アメリカのアトリウム・ヘルス(Atrium Health)およびノースダコタ睡眠センター(North Dakota Center for Sleep)で行われた最新の研究によって、「就寝前の性行為やオーガズムが、慢性的な不眠症の改善において睡眠薬に匹敵する、あるいはそれを上回る効果を持つ可能性がある」ことが明らかになりました。
研究では参加者の約75%が、性行為後の夜に「睡眠の質が良くなった」と答え、64%が「睡眠薬よりも効果があるか、少なくとも同程度だった」と評価しています。
古くから映画や小説などで描かれてきた「性行為の後は眠りやすい」という言い伝えが、ついに科学的な裏付けを得ることになったのです。
しかし、なぜ性行為に睡眠を促す作用があるのでしょうか?
研究内容の詳細は『SLEEP』にて発表されました。
目次
- 俗説から科学へ:「セックスは睡眠に良い」の真相を探る
- 性行為がもたらす睡眠改善効果、驚きの数字が明らかに
- なぜ性行為は睡眠薬に勝ったのか?
俗説から科学へ:「セックスは睡眠に良い」の真相を探る

ベッドに入ってもなかなか眠れない夜を経験したことはありませんか?
時計の針を見つめながら、「あと何時間しか眠れない」と焦れば焦るほど目が冴えてしまう——そんな悩みを抱えている人は少なくありません。
実際、これまでの研究では成人の約10%が慢性的な不眠症を抱え、加えて約20%が断続的に不眠の症状を経験しているとされています。
不眠が続くと、日中の眠気や疲れを引き起こすだけでなく、仕事や勉強に集中できなくなり、精神的なストレスや不安を悪化させることもあります。
さらに慢性化すると、うつ病や不安障害などのメンタルヘルスの問題にもつながりかねません。
だからこそ、不眠症をどうやって改善するかは、多くの人にとって切実な問題になっています。
そんな不眠症の治療として、最も一般的に使われているのは睡眠薬です。
しかし、睡眠薬には依存性があったり、長期間飲み続けると副作用のリスクが増えたりするという問題があります。
最近の研究でも、睡眠薬を長期にわたって服用すると身体的・精神的な依存を引き起こす可能性が指摘されています。
そのため、最近では睡眠薬に頼らず、もっと自然な方法で睡眠の質を高めたいと考える人が増えています。
具体的には、就寝前にハーブティーを飲んだり、ストレッチや瞑想をしたりといった、さまざまな工夫を試みている人も多いでしょう。
そこで注目されたのが性行為です。
「性的な行為をした後はよく眠れる」という話を耳にしたことはないでしょうか?
映画やドラマ、小説の中でも、セックスをした後に登場人物が心地よく眠りに落ちるという描写は珍しくありません。
コラム:動物も交尾の後に眠くなる
「セックスのあとに眠くなる」という現象は、実は動物の世界では先行して確認されています。ラットやマウスなどのげっ歯類、さらには一部のサルやボノボなどの霊長類では、交尾後にメスが身体を横にして動きを止める、あるいは眠りやすくなるという行動がよく観察されます。これは生物学の世界で「交尾後の休息行動(Post-copulatory immobility)」と呼ばれる現象です。一見すると、単に疲れたから、あるいはリラックスしたから休息しているようにも見えますが、実は生物学の分野では以前から「精液が体外に流れ落ちるのを防ぎ、妊娠の確率を高めるため」という仮説が真剣に議論されています。つまり、交尾の直後にメスが体を横にすることで、重力によって精液が流出することを防ぎ、精子を膣内にできるだけ長く保持して受精の可能性を高めているのではないかという考え方です。アメリカの心理学者ドナルド・デュースベリー(Donald A. Dewsbury)は、1982年に発表した研究のなかで、ラットやマウスといったげっ歯類のメスにおける交尾後の休息行動が、精液を膣内に保持する効果を持ち、妊娠成功率を高める可能性を指摘しています(Dewsbury, 1982)。また、イギリスの研究者ロビン・ベイカー(Robin Baker)とマーク・ベリス(Mark Bellis)は、1995年に出版した著書『Human Sperm Competition』の中で、人間を含む哺乳類において、交尾後に特定の姿勢をとることが精液を膣内により長く保持する可能性について詳しく検討しています(Baker &Bellis, 1995)。では、人間の場合はどうでしょうか? 人間においても、性行為の後に女性がしばらく横になった姿勢を取ることが妊娠成功率をわずかに高める可能性については、一部の研究で示唆されています。ただ、人間は文化的・社会的な要素が強く影響しているため、明確な効果を実証するのは容易ではありません。
しかし、意外なことに、これまでこうした「セックスと睡眠の関係」を科学的に本格的に調べた研究はほとんどありませんでした。
つまり、この身近な現象が単なる俗説なのか、本当に科学的根拠のある現象なのか、まだよくわかっていなかったのです。
そこで今回の研究チームは、この長年の「常識」をきちんと科学的に検証することにしました。
もし本当に性行為が睡眠の改善に効果があるのなら、それは睡眠薬に頼らない新しい治療法として有効かもしれません。
性行為によって本当に睡眠は改善するのか?
