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けんかに強くなる脳回路――「ビビり脳」と「強気脳」の秘密が明らかに


アメリカのハーバード大学(Harvard)で行われた研究によって、動物が集団の中で「勝ち組」と「負け組」に分かれる仕組みが、脳の中のある神経回路によって調節されていることが明らかになりました。

研究では脳内の視床背内側核(MDT)という領域が、攻撃的な行動を促す信号(アクセル)と、過剰な攻撃を抑える信号(ブレーキ)を統合していることが分かりました。

さらに、このMDTを実験的に活性化すると、通常は弱気なマウスでも操作をしている間だけ積極的になり、一時的に「勝ち組」のように振る舞えることも確認されました。

目に見えない負け組と勝ち組を脳はどのように感じているのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年8月11日に『Cell』にて発表されました。

目次

  • なぜマウスは「負け」を感じる?
  • 脳が作る「弱気」と「強気」の分かれ道
  • 【まとめ】社会的順位から見える人の心

なぜマウスは「負け」を感じる?

動物の世界では、群れの中に必ずといっていいほど順位があります。

例えば、サルやライオンの群れにはボスとなるリーダー(優位個体)と、それに従う下位の個体が存在します。

このような「序列(社会的順位)」は、動物同士の無駄なケンカを減らし、群れの中の秩序を保つために役立つと考えられています。

人間社会でも同じように、集団の中にリーダーやそれに従う人々が自然に生まれることがあります。

例えば学校のクラスやスポーツチームでも、中心的な人物やその人を支えるメンバーが自然と決まっていくことがよくあります。

しかし、そもそも「なぜある個体がリーダーになり、別の個体がそれに従うようになるのか?」という根本的な仕組みは、まだ詳しく分かっていませんでした。

これまでの研究では、順位を決定する要素として、体格の大きさやホルモンの影響が考えられていました。

特にホルモンについては、テストステロンという攻撃性や闘争心に関連する物質が注目されていました。

例えば、順位の高い動物ほどテストステロンが多く、そのため攻撃的になるのではないかという仮説がありました。

実際に、この研究チームが観察したマウスでも、順位が高いマウスは精子の数が多く、テストステロンなどのホルモンと何らかの関連があることが示唆されました。

ただし、ホルモンや体格だけで順位が完全に決まるわけではありません。

つまり、「脳の中では何が起きているのか?」という点は、依然として謎のままだったのです。

そこでアメリカのハーバード大学(Harvard)を中心とした研究チームは、マウスを使って、この順位を決定する脳の仕組みを詳しく調べることにしました。

この研究では、数匹のオスマウスをグループにして飼育し、一定期間の間、順位を決めるための実験を行いました。

まず、実験を開始する前にマウスをそれぞれ別々に飼育します。

次に、「なわばり争いテスト」という実験で、他のマウスの縄張り(巣箱)に侵入させて対戦させます。

その後、「チューブ試験」と呼ばれる別の実験を行います。

チューブ試験では、細い透明なチューブの両端から2匹のマウスを同時に入れます。

この2匹はチューブの真ん中で正面から押し合いをして、先にチューブから出てしまった方が負けになります。

これらのテストを段階的に行い、最終的にどのマウスが強くて、どのマウスが弱いかを調べました。

実験の結果、非常に興味深いことが分かりました。

これまで多くの人が考えていたように、順位は「強いマウスが積極的に攻撃することで決まる」わけではなかったのです。

実際には、順位が低い方のマウスが「怖がって逃げる」など、防御的な態度を取ることによって勝敗が決まることが多かったのです。

具体的には、中間くらいの強さのマウスは、自分より強い相手に対すると防御的になり、すぐに怖じ気づいてしまいます。

一方で、自分より弱い相手には積極的に攻め込んでいきます。

つまり、「順位が高いマウスが攻撃的すぎるから順位が決まる」のではなく、「順位が低いマウスが怖がって防御的になることで順位が決まる」ことが明らかになりました。

このような相手との関係性が繰り返されることで、次第に順位が安定していったのです。

2人の人間でたとえれば、両者の上下は一方が攻撃的だから上になるのではなく、もう一方が最初から逃げ腰になることで決まると言えるでしょう。

これは納得感がある人も多いはずです。

研究チームは次の段階として、「では、なぜ順位が低いマウスは相手によって態度を変えるのだろうか?」という謎に迫るために、マウスの脳の活動をさらに詳しく調べることにしました。

脳が作る「弱気」と「強気」の分かれ道

研究チームがマウスの脳活動を詳しく調べると、勝ったときと負けたときで脳の働き方が正反対になっていることが分かりました。脳にはさまざまな役割を持った領域がありますが、今回特に注目されたのは「前帯状皮質(ぜんたいじょうひしつ)」という領域です。

