宇宙の“最終章”は、私たちがこれまで考えていたより桁違いに早まるかもしれません。
オランダ・ラドバウド大学のファルケ教授らの研究チームは、ブラックホールに限られていると思われていた量子蒸発メカニズムを、「重力ペア生成」と名付けてあらゆる重力場に一般化する理論の構築に成功しました。
新たな理論によれば、白色矮星の寿命が従来想定される約10¹¹⁰⁰年(1の後に0が1100個続く年数)から約10⁷⁸年(1の後に0が78個続く年数)へと大幅に短縮されることが示されています。
白色矮星は宇宙で最後に残る天体と言われるほど長寿命だとされていましたが、事象の地平線を持たない物体にも量子蒸発が起こるとすると寿命は10¹⁰²²倍早く終わってしまうことになります。
ファルケ教授は「究極の宇宙の終わりは予想よりはるかに早まりますが、それでも私たちには想像を絶するほど長い時間が残されています」とコメントしています。
では、なぜ事象の地平線を持たない普通の物体にも量子蒸発が及ぶのでしょうか?
研究成果は2025年5月12日付で『Journal of Cosmology and Astroparticle Physics』に発表されました。
目次
- ホーキング放射的な量子蒸発は日常物体へ拡大できる
- 人体も月も10⁹⁰年で量子蒸発してしまう
- 実際に全てが量子蒸発する日は来るのか?
ホーキング放射的な量子蒸発は日常物体へ拡大できる

ブラックホールがやがて蒸発して消える――そんな驚くべき理論を1970年代に提唱したのが、故スティーブン・ホーキング博士でした。
ホーキング博士は1975年、量子効果によってブラックホールの近傍から粒子や放射線が放出されうることを示し、ブラックホールも少しずつエネルギーを失って縮小していくという仮説を発表しました。
これは「ホーキング放射」と呼ばれる現象で、当時の常識(古典的な一般相対性理論ではブラックホールの事象の地平線面積が減少せず、ブラックホールは基本的に「小さくならない」と考えられていた)を覆す革新的なアイデアでした。
ホーキング放射によれば、ブラックホールでは事象の地平線(脱出不能の境界)の付近で粒子のペアが突然現れ、一方がブラックホールに飲み込まれ、もう一方が外へ飛び出すことがあります。
その結果、ブラックホールはごくゆっくりと質量を失い、最終的には完全に「蒸発」してしまうと考えられています。
近年、このホーキング放射の概念をブラックホール以外にも拡張できるのではないかと注目されるようになりました。
2023年には、ラドバウド大学のハイノ・ファルケ教授(ブラックホール物理学者)、マイケル・ヴォンドラック博士(量子物理学者)、ヴァルター・ヴァン・スイレコム教授(数学者)からなる研究チームが、「中性子星のような他の天体でもブラックホール同様に蒸発しうる」ことを理論的に示唆したのです。
この先駆的な研究は大きな反響を呼び、「では具体的に他の天体が蒸発し尽くすにはどれほどの時間がかかるのか?」という疑問が科学界内外から寄せられました。
そこで今回研究者たちは、ホーキング放射と同様の量子効果に由来する重力ペア生成が宇宙全体の寿命に与える影響を定量的に評価し、恒星の残骸(白色矮星や中性子星など)の寿命に上限を与えることを目的として研究を行いました。
人体も月も10⁹⁰年で量子蒸発してしまう

ブラックホールではない天体が蒸発し宇宙が終わってしまうまでどれほどかかるのか?
もちろん宇宙全体の寿命を直接“実験”することはできませんが、研究チームは理論計算によってさまざまな天体の蒸発時間を求めました。
その結果、ホーキング放射と同様の量子効果による重力ペア生成によって生じる蒸発時間は、おおまかには天体の平均密度によって決まり、質量が変化すると若干の違いが生じることが示されました。
重力ペア生成とは何か?なぜ量子蒸発を起こすのか?
「重力ペア生成」とは少し耳慣れない言葉かもしれませんが、実は宇宙の運命を大きく左右する可能性を秘めた、とても興味深い現象です。今回の研究によると、星やブラックホールがこの「重力ペア生成」によって、いつかは消滅してしまう可能性があるというのです。一体どういうことでしょうか?