そしてもし改善するとすれば、その効果は睡眠薬と比べても劣らない、あるいはそれ以上に優れているのでしょうか?
性行為がもたらす睡眠改善効果、驚きの数字が明らかに

性行為によって本当に睡眠は改善するのでしょうか?
もし改善するとすれば、その効果は睡眠薬と比べても劣らない、あるいはそれ以上に優れているのでしょうか?
この疑問に対する答えを得るため、研究者たちはまず、実際に不眠に悩む人々を対象にアンケート調査を行うことにしました。
研究チームは、小規模な予備調査として25歳から49歳までの成人男女53人を対象にオンラインでアンケートを実施しました。
参加者のうち66%は、過去に不眠を改善する目的で睡眠薬を使用した経験を持つ人たちでした。
つまり、睡眠の問題をよく理解し、睡眠薬の効果も知っている人々を中心に調査を進めたのです。
アンケートの内容はシンプルで、参加者には普段の睡眠の質や睡眠薬の使用状況に関する質問のほか、「就寝前に性的な活動(オーガズムを伴う行為)をした夜の睡眠の状態」について詳しく答えてもらいました。
具体的には、「性行為のあとの夜は、普段よりも眠りやすかったか」「睡眠薬を使ったときの睡眠と比べてどちらの方が効果的だったか」など、性行為と睡眠薬の両方を経験しているからこそ比較できるような内容です。
その結果、非常に興味深い事実が浮かび上がりました。
なんと参加者の約75%が、「就寝前に性行為(特にオーガズムに至った場合)を行うと、いつもより眠りやすくなった」と回答したのです。
これはつまり、調査に協力した4人のうち3人が、性行為を睡眠の質を改善する有効な方法として感じていたことになります。
さらに興味深かったのは、睡眠薬と性行為を比較した結果です。
睡眠薬と性行為を比べた場合、「睡眠薬は性行為と同じくらい、または性行為ほどの効果がなかった」と感じた人が64%に達しました。
つまり多くの人は、睡眠薬を服用したときよりも性行為を行った夜の方が睡眠の質が良いと実感していたのです。
また参加者たちは、性行為後の睡眠について具体的な感想を寄せています。
多くの人が「夜中に目覚める回数が減った」「眠りが深くなった気がする」「翌朝の気分が良かった」など、睡眠の質そのものが改善したと報告しています。
ただし、この睡眠改善効果には重要な条件がありました。
それは性行為が「オーガズム(性的な絶頂)」に達した場合に限って、特に顕著だったということです。
オーガズムに至らなかった場合は、多くの人が睡眠に対する効果を感じなかったと答えています。
言い換えれば、睡眠改善効果のカギは性的快感のピークに達することであり、パートナーとの性交渉に限らず、マスターベーションなどであっても同じ結果が得られました。
しかし、一部の研究者は、パートナーとの性行為によるオーガズムの方が、ひとりで行う場合よりも睡眠に関わるホルモンの分泌が多く、より高いリラックス効果をもたらす可能性もあると指摘しています。
このあたりの詳細なメカニズムについては、さらなる研究が必要です。
この調査結果から、性行為が睡眠改善のための有効な手段である可能性が示されました。
しかし、これはまだ比較的小規模で自己申告による予備調査にすぎません。
本当に性行為が睡眠薬を超えるほどの効果を持つのか、そしてその効果の詳細なメカニズムは何なのかを明らかにするためには、もっと大規模で客観的なデータを用いた調査が必要です。
では、なぜ性行為によって睡眠が改善するという結果が得られたのでしょうか?
なぜ性行為は睡眠薬に勝ったのか?

今回の研究によって、「性的な行為(特にオーガズムに達した場合)が睡眠薬と同じか、それ以上に睡眠の改善に役立つ可能性があること」が示されました。
では、なぜ性行為は眠りやすさにつながるのでしょうか?
