アメリカのオクラホマ州立大学(OSU)を中心とする研究によって、古代の「目には目を、歯には歯を」という人体パーツに関する法律が、文化だけではなく人間そのものの性質にも起因している可能性が示されました。
研究では、古代メソポタミアの「ハンムラビ法典」や中世ヨーロッパの「ウェアギルド(人の値段)」制度、さらには現代の労災補償法まで、さまざまな時代や文化における法律を詳しく調べられており、人々が「体のどの部分がどれほど重要で、どれくらい償うべきか」という評価基準が、文化や時代を超えて驚くほど似ていることが明らかになったのです。
なぜ私たちは時代や文化が異なっても、体の価値について同じような感覚を共有しているのでしょうか?
研究内容の詳細は『Science Advances』にて発表されました。
目次
- 「目には目を」ルールはなぜ生まれた?
- 1400年変わらない価値観
- 体の価値を決める人類の「物差し」
「目には目を」ルールはなぜ生まれた?

誰かが他人にケガをさせてしまったとき、どのくらいの償いをすればよいのでしょうか?
この問題について、人類は昔からずっと考えてきました。
「ケガをした人はつらい思いをしているのだから、何かしらの形で償うべきだ」という考え方は、世界中のさまざまな文化に共通しています。
例えば、「目には目を、歯には歯を」という有名なルールを聞いたことはありませんか?
これは、「相手に与えた被害と同じ程度の償いをしなければならない」という考えを表しています。
実際に、こうした考えは古代メソポタミアで生まれた「ハンムラビ法典」という、歴史上最も古い法律の一つにも記されています。
古代イスラエルでも、聖書の中で同じ考え方が見られます。
一方、古代ヨーロッパでは「ウェアギルド(wergild)」という仕組みが使われていました。
ウェアギルドとは、「人の値段」という意味です。
これは、「体の部位ごとに金額を決めて、相手を傷つけたときにその金額を支払って償う」という方法でした。
同じように、古代中国やニューギニアの部族でも、「ケガの程度に応じた償い方」を法律や習慣として定めていました。
例えば、古代メソポタミアの「ウル・ナンム法典」には、こんな例があります。
「もし相手の鼻を切り落としてしまったら、銀40シェケルを払わなければならない。一方、歯を折った場合は、銀2シェケルを払えばよい」
つまり、鼻のほうが歯よりもずっと高い金額になっていますね。
これは、鼻を失うことのほうが歯を失うより生活に与える影響が大きい、という判断があったからです。
このように、人類は昔から「ケガの程度や体のどの部位がどれほど重要か」に応じて、償い方や金額を決めてきました。
これまで多くの学者たちは、「こうした体の価値を決める基準は、文化によってまったく異なるはずだ」と考えていました。
実際、食べ物や生活習慣、考え方が文化によって違うように、「体のどこを大切だと思うか」という考え方も、文化によって違うだろうと思われてきたのです。
ところが、今回の研究チームは、この考え方に新しい仮説を提案しました。
彼らは「実は人間には、どの体の部位がどれだけ大切かについて、文化や時代を超えた共通の直感があるのではないか?」と考えました。
例えば、私たちは「指を1本失うより腕を1本失うほうが大変だ」と直感的に理解しています。
これは、腕の方が指よりもずっと多くのことに使えるからです。
こうした考え方は特定の文化だけに限らず、多くの人が同じように感じる可能性があります。
つまり、人類が進化の中で共通して身につけた、「体の部位が生活に与える影響を自然に判断する力」があるのではないかと考えたのです。
もしこの仮説が正しいなら、古代から現代まで、様々な地域や文化、さらに専門知識を持つ法律の専門家だけでなく、専門知識を持たない一般の人々においても、「体のどの部分がどれほど大切か」という評価に共通のパターンがあるはずです。
研究チームはこの予想を確かめるため、実際に過去のさまざまな法律と現代の人々の感覚を比べる調査を行うことにしました。
1400年変わらない価値観

研究チームはまず、文化や時代の異なる5つの法律を選びました。
1つ目は、今から約1400年前、紀元600年ごろのイングランドにあった「アセルベルヒト法」という古い法律です。
これは、ケント王国のアセルベルヒト王が定めた法律で、人にケガをさせた時の償いの方法が具体的に記されています。