この話を理解するためにはまずブラックホールでみられる量子的な蒸発といえる現象(ホーキング放射)を知る必要があります。
「量子の世界」では何もないように見える真空でも、実は小さなエネルギーの揺らぎが常に起こっていて、粒子と反粒子という2つの仮想粒子が一瞬だけペアになって生まれては消える、ということが頻繁に繰り返されています。このような粒子は通常あっという間に消えてしまいます。
しかし、もしこれがブラックホールのような強い重力場の中で起きると、ちょっと不思議なことが起こります。重力が強い場所では空間が歪んでいるため、粒子のペアが生まれた後、それらがそれぞれ違う経路をたどることになります。そうすると、粒子と反粒子が完全に元通りに重なることが難しくなり、再び消滅することができなくなってしまうのです。
その結果、一方の粒子だけが外へ逃げ、もう一方はブラックホールに取り込まれることになります。
このとき天体は、外へ逃げた粒子のエネルギー分だけ自分自身のエネルギー(質量)を失うことになります。
無から生じた粒子と反粒子が再び無に帰れば問題はありませんが、分裂したペアがそれぞれ別の道を行くことが確定すると、その実在分のエネルギーをどこかが肩代わりしなければなりません。
でなければ宇宙に勝手に質量エネルギーが加算されて、エネルギー保存則に反することになってしまいます。
そのツケ回収担当となるのが既に実在するブラックホールの質量エネルギーとされています。
このように――ほんのわずかずつ――しかし確実に――体重計の針が軽くなる。これがブラックホールでみられる量子蒸発と呼ばれる現象です。
そしてここからが新しい「重力ペア生成」の話になります。
新たな研究ではこの量子蒸発がブラックホールという極限的な天体限定の話ではなく、普通の物体にも当てはまる可能性があることが示されています。
実際には陽子崩壊や天体衝突など別のプロセスが先に物体を壊してしまうと考えられるため、人間や月がそこまで長寿を保つ保証はありません。
それでも「ブラックホール専用だった量子蒸発が、重力さえあれば物体を選ばず働くかもしれない」という発想は魅力的です。
また重力ペア生成はホーキング放射の“いとこ”にあたり、同じ真空ゆらぎを使いながら、事象の地平線を必要としないという点でより一般的なメカニズムと言えます。もしこの量子蒸発が本当に普遍ルールなら、私たちの日常品までもが気の遠くなる未来で静かに“溶けて”いく運命にある――そんな宇宙の長大な未来を、一つの簡潔な数式が示唆しているのです。
理論によれば密度を3倍にすると蒸発までの時間はおおよそ5倍強に縮み、逆に密度を10分の1にすると時間は30倍近くに膨らむ計算になります。
ただ常に密度が高いほど早く蒸発するかと言えば、実際にはそう単純ではありません。
計算によれば、超高密度の中性子星と太陽質量程度の恒星ブラックホールはいずれも約10⁶⁷年(1の後に0が67個続く年数)という同程度の時間をかけて蒸発することが分かりました。
重力が非常に強いブラックホールの方が早く消えてもおかしくないように思えますが、「ブラックホールは自身が放出した放射の一部を再吸収する性質があり、これが蒸発の速度を予想より遅くしています。これは表面を持たないブラックホール特有の挙動です」と共同研究者のマイケル・ヴォンドラック博士は説明しています。
つまり新たな理論でブラックホールは少し寿命の得をする場合もあるわけです。
(※質量が小さいブラックホールは中性子星よりわずかに短命ですが、数倍以上重くなると逆に中性子星よりも長命になるという質量依存の面があるのです。)
一方、白色矮星のような比較的低密度の天体では、蒸発完了までに要する時間はもっと長くなります。
白色矮星は宇宙で最後まで残る「燃え尽きた星の残骸」と考えられますが、今回の計算では約10⁷⁸年で蒸発し尽くすことが示されました。
従来は白色矮星がホーキング放射のみを考えた場合、事実上永遠に近い約10¹¹⁰⁰年も存続すると考えられていただけに、今回の結果がいかに驚くべき短縮であるかがわかります。
さらに研究チームは、「せっかくなら身近な天体も」との発想から月や人間にまで着目し、それらが蒸発するまでの時間も計算しています。
その結果、月や人間のような小さく低密度な物体でも重力によるペア生成でいずれ消滅するものの、完了までには約10⁹⁰年(1の後に0が90個続く年数)もの気の遠くなる歳月を要すると見積もられました。
