アメリカのカリフォルニア大学で行われた研究により、アルツハイマー病によって失われた記憶を回復させる効果を持った薬「DDL-920」が開発されました。
この薬をアルツハイマー病となったマウスに経口投与すると、認知機能に重要な役割を果たすガンマ波が増強され、マウスたちの記憶が回復し、迷路の道筋を思い出せるようになりました。
研究者たちは同じ効果が人間でみられた場合、アルツハイマー病に伴う記憶の問題を改善できる可能性があると述べています。
研究内容の詳細は2024年8月6日に『PNAS』にて公開されました。
目次
- アルツハイマー病患者では脳のガンマ波が減衰する
- 脳内でガンマ波を発生させる薬「DDL‐920」
アルツハイマー病患者では脳のガンマ波が減衰する
アルツハイマー病では、記憶力や認知能力が低下し、最終的には日常の簡単な作業を行う能力も低下します。
この疾患は、脳内にアミロイドプラークとタウタンパク質が異常に蓄積することで、ニューロン間のコミュニケーションを阻害し、最終的には細胞死につながります。
ニューロンは、コミュニケーションを維持することで生存が促進されるため、このコミュニケーションが失われるとニューロンの機能が低下し、死に至るのです。
近年、アミロイドβの蓄積を抑制する薬としてアデュカヌマブ(Aduhelm®)とレカネマブ(Leqembi®)が開発されました。
しかし、これらの薬の認知障害を回復させる効果は限定的であり、アミロイドβをターゲットとした治療の効果には限界があります。
一方、最近の脳波研究により、パルブアルブミン陽性介在ニューロン(PVニューロン)によって生成されるガンマ波が、認知機能や短期記憶に重要な役割を果たしていることが明らかになってきました。
ガンマ波は異なる脳領域間の情報統合に関与しており、特に認知機能や記憶に関連するテスト中に活動が増加することが知られています。
特に40Hzのガンマ波に焦点を当てた研究が進んでおり、この周波数の光または音の刺激が認知機能を改善する可能性が動物モデルで示されています。
また、アルツハイマー病患者ではアミロイドβの毒性が顕在化する前から、ガンマ波が減少していることが示唆されています。
同様のガンマ波の減少は、パーキンソン病、外傷性脳損傷、自閉症スペクトラム障害、うつ病、統合失調症などでも確認されています。
この結果から、脳外からのガンマ波の供給が、脳内でガンマ波を誘発し、それが認知機能や記憶に影響を与える可能性が示唆されています。
海外から石油を輸入して火力発電所を動かすように、不足しているガンマ波を外部から取り入れて認知機能や記憶能力を活性化させるわけです。
しかし光や音を使ってガンマ波を延々と取り込み続けるのは、目や耳にとって負担になります。
なにより直接的な刺激と異なり、途中に感覚器官を挟む方法は、効率的とは言えません。
そこで今回カリフォルニア大学の研究者たちは、ガンマ波を外部からの供給に頼る代わりに、脳内で直接発生させ、ガンマ波を自給自足させる薬「DDL‐920」を開発しました。
脳内でガンマ波を発生させる薬「DDL‐920」
ガンマ波の自給自足を達成するために、研究者たちは「パルブアルブミン陽性介在ニューロン」と呼ばれる特殊なニューロンに注目しました。
このニューロンは、脳内でガンマ波を生成する役割を持っていることが知られています。
前述のとおり、アルツハイマー病患者ではガンマ波が大幅に減少し、その結果、認知や記憶に悪影響が及んでいます。
研究者たちはこのニューロンを強制的に活性化させる化合物の探索に取り組みました。
特に注目されたのが、パルブアルブミン陽性介在ニューロン表面に存在する「γ-アミノ酪酸A受容体」(GABA_A受容体)です。
この受容体は、パルブアルブミン陽性介在ニューロンがガンマ波を過剰に発生させないようブレーキ役として機能しています。
健康な人では、このブレーキ機能は適切なガンマ波の生成を助けますが、ガンマ波の発生能力が低下しているアルツハイマー病患者には、ブレーキではなくアクセルが必要です。
そのため、研究者たちはこの受容体のブレーキ機能を解除できる化学物質を探索しました。
その結果、「DDL‐920」と名付けられた小分子が、GABA_A受容体を遮断し、ガンマ波放出のリミッターを解除することが判明しました。
次に、研究者たちは実際の有効性を確認するため、アルツハイマー病モデルのマウスにDDL‐920を経口投与しました。
その結果、投与後4.5時間にわたり、アルツハイマー病マウスの脳内でガンマ波が有意に増加していることが確認されます。
しかし、この段階では、DDL‐920が失われた記憶の回復に役立つかどうかは不明です。
人間ならば、過去の記憶を覚えているかをインタビューで確かめることもできるでしょうが、マウスでは不可能です。
そこで研究者たちは次善の策として、マウスに迷路を攻略する訓練を繰り返し行わせました。
迷路を解くには道筋に関する「記憶」が必要であり、迷路攻略時間を調べることで、マウスの記憶が保持されているかを確認できるからです。
実験にあたっては、アルツハイマー病のマウスが用意され、2週間に渡り1日2回、DDL‐920を投与されたグループと、ただの生理食塩水を投与されたグループが比較されました。
するとDDL‐920を投与されたアルツハイマー病マウスは記憶を思い出し、迷路攻略時間が健康なマウスと同じレベルにまで回復していることが明らかになりました。
この結果は、DDL‐920にはアルツハイマー病によって失われた記憶を回復させる効果があることを示しています。
アルツハイマー病患者が記憶を思い出せない理由には、記憶自体がニューロンとともに消失した場合と、記憶は残っているものの思い出せなくなっている場合があります。
コンピューターで例えるならば、前者はハードディスクそのものが壊れてしまった場合であり、後者はハードディスクは無事なもののUSBの差込口のようなデータを抽出する場所が壊れている状態だと言えます。
これまでの研究では、アルツハイマー病患者が特定のきっかけで記憶を思い出せることが示されており、多くのケースで記憶は残っているが想起できないだけである可能性が指摘されています。
DDL‐920の投与によって迷路の突破能力が回復したことは、アルツハイマー病マウスの脳内でも記憶が残っていたが、病気によって想起できなくなっていたことを示唆しています。
研究者たちは、同様の効果が人間でも再現されるならば、DDL‐920によってアルツハイマー病患者の記憶を回復できる可能性があると述べています。
DDL‐920を投与されたマウスたちでは目立った副作用がみられないことも示されており、近い将来、アルツハイマー病患者用の記憶回復薬が承認されるかもしれません。
参考文献
DDL-920: Scientists discover compound that restores lost memories in Alzheimer’s model
https://www.psypost.org/ddl-920-scientists-discover-compound-that-restores-lost-memories-in-alzheimers-model/
元論文
A therapeutic small molecule enhances γ-oscillations and improves cognition/memory in Alzheimer’s disease model mice
https://doi.org/10.1073/pnas.2400420121
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部