていない制度についても声を上げていかないといけないと使命を感じたと言う。災害時のサポートについても当初駆けつけてくれた自衛隊員が屋根にブルーシートをかけてくれても、道具がないためしっかりと止まっておらず飛んでしまったり、飛ばないように屋根に砂袋をたくさん置くためその砂が屋根に広がり、後処理も大変だったと話す。初めての対応で不慣れな部分があったとはいえ、変えていくべき点は多く、今後はこの事実を受け止めて、災害時の対策に活かしてほしいと当時の状況を教えてくれた。
そんな災害時に改めて実感した株式会社Re.TSUKULの技術力の高さ。その職人の技術力や品質を保つために何か意識していることはあるのかと聞くと、父親の妥協しない考えや釘を使わず伝統的な技術で組み立てることができる匠の技など技術力の高さがあると言う。父親の下で職人や福原氏も育てられているのでその考えや技術が継承されていると教えてくれた。家業で多くを学ぶ福原氏に次回は復興支援についても更に詳しく話を聞いた。