ここは脳の中央付近にあり、不安や恐怖を感じた時に活発になる場所として知られています。

言い換えるなら、動物が危険を感じて「ビクビク」する時、この前帯状皮質の神経細胞(ニューロン)が活発に活動しています。

実際に、実験で負けたマウスの脳を調べると、この前帯状皮質が非常に強く活動していました。

一方で、勝ったマウスでは前帯状皮質の活動は静まり、不安や恐怖をあまり感じない状態になっていました。

これとは正反対の働きをするのが、「背内側前頭前野(はいないそくぜんとうぜんや)」という、前頭前野の一部です。

この背内側前頭前野は、積極的な行動や自信に満ちた態度を生み出す領域として知られています。

例えば、困難に立ち向かう時やチャレンジ精神が高まる時には、この領域が活発になります。

勝ったマウスの脳では、この背内側前頭前野が非常に活発に働いており、負けたマウスでは逆に低下していることが分かりました。

つまり、マウスの勝敗というのは、脳の中で「不安を感じる領域(前帯状皮質)」と「積極性を生み出す領域(背内側前頭前野)」の働きが逆方向に変化することで決まっていたわけです。

勝つマウスの脳は、恐怖心が静まり、勇気や積極性が湧き上がっている状態だと言えるでしょう。

次に研究チームが知りたかったのは、「では、何がこの二つの領域のバランスを調節しているのか?」という点です。

ここで重要になったのが、脳の奥深くにある「視床(ししょう)」という部位です。

視床は脳のあちこちの領域から情報を受け取り、それを整理して他の場所へ伝える、いわば「脳の交通整理センター」のような働きをしています。

その視床の中にある「視床背内側核(ししょうはいないそくかく、MDT)」という特別な場所が、この研究の鍵でした。

このMDTは、脳内の二つの重要な領域から異なる種類の信号を受け取ります。

一つ目は「眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)」という領域から来る信号で、マウスに「積極的に攻めろ!」というゴーサインを出すような、いわば「アクセル」の役割をしています。

もう一つは「基底前脳(きていぜんのう)」という領域から送られる信号で、こちらは「行き過ぎるな、慎重に!」という「ブレーキ」の役割を果たします。

MDTはこれら二つの「アクセル」と「ブレーキ」の情報を受け取って、それをうまくバランスを取りながら、前帯状皮質や背内側前頭前野に伝える役目をしています。

実際に強いマウスでは、このMDTへの「アクセル」の信号が強まり、「ブレーキ」の信号が弱くなることが分かりました。

そのためMDTは活発に働き、結果として不安や恐怖を司る前帯状皮質を静かにする信号を送り、背内側前頭前野を活発にさせることで、積極的に相手と戦えるようにしています。

一方で弱いマウスでは、「ブレーキ」である基底前脳の信号が強いため、MDTの働きが抑えられてしまいます。

その結果、前帯状皮質の働きが高まってしまい、マウスは不安や恐怖を感じやすくなり、消極的になってしまいます。

つまり、MDTが脳の中でアクセルとブレーキのバランスを調整し、「勝つ脳」と「負ける脳」を作り出していることが明らかになったのです。

さらに研究では、「なぜ強いマウスのMDTはより活発なのか?」という疑問にも答えました。

MDTの神経細胞には「TRPM3」という小さな穴のような分子があり、この穴を通じて細胞の活動を高めるイオン(カルシウムなど)が入り込む仕組みがあります。

強いマウスではこのTRPM3がたくさん作られていて、MDTの神経細胞がより活発に活動できる状態になっていました。

実際、このTRPM3を薬で人工的に刺激すると、弱いマウスでも一時的に積極性が増して戦えるようになることが確認されました。

まとめると、この研究で明らかになったのは、脳の中で社会的順位を決めるために重要な回路があることです。

視床背内側核(MDT)という「脳の連絡センター」が、アクセル役の眼窩前頭皮質とブレーキ役の基底前脳からの信号を受けて、その強弱を調節しています。

MDTが活発になると前帯状皮質が静まり、背内側前頭前野が元気になり、マウスは恐怖心が薄れ、積極的に相手に立ち向かえるようになります。

また、TRPM3という分子がこのMDTの活動をさらに高め、強いマウスがより強くなれるよう脳内環境を整えていたのです。

この研究は、動物の社会的行動が脳の特定回路や分子レベルで調整される仕組みを初めて具体的に示した、非常に重要な発見なのです。

【まとめ】社会的順位から見える人の心

この研究によって、動物が集団の中で「勝ち組」と「負け組」のような順位に分かれる仕組みが、脳の働きという視点から詳しく明らかになりました。

これまでも、動物の群れでは力関係に基づく順位が自然にできることはよく知られていましたが、「なぜ順位ができるのか?」という理由を、脳の中の回路や分子の働きまで掘り下げて調べた例は多くありませんでした。