(※厳密には人体や月が蒸発するまでには約10⁸⁶~10⁸⁷年とされます。)
これは宇宙最後の白色矮星が消える時期(約10⁷⁸年)よりもはるかに後になります。
言い換えれば理論上は、ホーキング放射だけを考えると、人間や月のような密度の低い物体ほど『蒸発』がゆっくり進むため、白色矮星よりもさらに長期間存続する可能性がある、という奇妙な結論になります。
今回の研究はただ計算しただけではない
論文では、境界としての地平線を仮定せず、球対称かつ漸近平坦な重力場中での質量ゼロスカラー粒子のペア生成を、共変摂動論という量子場理論の手法で厳密に計算しています。その結果、「事象の地平線なしでも、曲率(重力ポテンシャル)の傾きが十分大きければ、仮想粒子対が現実の粒子へ分離する」ことが示されました。
具体的には、ペア生成率を求める波動関数のボゴリューボフ係数を解析的に展開し、その振幅から生じるエネルギー損失を天体の質量エネルギー減少として読み取ります。こうして得られた「蒸発時間 τ は平均密度 ρ の −3/2 乗に比例する」(τ ∝ ρ⁻³ᐟ²)という新しい法則は、ブラックホールだけでなく中性子星や白色矮星、さらには月や人体といったあらゆる重力源に適用可能であることを理論的に裏付けています。
「なぜ事象の地平線を持たない普通の物体にも量子蒸発が起きるのか?」という問いへの答えは、まさに“重力ポテンシャルの曲率そのものが量子ゆらぎのペア生成を引き起こす”という量子場論的予言が存在し、それを具体的に計算で確かめたからにほかなりません。
もっとも、研究者たち自身も指摘しているように、現実には人間や月がそこまで存続する前に別のプロセスで消えてしまうでしょう。
この計算はあくまで「重力場による量子的な蒸発だけを考えた場合にどうなるか」を示した理論値に過ぎませんが、そのような突拍子もない問いを真面目に計算してみせたこと自体がユニークな成果と言えます。
実際に全てが量子蒸発する日は来るのか?

宇宙の終焉についてのこうした試算は、天文学・量子物理学・数学といった異分野の知見を組み合わせることで生まれた意欲的な研究成果です。
極端な未来予測ではありますが、「すべてのものはいつか必ず消えてしまう」という宇宙論的な覚悟を改めて裏付けるものでもあります。
ただし幸いなことに、その“最期の時”は気が遠くなるほど遠い未来です。
ファルケ教授は今回の結果について「究極的な宇宙の終わりは予想よりもずっと早く訪れますが、幸いなことに、それでも非常に長い時間がかかります」と述べており、宇宙の寿命が思ったより短いと言っても私たちの想像を絶するスケールでの話であると強調しています。
実際、今回提示された約10⁷⁸年という時間は新しい「上限値」に過ぎず、現実の宇宙が必ずしもそこまで生き延びる保証はありません。
たとえば物理学の未解明要素として陽子崩壊(プロトンの自発的な崩壊)が存在すれば、星の残骸どころか通常の物質そのものがもっと短い時間で崩壊してしまう可能性もあります。
また宇宙論には真空の崩壊やビッグリップなど他にも終末シナリオが提唱されていますが、いずれにせよ宇宙が無限に続かないことは確実です。
こうした極端な状況を通して「量子効果による蒸発」に注目し、宇宙のタイムリミットを概算した今回の研究ですが、その発想と計算は学術的な意味合い以上にロマンに満ちています。
数学者のヴァン・スイレコム教授は「このような疑問を持ち、極端なケースを調べることで、理論をより深く理解し、いつかホーキング放射の謎を解き明かしたいのです」と語っており、極限的な状況を考察することで現行理論の理解を深める狙いがあると強調しています。
誰も目にすることのできない遠い未来の宇宙最期の光景ですが、人類の想像力と科学の力でそこに少しでも光を当てようという研究です。
「宇宙の死」は従来考えられていたより早く訪れるかもしれませんが、それでも私たちには気の遠くなるほど長い時間が残されている――この新理論は、悠久の宇宙に対する畏怖と、科学の探究心の両方を感じさせるものです。
元論文
An upper limit to the lifetime of stellar remnants from gravitational pair production
https://doi.org/10.1088/1475-7516/2025/05/023
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部