2つ目は、13世紀のスウェーデンにあった「グータ法」という法律です。
これはスウェーデンのゴットランド島で使われていた法律で、やはりケガをさせた部位ごとに、支払うべき罰金や償いの金額が細かく決められていました。
残りの3つは、現在も使われている現代の法律です。
選ばれたのは、アメリカ合衆国のインディアナ州、韓国、アラブ首長国連邦(UAE)の「労災補償法」というものです。
労災補償法とは、仕事中にケガをした人がもらえる補償金の額を決めている法律です。
例えば、インディアナ州の法律では、腕や足を失った時にもらえる補償金の方が、指を一本失った時よりもずっと高く設定されています。
これは「腕や足の方が、生活への影響が大きい」と考えられているからです。
このように、古代や中世の法律から現代の法律までを比べることで、研究者たちは「体の部位ごとの価値に共通する基準があるか」を調べることができました。
次に研究チームは、「法律の専門家ではない普通の人たちも、法律と同じような感覚を持っているのだろうか?」という点を確かめようとしました。
法律を決めるのは専門家ですが、一般の人も法律と似た価値判断をしているなら、人間の心には普遍的な価値基準があるかもしれないからです。
そこで研究チームは、アメリカとインドで、18歳以上の一般の人614人を対象にアンケート調査を行いました。
調査では、参加者に体のいろいろな部位を示して、「もしこの部位を失ったら、生活がどのくらい不便になると思いますか?」という質問をしました。
また別の参加者には、「あなたが法律を作る立場なら、この部位を失った人にはいくらの補償金を支払うべきだと思いますか?」という質問をしました。
他にも「もし自分が誰かにこの部位を傷つけられたら、どのくらい怒りを感じますか?」といった質問もしました。
質問内容は少しずつ違いますが、どの質問も「その体の部位が失われることの深刻さ」を確かめるものです。
具体的に評価してもらった部位は、「腕」「足」「目」「耳」「鼻」「指一本」「奥歯一本」など、古今東西の法律に共通して登場するさまざまな体の部位です。
これによって研究チームは、「法律と一般の人々の直感的な感覚がどれくらい似ているか」を比較できました。
その結果、とても興味深いことがわかりました。
一般参加者が直感的に下した判断と、各時代・各地域の法律で定められた補償の額には驚くほど共通する傾向があることがわかりました。
つまり、「どの部位がより重要で価値が高いか」という順位付けが、現代人の直感でも歴史上の法でもほぼ一致したのです。
また文化の違うはずのアメリカ人とインド人の回答も強く相関し、さらにそれらは中世ヨーロッパの法典や現代アメリカ・韓国・アラブの法律による評価とも一致しました。
例えば、論文では「親指は小指より重要」「目を失うことは奥歯を失うより深刻」と示されており、プレスリリースでも「人差し指は薬指より大事」「片目の損失は片耳の損失より重大」といった例が挙げられています。
さらに「親指と小指を比べたとき、どちらが重要と感じるか」という細かな比較についても、人々の直感と法の定める価値は概ね一致していました。このような傾向は統計的な解析でも有意な結果として裏付けられています。
体の価値を決める人類の「物差し」

今回の研究は「法律は文化によって大きく異なる」という従来の考え方に対し、人間が共通してもつ直感も法律に影響している可能性を強く示しました。
飲酒の可否や食習慣、婚姻のルールなど多くの道徳や法律は文化圏によって異なります。
しかし殺人や放火、窃盗のように時代や地域を超えて共通する「普遍的な禁忌」も存在します。
研究者たちは約1400年を隔てた古代と現代、異なる大陸の文化圏を比較し、体の損傷に関するルールにもよく似たパターンがあることを示しました。
この発見は「人間の共通した直感が法律を作る際に重要な役割を果たしているかもしれない」という仮説を強く後押しします(ただし別の説明も排除されていません)。
さらに研究チームは、人類に共通する体の価値観が法の根底にあると指摘し、脳には体の部位の価値を判断する共通の「物差し」が存在する可能性にも触れました。
極端な例ですが、もし人類が新しい社会をゼロから築くとしても、この共通した直感が制度設計に何らかの形で関わるかもしれません。
【コラム】脳のどこがパーツの価値を決めているのか?
