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放射線でゾウリムシの細胞分裂が進む理由、放射線ホルミシスとは?


放射線に関しては、健康に良いとされるものもあるようです。

日本各地には、秋田、山梨、鳥取などにおよそ30カ所のラドン温泉があるとされており、一度は目にした人もいるでしょう。

一般に、ラドン温泉とは原子番号86のラドンガスがお湯に溶け込んでいる温泉のことであり、低線量の放射線を放つことが知られています。

放射線と言えば生命に悪い影響を及ぼすと考えられがちですが、近年の研究ではラドン温泉等の低線量(概ね100ミリシーベルト以下)の放射線がむしろ生命力を向上させ、細胞の増殖や免疫機能を改善し、活性化するという研究結果が発表されています。

地球の大地からの自然放射線は、ウラン、トリウム等の原始地球に初めから存在した放射性核種等に由来しています。

DNAは放射線に敏感ですが、生物は長い進化の間に自然界の放射線に適応し、さらに頼るまでに進化しました

今回は生物と放射線の間にうまれた不思議な現象「放射線ホルミシス」について、ゾウリムシの実験例を挙げて紹介します。

イタリアのナポリ大学(University of Naples)の研究者らによる、疫学における放射線ホルミシスの定義や評価に関する論文は、2023年12月1日付の『Science of The Total Environment』に掲載されています。

目次

  • 低線量放射線で細胞分裂が進むゾウリムシ?
  • ホルミシス効果とは 
  • 低線量放射線に関する最新動向

低線量放射線で細胞分裂が進むゾウリムシ?

一般的に、放射線の生物、特にヒトへの影響に関しては、「放射線の被ばくは、医療被ばくも含め少なければ少ないほど望ましい」と認識されています。

一方で、過去のさまざまな疫学調査では、放射線に関わる幾つかの職業従事者のがんや他の疾患による死亡率や罹患率が一般の人々に比べて低い、という通常の認識と逆行した多くの結果が得られていました。

これらの結果は、放射線には低線量でも生物に対してそれなりに有害な影響がある、としていた従来の概念を覆すものでした。

そのため近年では、低線量の放射線では生体機能を活性化させるなどの有益な効果が生じるという仮説、「放射線ホルミシス」が注目されています。

放射線ホルミシスの概念を最初に提唱したのは、米国ミズーリ大学(University of Missouri)教授で生化学の専門家であるトーマス・D・ラッキー(Thomas Donnell Luckey)教授でした。

彼は1970年代に実施された米国のアポロ計画において、宇宙放射線による宇宙飛行士への被ばくの影響に関する研究の中心人物でした。

宇宙放射線による被ばく量(宇宙ステーション滞在時)は年間約300ミリシーベルト程度となり、日本人の自然放射線による被ばく量の約200倍にもなります。

彼は、人体に有害とされる宇宙放射線の影響を調査するうちに、膨大な疫学調査や研究成果等を見直した結果、1982年の米国保険物理学会で「低線量の放射線に関しては、免疫機能の向上、身体の活性化、病気の治癒力の向上等に貢献する」という意外な報告を行ったのです。

これを契機として、他の研究者からも低線量の放射線は有益な効果があるとの主張がなされるようになり、新たな視点からの低線量による影響の研究が行われ始めました。

低線量の放射線の生物への影響を検証するために、ショウジョウバエ、ラット、マウス等を使った多くの動物実験が行われています。

単細胞生物のレベルでは、自然放射線をほぼさえぎった状態で、ゾウリムシの細胞分裂への影響を調べるという実験が2006年に大阪公立大学で行われています。

この実験では、厚さ15 cmの鉄で覆われた箱の中で、ガンマ線を自然放射線の40分の1、中性子線を6分の1にしてゾウリムシを閉じ込めて3カ月間培養しました。

もし放射線が完全に生物の的ならば、完全に遮断することでゾウリムシたちに対してプラスの影響が起こるハズです。

しかし放射線を完全に遮断して3カ月後、ゾウリムシの細胞分裂は著しく減少してしまったのです。

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ゾウリムシの画像 / Credit: ja.wikipedia

 

この結果は放射線を遮ったことで、細胞が逆に元気を無くしてしまったように見えます。

そこで、今度は逆に箱内に放射線源を設置して自然放射線レベルの環境に戻して見たところ、ゾウリムシの細胞分裂は増加に転じて、通常の分裂を繰り返すようになったのです。

この事実は、「生物は常に低線量の自然放射線が存在する環境下で生きており、その放射線は生命維持の機能に重要な役割を果たしている」と解釈されています。

最近においても、高線量の放射線の影響からは予測できない、有益な効果が低線量では相次いで報告されており、同効果の研究は放射線生物学の中心的な課題の一つとして注目されています。

ホルミシス効果とは 

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わずかな放射線も危険と考えるLNT説とわずかな放射線は有益と考えるホルミシス説の各考え方 ー しきい値を境にして上を有益な領域、下を有害な領域と定義 / Credit : 山岡聖典, 学術の動向(2011)