その理由として専門家が注目しているのは、「ホルモン」の働きです。
実は私たちが性的な快感のピーク(オーガズム)に達するとき、脳や体内からさまざまなホルモンが一気に放出されます。
その中でも特に注目されているのが、「プロラクチン」というホルモンです。
プロラクチンは「リラックスホルモン」とも呼ばれ、強い満足感や心地よい眠気をもたらす作用があります。
実際、過去の研究では、男女とも性行為後にプロラクチンの量が普段の約4倍に増えることが確認されています。
これが、いわゆる「賢者タイム」と呼ばれる、性的興奮が収まった後の独特なリラックス状態を作り出している可能性があります。
また、オーガズムの直後には、「幸せホルモン」とも呼ばれるオキシトシンも大量に放出されます。
オキシトシンはストレスや不安を和らげ、パートナーへの愛着や安心感を高めることが知られています。
つまり、性行為のあとには、「ホルモンの癒やしカクテル」が作られているようなものなのです。
さらに興味深いのは、性的興奮が鎮まった後にはストレスホルモンであるコルチゾールの分泌が減少するという点です。
コルチゾールが減ればストレスが軽くなり、よりスムーズに眠りに入ることができます。
一部の研究によれば、特に女性の場合、性的満足によって女性ホルモンであるエストロゲンの分泌が促進され、脳がより深い休息を取るためのREM睡眠が増える可能性も指摘されています。
しかし、ホルモンだけで全てを説明できるわけではありません。
心理的な側面から見ても、性行為は強力なリラックス効果を持っています。
パートナーとスキンシップを取ったり、親密な時間を過ごしたりすることは、日常生活で溜まった緊張や不安を忘れさせてくれます。
専門家も「性行為はストレスを軽減し、睡眠を深く、良質なものにする助けになる」と述べています。
忙しい日々の中で仕事や人間関係の悩みに追われているときでも、パートナーとの触れ合いによって心が落ち着けば、深く安定した眠りを得られる可能性が高まるのです。
今回の調査はこうした可能性を示しましたが、一方で調査自体は非常に小規模で、参加者も若年層に限られていました。
また睡眠の質の評価が主観的なアンケートに基づいているため、客観的な測定結果ではないという限界があります。
つまり今回の結果は、あくまで「予備的なデータ」であり、確定的な結論を出すためには、さらに大規模かつ厳密な調査が求められます。
研究者自身も「今回のデータはまだ予備的なものだが、性行為が睡眠を改善する方法として頻繁に使われているという発見はとても興味深い」と述べており、今後さらなる研究を行う必要があることを強調しています。
それでも今回の研究は不眠症に悩む人たちにとって新しい選択肢を提示した点で意義があります。
睡眠薬に頼ることに抵抗がある人や、副作用や依存のリスクを避けたい人にとって、自然で健康的な方法として性行為を取り入れることは魅力的かもしれません。
特にパートナーがいる場合は、二人の関係を深めながら睡眠の質も改善できるという、一石二鳥の効果が期待できます。
これまで漠然と信じられてきた「夜にセックスをするとよく眠れる」という言い伝えが、科学的な研究によって初めて裏付けられたといえるでしょう。
ただし、注意点もあります。
性行為が必ずしもすべての人に良い影響をもたらすわけではありません。
過去に性的なトラウマを経験した人や、パートナーとの関係にストレスや問題を抱えている場合は、かえって精神的な緊張を高めて睡眠を妨げる可能性があります。
また、パートナーがいない人や状況的に性行為が難しい場合も考えられます。
性行為を睡眠のための義務的な手段と捉えるのではなく、あくまで自然で楽しめる範囲内で取り入れることが重要です。
総じて、今回の研究はオーガズムを伴う性的な行為が心と体を深くリラックスさせ、良質な睡眠につながる可能性を示したという点で画期的でした。
今後、さらなる研究が進み、より明確なメカニズムや効果的な方法が明らかになれば、睡眠薬に代わる自然な睡眠改善方法として広く受け入れられる可能性があります。
慢性的な不眠に悩む人たちにとって、「パートナーとの親密な時間」が思わぬ快眠への近道となるかもしれません。
元論文
0405 How Well Does Sexual Activity Improve Sleep When Compared With Pharmacologic Sleep Aids?
https://doi.org/10.1093/sleep/zsad077.0405
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部