今回の研究チームは、マウスの脳を調べて、この疑問に対して明確な答えを提示しました。

まず、この研究で最も注目すべき発見の一つが、「TRPM3」という分子が社会的な行動や順位に影響を与えることが明らかになった点です。

TRPM3とは、細胞の表面に存在し、カルシウムというイオン(電気を帯びた小さな粒子)が細胞内に入る際の通り道として働く分子です。

脳の神経細胞が活動するためにはカルシウムが必要で、この通り道がよく開いているほど細胞が活発に働きます。

つまりTRPM3は、いわば脳の細胞を元気にするための「スイッチ」のような役割を持つのです。

今回の研究では、このTRPM3の働きが順位と深く関わっていることを、実験によって初めて明らかにしました。

強いマウス(勝ち組)の脳内にある神経細胞では、このTRPM3がたくさん作られており、その結果、脳の中でも特に「視床」という場所にある神経細胞が元気に活動していました。

視床は脳の中央に位置しており、さまざまな情報を集めて、それを脳の他の場所に伝える役割を持つ「連絡センター」のような存在です。

この視床が活発だと、脳内で「怖さ」や「不安」を感じる役割を持つ「前帯状皮質」という場所の活動が抑えられ、逆に積極性や意欲を生み出す「前頭前野」の活動が高まります。

つまりTRPM3がよく働いているマウスでは、「怖気づかず、積極的に戦える」ような脳の状態が自然に作られるわけです。

ただ、研究チームは同時に注意深く、このTRPM3だけが順位を決める全てではないことも指摘しています。

順位というのは複雑な行動なので、TRPM3以外にも同様の働きを持つ別の分子が存在する可能性があります。

つまり順位の決定は、「単独のスイッチ」ではなく、「いくつもの分子が協力して働く複雑な仕組み」であると考えられています。

また、この研究では脳内の回路構造についても詳しく調べ、順位決定に関係する複数の脳領域が協力し合う仕組みを明らかにしました。

順位決定に関わる脳の領域としては、「視床」だけではなく、「前帯状皮質」や「前頭前野」、さらには「眼窩前頭皮質(攻撃や積極性を伝える部分)」や「基底前脳(不安や抑制的な感情を伝える部分)」も重要です。

これらの複数の領域が、ちょうど電車が複数の駅を経由して目的地に情報を届けるように、協力して一つの行動を作り出しています。

このように脳が連携して働くことで、動物は自分の置かれた社会的状況に応じて、柔軟な行動を取ることができるのです。

さらに今回の研究結果は、これまでの理解とは異なる新しい事実も提示しました。

これまでの一般的な理解では、順位というのは「強い個体が攻撃的に振る舞うから勝ち、弱い個体は負ける」と考えられることが多かったのです。

しかし実験から分かったのは、実は「負ける側が怖気づき、戦意を失う」ことの方が、順位を決定する上でより重要だということです。

つまり順位は、「攻撃する側の強さ」よりも、「攻撃される側がどれだけ怖がり、防御的になるか」という「心理的な側面」の方が決定的な役割を果たしていたのです。

そしてもう一つ、脳の仕組みに関する新たな発見として、「前帯状皮質(不安を感じる脳領域)」と「前頭前野(やる気を起こす脳領域)」がシーソーのように逆の方向に働くことも示されました。

勝つときには前帯状皮質が静かになり、前頭前野が活発になる。

逆に負けるときには前帯状皮質が活発になり、前頭前野が静まる。

このように脳の中では、状況に応じて二つの領域が絶妙なバランスを取りながら行動を調整していたのです。

とはいえ、この研究はあくまでもマウスを対象にした基礎研究ですから、すぐに人間の行動や精神的な問題に応用できるわけではありません。

しかし脳の基本的な仕組みというものは、動物も人間も共通する部分が多いため、今回明らかになった仕組みが人間にも存在する可能性はあります。

実際に人間の社会でも、「地位」や「自信の有無」が心の健康や行動に影響を与えることはよく知られています。

もしかすると私たち人間の脳にも、「怖気づきを抑えて積極性を高める」ための回路が同じように存在し、そのバランスが乱れることで社会的不安やうつ病、自閉症スペクトラム障害などの問題が起きている可能性があります。

このように考えると、今回の研究は人間の精神疾患の治療法を開発するための、重要なヒントとなるかもしれません。

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元論文

Molecular and neural control of social hierarchy by a forebrain-thalamocortical circuit
https://doi.org/10.1016/j.cell.2025.07.024

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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