あなたが今朝のコーヒーを一口飲んだ瞬間、実は4億6000万年前にまで遡る進化の歴史を味わっていたといったら驚くでしょうか?
ドイツのミュンヘン工科大学(TUM)で行われた最新の研究により、苦味の感覚がこれまで考えられていたよりも遥かに古い、4億6000万年前の海に生息していたサメや魚たちの間で誕生していた可能性が示されました。
苦味が単なる感覚を超え、遺伝子レベルでの生物の適応と進化に何億年もの間、関わり続けたという事実は驚きです。
しかし、なぜ私たちの祖先はそんなにも長く、苦味を感じ続けていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年11月13日に『PNAS』にて「サメの特異な苦味受容体は苦味知覚の進化に関する洞察を提供する(A singular shark bitter taste receptor provides insights into the evolution of bitter taste perception)」とのタイトルで掲載されました。
目次
- 生物はなぜ苦味を検知するようになったのか?
- 苦味の起源は4億6000万年前「オルドビス紀」まで遡る
生物はなぜ苦味を検知するようになったのか?
苦味は、生物が毒となる食べ物を避けて生存するための、警告システムとして進化してきたと考えられています。
全ての毒物が苦い訳ではありませんが、毒を防御手段として持つ動物や植物たちの多くは、苦味が強い毒を体内に蓄えることで、捕食者の持つ警告システムを作動させ、捕食を逃れる戦術をとっています。
これまでの研究によって、人間をはじめとした脊椎動物は、舌などに存在する味覚受容体2型「T2R」によって苦味を検知し、脳に苦味信号を送っていることが知られています。
受容体とは細胞膜表面にあるセンサーであり、特定の形状をした化合物と結合することで信号を発します。
捕食者の受容体「T2R」を効率よく刺激し、捕食者に対して強い苦味を与えられるほど、生存の確率は高くなります。
そのため現在の地球では、さまざまな動植物が苦味を発するようになりました。
またいくつかの果実をつける植物では、苦味を解除するタイミングを作ることで、適切な時期に動物に食べられるように進化したものも存在します。
(※果実の内部にある種が十分に育つまで食べられたくないからです)
さらに冬眠明けのクマなど一部の動物では、長い冬眠時代に溜まった老廃物などを排除するため、特定の苦味を持つ野草を積極的に食べていることも知られています。
このような苦味に対する積極性は、進化によってT2Rのバリエーションが増えて、感じられる苦味の種類が増えたことが大きな役割を果たしています。
(※マウスでは30種類のT2Rがあることがしられています)
コーヒーをはじめとした苦い食べ物を人間が嗜好品として扱うのもT2Rが多様化して「大丈夫な苦味」という概念が芽生えたからと言えるでしょう。
そういう意味では、進化した動物では苦味は毒を避けるだけでなく薬効を得るための方法としても機能していると言えます。
現在では、苦味受容体の遺伝子や構造に関する詳細な理解が進んでおり、苦味の感覚がどのように進化し、生物の生存戦略にどのように組み込まれているかについても解明が進んでいます。
しかし「T2R」の起源については、多くが謎に包まれていました。
私たち人間をはじめとした脊椎動物は、いつ、どんな姿の時に「苦味」を検知するための受容体や、その設計図となる遺伝子を獲得したのでしょうか?
苦味の起源は4億6000万年前「オルドビス紀」まで遡る
脊椎動物はいつ苦味の感覚を手に入れたのか?