ホルミシスは、低線量ではむしろ放射線が生物にとって有益な効果を生むという考え方です。

これは、上図の模式的な放射線量−作用(応答)曲線により示すことができます。

横軸が放射線の線量、縦軸がしきい値を挟んで上が生物への有益性(刺激)、下が有害性(悪影響)を示しています。

右下がりの直線(LNT説)は、放射線がどの領域でも生物学的にはプラス効果が無く、有害なマイナス効果のみが線量と共に増加するという考え方を示したもので、しきい値無し直線モデルLNTモデル:Linear Non-Threshold Model)と呼ばれています。

これは、たとえ少しの線量の放射線でも生物には有害であるという考え方であり、放射線防護に基づく国の規制方針はこの厳しい考え方に基づいています。

一方、曲線の方(ホルミシス説)は、低線量においては、ピーク値を持つプラス効果の領域が現れるということを示しています。

さらに線量を上げていくと、効果がないゼロ相当点(しきい値)にまで低下し、その点を境として線量が増えるにつれて有害なマイナス効果が増加することになります。

この曲線では、低線量のある範囲(濃くなっている領域)で生物にとって活性化を促す有益な領域が存在するということを示しています。

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各ストレスの生体防御機能への影響/ Credit : 山岡聖典, 学術の動向(2011)

生物は現在より自然放射線が高い太古の環境下で発生しており、放射線に限らず多様な物理的、化学的ストレスのある状態の中で進化してきました。

例えば、外部からの放射線によって生じる活性酸素や、生体内で作られる桁違いに多い活性酸素によってDNAの損傷が起こりますが、低線量の放射線は、細胞内の分子やイオンの運動を活性化させて、修復に関わる生化学的な反応を加速させると言われています。

これらの細胞の機能が抗酸化物質による活性酸素の除去正確なDNAの修復の促進を行っていると考えられています。

一方で、全く放射線が無い環境では、細胞がストレス応答やDNA修復に関する基礎的なトレーニング機能を失い、結果的に長期的な適応能力が低下する可能性があるとされています。

人間の筋力と同じで細胞も使わない機能は衰えていくようです。

低線量の自然放射線が生物に対してある種のトレーニング効果をもたらし、細胞の機能に有効に働いていると考えられています。

ホルミシスは、低線量の領域で生体の活性化を促すという、生物が進化の過程で獲得してきた重要な生体の防御システムであり、細胞増殖の促進、免疫機能の強化、成長の促進等に多様な効果を示しているのです。

低線量放射線に関する最新動向

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DNA損傷修復のメカニズム / Credit : 高橋克彦(獨協医大)- 低線量率放射線の影響について(2020)

ICRP(国際放射線防護委員会)では、低線量の放射線がヒトの健康に与える影響を推定する場合、「放射線による影響は、線量がいくら低くても生物学的には有害で、その有害な効果が線量と共に増加する」、と仮定したLNTモデルを採用し、各国に勧告しています。

当然ながら、我が国を含め各規制当局としては、国民の安全、健康を守るために安全余裕を十分に考慮した、このICRP の勧告やそれをもとにした厳しいLNTモデルを前提とした設定をする必要がある訳です。

但し、このLNTモデルの是非についてはさまざまな議論があり、フランスの科学アカデミーと医学アカデミーは、100ミリシーべルト以下の低線量の放射線では、がんが発生する可能性は無視できるほど低い、と主張しています。

その報告書では、放射線生物学の研究成果から、低線量領域では被ばくしても損傷を受けた細胞を修復したり、死んだ細胞を正常細胞に置き換えたりする機能が向上することや、必ずしも統計上の白血病の発症傾向が低線量被ばくの影響と整合しないことなどから、年間100ミリシーベルト以下の被ばく線量でLNTモデルを適用することは過剰に厳しい評価になる、としています。

現在、この議論は決着しておらず、原子力の規制当局は放射線防護の観点から厳しいLNTモデルを引き続き採用し、規制要件を緩和するつもりはないようです。

一方で、医療業界および研究機関は低線量放射線の効果(ホルミシス効果)を合理的に活用するという観点から新たな治療法等の研究を進めています。

全ての画像を見る

参考文献

低線量放射線の健康への有益効果と医療への応用の可能性(学術の動向2011.11)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/16/11/16_11_11_75/_pdf/

元論文

The challenges of defining hormesis in epidemiological studies: The case of radiation hormesis
https://doi.org/10.1016/j.scitotenv.2023.166030
自然放射線遮蔽による細胞増殖の低下(日本放射線影響学会第49回大会)
https://doi.org/10.11513/jrrsabst.2006.0.229.0

ライター

鎌田信也: 大学院では海洋物理を専攻し、その後プラントの基本設計、熱流動解析等に携わってきました。自然科学から工業、医療関係まで広くアンテナを張って身近で役に立つ情報を発信していきます。

編集者

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

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