私たちは自然に、「腕を失うことは指を1本失うことよりずっと重大だ」と感じます。これは直感的に当たり前のことのように思えますが、脳科学の視点から見ると非常に興味深い現象です。私たちの脳は、さまざまな情報を処理して判断を下しますが、「体のどの部位がどれだけ重要か」という判断をどのように行っているのでしょうか?実は近年の脳科学の研究では、私たちが物の価値を決めたり、比較したりする時に、脳の中で「共通の物差し(コモン・カレンシー)」と呼ばれる仕組みを使っていることが分かっています。これは、まるで脳の中に1つの「通貨」のような共通単位があり、それを基準として物事の価値を比較しているという考え方です。この共通の物差しとして働いている場所が、脳の前頭前野内側部(ぜんとうぜんや・ないそくぶ:vmPFC)という部分であると考えられています。前頭前野は、私たちが複雑な判断や決定をするときに活発に働く脳の中心的な領域です。特にvmPFCは「価値判断」を司る中心的な場所として知られており、お金や食べ物、人間関係など、さまざまな種類の価値を1つの「尺度」に変換して比較できるようにしていることが、これまでの研究で示されています。「それじゃあ体のパーツの重要度も同じ仕組みで判断されてるの?」と考えるのは自然です。そしてその可能性は十分にあります。さらに、体性感覚野(たいせいかんかくや)という脳の場所も関係していそうです。ここは体の感覚や動きを受け取るところで、たとえば指先のように細かく感じる場所は、脳の中でも広いエリアが割り当てられています。これは痛みや触覚を敏感に感じ取るためですが、部位によって割り当て面積が違うということは、その部位が「重要」というサインにもなるかもしれません。つまり、私たちが「腕や目は大事」「指より手のほうが重大」という直感は、脳の中で「価値を共通尺度で比べるしくみ(vmPFC)」と「どれだけ細かい感覚が集まっているか(体性感覚野)」という両方のメカニズムが仲良く働いて生まれているのかもしれないのです。
ただこれを人間で定量的に確かめるには、人間を実験室のような条件を揃えた環境で脳をモニタリングしながら「解体」しなければなりませんので現実的に確かめるのは困難と言えるでしょう。それでも判明している範囲で脳の仕組みを考えると、私たちがどんな風に世界を感じて、何を大事だと思うのかが、少しずつ見えてきます。ですので、「体のどこを大切に感じるか」はただの思い込みではなく、脳のしっかりした“合理的で精密な仕組み”が裏側で支えている可能性が高いのです。
もちろん価値観が完全に一致するわけではありません。
研究者たちは「多少の違いが生じるのは合理的」と述べています。
たとえば狩猟民にとっては視力が最重要かもしれず、音楽家には指先の器用さが欠かせません。
社会や環境によっても違いは出ます。
紛争の多い地域では身を守るための腕力が重視される可能性があります。
こうした職業や文化環境による差異は今後の検討課題です。
それでも今回の発見は、人間の心理や進化が社会制度にどのように影響しているかを考えるうえで大きな手がかりとなります。
現代の私たちが「それは不公平だ」「このくらいの償いは当然だ」と感じる感覚は、遠い昔の人々とも共有されていた可能性が高いのです。
労災補償や損害賠償制度を設計するときにも、人々が本能的に納得しやすい基準を再考するヒントになるでしょう。
古代の知恵と人間の本能に光を当てたこの研究は、法学・心理学・私たちの「公正さ」への感じ方に新たな議論を呼び起こすはずです。
ただし限界もあります。
調べた法律の数はまだ少なく、体の部位ごとの価値がどれほど正確に反映されているかは今後の検証が必要です。
またスウェーデンのグータ法に関する一部の分析は探索的にすぎず、確定的な結論ではありません。
これらの点は今後の研究で解決されるべき課題です。
元論文
Laws about bodily damage originate from shared intuitions about the value of body parts
https://doi.org/10.1126/sciadv.ads3688
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部