謎を確かめるため研究者たちが着目したのが、古い時代に他の魚類と分岐したサメなどの軟骨魚類でした。
これまでの研究により、私たちの祖先となった硬い骨を持つ魚類にT2R遺伝子が存在することが知られていました。
もしサメに苦味を検知するT2R遺伝子が存在する場合、苦味の起源は軟骨魚類と硬骨魚類の共通先祖がいた4億6000万年前(オルドビス紀)まで遡ることが可能になります。
なぜサメの遺伝子を調べるだけで年代測定までできるのか不思議に思うかもしれませんが、原理は簡単です。
たとえば上の図のように「A」という遺伝子が共通先祖を持つ2種の両方に存在した場合、A遺伝子の起源は共通祖先の時代まで遡ることが可能です。
生物の遺伝子は突然変異によって新たに生成されることがありますが、それでもレアイベントには違いなく、同じDNA暗号を持つ遺伝子を、2つの異なる種がそれぞれ独自に獲得したと考えるのは不自然です。
2つの種の共通祖先が「A遺伝子」を持っていたから、その子孫となる2つの種にも「A遺伝子」が存在すると考える方が合理的と言えるでしょう。
この方法は先祖となる生物が絶滅してしまっている場合でも有効に働きます。
上側の普通の魚の系統と下側の軟骨魚類の系統の全てが遺伝子Aを持っている場合、それぞれの祖先(親ポジション)も遺伝子Aを持っており、さらなる祖先(祖父母ポジション)も遺伝子Aを持っていると考えられるからです。
また遺伝子を採取する範囲を広げれば広げるほど、遺伝子を過去に辿ることができます。
たとえば生物の目で光を検知する遺伝子「ロドプシン」について調査した研究では、私たちの目で光を検知するロドプシンの起源は、10~20億年前に存在した単細胞生物の光センサーまで遡れることが判明しました。
この研究では脊椎動物だけでなくタコやイカ、昆虫やナメクジ、そして単細胞生物まで広範な生物の遺伝子が調べられており、真核生物の起源に迫るまで遡ることができました。
遺伝子を調べるならば「化石からDNAをとればいいのでは?」と思われるひともいるでしょう。
確かにネアンデルタール人の骨やマンモスの毛からDNAを採取して解析する試みが世界各地で行われています。
しかしDNAの半減期は521年、つまり500年経過するごとに半分が分解されていってしまいます。
そのため680万年でおおよそ全ての生物のDNAが完全に分解され、意味あるデータを得るのは150万年前までが限度であると考えられています。
ネアンデルタール人やマンモスがいたのは数十万年前なのでなんとかなりますが、4億6000万年前の化石となるとDNAを抽出できる見込みはほぼ皆無です。
そのため今回の研究ではサメやエイなど軟骨魚類に属する17種の現存種の遺伝子が分析され、T2Rと同様の遺伝子が存在するかが確かめられました。
結果、12種においてT2Rと同様の味覚受容体の設計図となる遺伝子が存在することが判明します。
ただ発見を確かなものにするには、サメのT2R受容体が苦味に対して反応するかを確かめなければなりません。
そこで研究者たちはサメの遺伝子をヒト腎臓細胞に移植し、ヒト腎臓細胞の表面にサメのT2R受容体を出現させ、94種類の苦味物質に晒してみました。
(※生きた細胞にT2R受容体が接続されていることで苦味物質に反応するかを細胞レベルで確かめることが可能になります)
苦味物質にはブドウやワインなどに含まれるレスベラトロールなどに加えて、世界で最も渋い味として知られるリンドウから抽出されたアマロゲンチンが含まれていました。
すると複数の苦味物質にサメのT2R受容体が反応して活性化していることが判明します。
また同じ苦味物質はゼブラフィッシュやシーラカンスなど硬骨魚類の苦味受容体の活性化を誘導し、人間にとってはいずれも苦い味を感じることが判りました。
これらの結果は、苦味の感覚の起源が4億6000万年前に存在した硬骨魚類と軟骨魚類の共通先祖まで遡れることを示しています。
ただサメなどに存在する苦味検知受容体は1種類であり、サメは苦い食べ物が何かを判別できても、苦さの幅を感じることはできないと考えられます。
そのため研究者たちは、サメはコーヒーの苦味を楽しむことはできないだろうと述べています。
研究者たちは今後、他のサメやエイでも同様の調査を行い、同じ結果が得られるかを調べていきたいと述べています。
人間がピーマンを嫌ったり朝のコーヒーを楽しめるようになったのが、4億6000万年前に生きた原始的な魚たちの進化のお陰だというのは、進化の歴史の奥深さを感じさせます。
参考文献
Evolution of taste: Study discovers bitter taste receptor in sharks
https://phys.org/news/2023-11-evolution-bitter-receptor-sharks.html?deviceType=desktop
元論文
A singular shark bitter taste receptor provides insights into the evolution of bitter taste perception
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2310347120