もしも世界中の女性が女の子しか産めなくなったらどうでしょうか?
あまりに突飛なSF的アイデアにしか聞こえないかもしれませんが、実は自然界ではこれが現に起こっているのです。
石垣島に生息する「ミナミキチョウ」という蝶は、2015年頃までオスとメスの割合が1:1で均等に存在していました。
ところが福井大学らの調査で、同島のミナミキチョウはその後の4年間で93.1%がメスになっていたことが判明したのです。
これは別に島のオスたちが一斉に逃げ出したり、死んだわけではありません。
この不可思議なメス化現象は、蝶に寄生する細菌「ボルバキア」によって引き起こされたのです。
研究の詳細は2024年5月20日付で科学雑誌『Current Biology』に掲載されています。
目次
- 宿主をメス化させる細菌「ボルバキア」とは?
- わずか4年で島中の9割以上がメス化していた!
宿主をメス化させる細菌「ボルバキア」とは?
昆虫の細胞内には細菌が生息している場合があり、その一部には宿主の生殖を内側から操れるものがいます。
その代表格として有名なのが「ボルバキア(Wolbachia)」です。
ボルバキアは昆虫のおよそ40%の種に寄生しているとされ、宿主が産んだ子のうちオスのみを殺す「オス殺し」や、子をすべてメスにしてしまう「メス化」の能力を持っています。
奇妙な細菌なので、初めて聞いたという人が多いかもしれませんが、人気ゲーム「メタルギアソリッド5」の中で重要な役割を持つ細菌として登場していたので、このゲームのシナリオで知ったという人もいるかもしれません。
メタルギアの中でも、ボルバキアは宿主をメス化する性質があると語られていましたが、なぜこの細菌は昆虫の「メス化」という能力を持つようになったのでしょうか?
これは、ボルバキアが宿主の細胞外では生きられないという点に理由があります。
細胞外で生きられないためボルバキアは基本的に感染性を持っておらず、主に宿主の親から子へと世代を越えて伝播しながら生き延びています。
ただし彼らは宿主の「母から子」へは伝播できますが、「父から子」へは伝播できません。
この理由もボルバキアが細胞外では生きられないという点にあります。ここで言う細胞の中とは細胞膜より内側にある核以外の部分「細胞質」のことを指しますが、ボルバキアは細胞質を持つ卵子の中に入り込むことはできますが、細胞質を持たない精子には入り込むことができないのです。
そのため、オスに伝播したボルバキアはそれ以降の世代には伝わることができないため、ただ宿主が死ぬのを細胞内で待つのみとなります。
このような背景から、ボルバキアの一部は自らの繁栄を確実なものとするために、宿主の子を「メス化」させる能力を獲得したと考えられています。
しかし、このようなボルバキアの性質は世代が進むほど寄生された昆虫を、どんどん繁殖に不利な状況へ追いやっていくように思えます。
実際、自然界の中でボルバキアによる宿主のメス化はどれくらいの影響力を持っているのでしょうか?
実のところ、ボルバキアが昆虫をメス化させることは知られていましたが、これはすでに細菌が広まったあとの状況を見ている場合が多く、まだボルバキアの保有率が低い種の中でこの細菌がどの様に広まっていき、宿主のメス化を進めていくのかはよくわかっていませんでした。
そこで今回の研究チームは、まだボルバキアの保有率が少ない石垣島のミナミキチョウを対象にその影響について調査を行ったのです。
すると、ボルバキアの恐るべきメス化能力が発覚したのです。
わずか4年で島中の9割以上がメス化していた!
2008年の調査で、石垣島に生息する「ミナミキチョウ(学名:Eurema hecabe)」に、「wFem」と呼ばれる系統のボルバキアによってメス化が起きていることが明らかになりました。
このwFemを保有しているメスを実験室に持ち帰って飼育したところ、生まれた子供はすべてメスになることが確認されています。
ただし、その時点におけるミナミキチョウのwFem保有率はわずか8%に留まっていました。
そこで研究チームは、「ボルバキアの保有率がここから徐々に上昇していくだろう」と予測し、2015年から石垣島のミナミキチョウの「wFem保有率」と「オスとメスの割合(性比)」を追跡観測することにしました。
チームは2015年から2022年にかけて、石垣島で合計1392匹のミナミキチョウを採集し、オスメスの性比を記録。
その結果、チームも驚くべき現象が起きていました。
なんと2015年から2018年にかけてほぼ1:1だったオスメス比が、2019年から急激にメスに偏り始め、2022年には実に93.1パーセントがメスとなっていたのです。
さらに採集したメスのwFem保有は2008年に8%だったものの、2017年以降にこれまた急激に上昇し始め、2022年にはメスの87%がwFemを保有していたのです。
また、同島の性比がメスに偏り始めた2019年にメスを実験室に持ち帰って飼育した結果、wFemを保有していた個体は確実にメスしか産まないことも確認されました。
これらの結果から、石垣島のミナミキチョウはボルバキア(wFem系統)が広がることによって、性比がメスに大きく偏ったことが実証されました。
今回の調査は、野外においてボルバキアがわずか4年という短期間で宿主の性比を極端にメス化できることを示した初の成果です。
では今後、島中の9割がメスとなってしまったミナミキチョウたちはどんな運命をたどるのでしょうか?
以前、別の研究では、リュウキュウムラサキという蝶が一時、オス殺しをするボルバキアの蔓延によって著しくメスに偏ってしまったものの、数年でオスメスの性比が1:1に戻った前例が知られています。
これはボルバキアが引き起こす生殖操作への抵抗性を宿主が獲得したことで、やられっぱなしだった蝶が性比を回復できたからのです。
そのため、崖っぷちに立たされたミナミキチョウも抵抗性を獲得できれば、性比を回復できるかもしれません。
しかし、研究者らはこのままメス化が進行すれば、オスが完全にいなくなることで、石垣島のミナミキチョウが絶滅に向かう恐れもあるといいます。
チームは石垣島のミナミキチョウとボルバキアの攻防の行く末を見届けるために調査を続ける予定です。
ひとまず、ボルバキアが人をターゲットにする細菌じゃなくて助かったといえるでしょう。
参考文献
島中がメスばかり -昆虫の細胞内に生息する細菌が宿主の野外性比を急速にメスに偏らせる過程を世界初観測-
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nias/163271.html
元論文
Rapid spread of a vertically transmitted symbiont induces drastic shifts in butterfly sex ratio
https://doi.org/10.1016/j.cub.2024.04.027
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。