皆さんはタバコはお吸いになられますか?
今では「体に悪いからまったく吸わない」とか「健康に気を使って電子タバコに変えてる」という方が多いかもしれません。
それほど「タバコ=有害」という認識は現代人のうちに浸透しています。
しかし数百年も前に遡れば、タバコは健康にすこぶる良いものとして医療用に重宝されていた歴史があります。
その中でも特にびっくりするのが「タバコ浣腸」です。
なんと18世紀の医者は溺れて意識を失った人のお尻の穴にタバコの煙を吹き込んでいたのです。
なぜそんなことをしたのでしょうか?
目次
- タバコはかつて「万能薬」だった
- なぜお尻の穴からタバコの煙を吹き込んだの?
タバコはかつて「万能薬」だった
タバコは私たちの身近にある植物の中で最も毒性の強いものの一つです。
タバコを原因とする死亡者は世界中で年間600〜700万人も出ています。
しかし科学の力によってタバコの有害さが暴露される以前、人類はタバコの中に”病を癒やす力”を見てきました。
今やタバコは世界中に広まっていますが、歴史的に見ると、その起源はアメリカ大陸の先住民たちにあります。
タバコ属は全部で60種以上が知られていますが、その原産地はアメリカ大陸にあり、何千年も前から現地の住民たちによって栽培が続けられてきました。
アメリカ先住民たちはもちろん嗜好品としてタバコを愛煙していましたが、その他に祈祷や儀式の道具にも使っています。
タバコの煙が神聖なメッセージを天に運ぶと信じられていたからです。
またタバコの葉っぱを噛んで頭痛や歯痛の痛み止めにしたり、傷や虫刺されの患部に塗る薬草としても使いました。
それから乾燥させたタバコの葉を煎じて飲めば、下痢止めや腸内改善にもなります。
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その後、15世紀にスペインの探検家たちがアメリカ大陸に辿り着き、あちこちで先住民たちがタバコの煙を楽しんだり、薬として使っているのを目にしました。
そして彼らは現地でタバコの葉を大量に仕入れて、ヨーロッパへともたらしたのです。
突如として現れたタバコはヨーロッパの医者たちにとって非常に刺激的なものでした。
嗜好品として楽しめるだけでなく、あらゆる病気の治療に役立つ「万能薬」と信じられたからです。
当時はまだタバコの裏の顔を暴くだけの科学が発達していなかったため、医師たちは伝えられるがままの俗信や迷信を鵜呑みにし、タバコを使った種々雑多なトンデモ医療がまかり通っていました。
その中でも特にブッ飛んでいたのが「タバコ浣腸」です。
なぜお尻の穴からタバコの煙を吹き込んだの?
タバコ浣腸が最も流行していたのは18世紀のイギリスです。
ロンドンを流れるテムズ川では当時、水難事故が多発していました。
大都市ロンドンの憩いの場として多くの人がテムズ川に集っていたのですが、まだ泳ぎ方が人々の間に浸透していなかったせいで、溺れる人が続出したのです。
イギリスの医学界は「溺れた人たちの何かいい蘇生法はないか?」と頭を悩ましていました。
そこで目をつけられたのが、当時イギリスにも輸入され始めていたタバコです。
ロンドンで医療を営んでいたウィリアム・ホーズ(1736〜1808)とトーマス・コーガン(1736〜1818)は、溺れた人のお尻の穴にタバコの煙を吹き込む「タバコ浣腸」を推進し始めます。
彼らはタバコの煙を吹き込むためのチューブを持ち歩き、テムズ川で溺れて意識を失った人を見つけたら、川から引きずり上げ、服を破ってうつ伏せにし、お尻の穴にチューブを接続して、タバコの煙を吹き込んだのです。
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彼らがタバコ浣腸をしようと考えた理由は2つ。
1つはタバコの煙が体を温めることで、溺れた人の意識が戻ると思ったから。
もう1つはタバコの煙が呼吸器を刺激することで、溺れた人の呼吸が促されると思ったからです。
しかし言うまでもありませんが、タバコの煙をお尻の穴に吹き込んでもそんな効能は得られません。
ただホーズとコーガンはタバコ浣腸の有効性を信じきっており、「溺れた人を見つけたらタバコ浣腸をするように」と推進しました。
その結果、タバコ浣腸のキットも販売されて、一般家庭でも普通に行われるようになったのです。
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ところがチューブを介して口から直接吹き込む方法には難点がありました。
というのも施術者が息を吹き込むのではなく、間違って吸い込んでしまうことがあったからです。
これは単純に汚いだけで済む話ではありません。
水難者がコレラ菌に感染していた場合、施術者はお尻の穴からコレラ菌を吸い込んでしまって感染することがあったのです。
そうして悲惨すぎる死に方をする人が出たため、医師たちは空気を入れるための「ふいご」(上図の右)を開発しました。
ふいごを使うことで、施術者はわざわざ口から息を吹きかけなくても、手や足で安全に救助活動ができます。
しかしそもそもタバコ浣腸にはまったく効果がありませんから、水難者が意識を取り戻さないことも多々ありました。
そこで奥の手として行われたのが「人工呼吸」です。
今日の私たちからすれば「いや、最初から人工呼吸しろよ… 」と思うでしょうが、当時のイギリスではマウス・トゥ・マウスで直接息を吹き込むことが「下品ではしたないもの」と考えられていました。
そのため、医師たちもタバコ浣腸がダメなときはふいごを使って水難者の口から肺に空気を送り込んだといいます。
ところが病院の助産師たちは意識を失った赤ん坊に積極的に人工呼吸をしており、これが非常に効果がありました。
そして科学的にも人工呼吸の正しさが明らかになるにつれて、タバコ浣腸から人工呼吸へと取って代わられるようになるのです。
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その後19世紀に入ると、タバコは徐々に医療目的では使われなくなっていきました。
タバコの葉を燃やすことで発生する物質が体に有害であることがわかってきたからです。
その物質の一つが「ニコチン」であり、これは喫煙者の脳や神経系を興奮させて依存症を引き起こすことで知られています。
20世紀にもなると、タバコはがんや喘息、心疾患、糖尿病などの発症リスクを高めることが明らかになり、さらに今ではタバコを吸っていなくても、喫煙者の煙を間接的に吸う「受動喫煙」も危険であることは皆さんもご承知の通りです。
私たちは幸運にもタバコの有害さを知っている時代に生きていますが、もし18世紀のロンドンに生まれていたら、お尻の穴にチューブを挿し込まれて、タバコの煙を吹き込まれていたかもしれませんね。
参考文献
Special feature: Tobacco smoke enemas
https://bcmj.org/special-feature/special-feature-tobacco-smoke-enemas
Blowing Smoke: The Medicinal History of Tobacco Smoke Enemas
https://www.smokingpipes.com/smokingpipesblog/single.cfm/post/blowing-smoke-the-medicinal-history-tobacco-smoke-enemas
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部