技術の進歩とともに故人との関わり方も変わってきているのかもしれません。
急速な進歩を遂げているChatGPTのような大規模言語モデルの登場は、日記などの記録を元にして、話し方や考え方を再現した疑似人格とチャットで話すことを可能にしました。
画像や映像を合成できるジェネレーティブAIは、実際の人物の映像を元に存在しない表情や仕草の映像を作り出すことを可能にします。
そしてこれらの技術の組み合わせは、亡くなった家族や友人をまるで画面の中では生きているように蘇らせることを可能にしているのです。
AIを使って故人をデジタル上で蘇らせる技術は「デジタルネクロマンシー」とも呼ばれ、最近では一般の人々もこれらの技術に簡単に触れられるようになってきました。
日本では「故人AI」や「バーチャル故人」などとも呼ばれて注目を集めており、海外では実際に「故人と会話できるAI」と謳ったサービスも登場してきています。
果たして、故人をデジタルで再現する技術は残された人たちにとって救いなのでしょうか。それともタブーなのでしょうか。
今回は実際に故人をAIの技術で蘇らせ、賛否を呼んだ例などを交えて考えていきたいと思います。
目次
- 「デジタルネクロマンシー」は故人への冒涜なのか
- 故人の思い出を形に残す歴史
「デジタルネクロマンシー」は故人への冒涜なのか
2019年、NHK紅白歌合戦に「AI美空ひばり」が登場し、歌唱したことを覚えている人も多いと思います。
AI美空ひばりは、30年以上も前に亡くなった美空ひばりの歌声や歌唱法を、ヤマハのディープラーニングの技術を活用した「VOCALOID:AI」使用して再現したものです。
このAI美空ひばりには多くの意見が飛び交いました。
感動して涙を流す人もいた一方、「不気味だった」「故人への冒涜である」「本人の意思を無視している」など、批判も多くあったのです。
やはりAIの力で故人を蘇らせるのはタブーなのでしょうか。
しかし、これが大切な身内だったとしたら印象はどうでしょう。
2020年、そんなことを考えさせられるプロジェクトが韓国で実施され、世界から大きな注目を集めました。
VRの中で亡くなった娘に再開した母親
韓国のチャン・チソンさんは、2016年、7歳の娘ナヨンちゃんを病気で亡くしました。
しかし、その3年後、テレビのドキュメンタリー番組内で、ナヨンちゃんが再現されたのです。
ナヨンちゃんは、体型の似た女の子のモーションキャプチャーや、生前に家族が撮影した写真や動画を元に、ディープラーニングを駆使してジェスチャー、声、喋り方が再現されました。
チャンさんはVRゴーグルを装着し、スタジオでナヨンちゃんと感動的な再会を果たしました。
この動画は当時かなり話題になったので見たことがある人もいるかもしれません。
この番組を見た人からは、母親と娘の感動の再会を賞賛する声も多数ありましたが、VRの中での再会が「母親の心をさらに傷つけてしまうのでは?」などの懸念の声も広がりました。
確かにどれだけ娘に触ろうとしても、決して触ることができないその母親の姿には、やるせない悲しさを感じてしまいます。
実際に存在するわけではないAIがデジタル上で再現した「故人との再会は悲しみが続くだけだ」という指摘もあります。
しかし、私たちが仏壇やお墓に向かって、自分の近況報告をすることは決しておかしな行為ではありません。
そのとき私たちの中には、私たち自身の記憶が再現した故人の人格が存在しているはずです。
遺影や墓石に向かってするその行為を、AIが再現した故人に向けて行った場合、それは死者への冒涜となるのでしょうか?
故人の思い出を形に残す歴史
人々は昔から、亡くなった人との繋がりを保つために、お墓を作ったり、遺品を残すことでその思い出を大切にしてきました。
昔は肖像画を描くことはあまり一般的ではありませんでしたが、19世紀に写真が広まり始めると、愛する人の姿を写真に残すことが一般的になりました。
これは、故人を偲ぶ新しい方法として急速に人々の間で受け入れられました。
それまでは頭の中で思い返すだけだった故人の姿が、テクノロジーによって鮮明に記録されいつでも振り替えれるようになったのです。
現代では、多くの人々が亡くなった愛する人の写真やビデオを保存し、それを見返すことで故人との繋がりを確かめています。
では、AIを使用して故人とのコミュニケーションを試みる「デジタルネクロマンシー」という新しい取り組みは、写真やビデオのように一般的にはならないのでしょうか?
現在デジタルネクロマンシーの技術に参入している企業は、SNSやメールで残された文章、音声、写真、そして動画を使って、死後も愛する人と対話できるようなAIモデルを設計しています。
しかし、このアプローチに批判的な研究者は、AIが故人の言葉や意図を正確に再現するのは困難で、それが故人の意志を侵害する恐れがあると指摘します。
確かにAIが完璧に人の意志や感情を再現することは難しいかもしれません。
しかし、私たちは長い歴史の中で、亡くなった人たちとの繋がりを感じるため、さまざまな方法を見つけてきました。
写真やビデオ、手紙など、思い出として残った物たちは、その繋がりを保ち続けるための手段として利用されてきました。
高性能なカメラやスマートフォンの普及は、故人との思い出をよりはっきりと数多くの記録として残していく手助けをしています。
AIの技術を利用し、故人を蘇らせることに反対の人であっても、愛した故人と繋がりを否定する人はいないでしょう。
忘れてならないのは、故人の記録もお墓も、全ては亡くなった人のためのものではなく、残された人たちのためにあるということです。
そして多くの場合、自分の死期を悟った人も残される大切な人たちのために、自分の記録を残し死後も気持ちを伝えたいと考えているということです。
誰もが「デジタルネクロマンシー」になる時代がくるのか
現在、多くの企業がデジタルネクロマンシーの技術に参入し、チャットボットや音声で故人と会話ができるサービスを提供し始めています。
中でも一番有名なものは、米カリフォルニア州の実業家、ジェームズ・ブラホスさんが開発した『HereAfter AI』という、ユーザーの「人生の思い出」を保存するためのアプリです。
このアプリでは、思い出の写真を保存するだけでなく、ユーザーが自分の人生についてのインタビューに答えておくことで、アプリ内にその考え方を保存することができます。
そして、もし自分が亡くなってしまった場合、残された人々はアプリが記録を元に再現したあなたとチャットで会話することを可能にするのです。
筆者もサンプルを見てみましたが、個人的には不気味さなどは感じず、少しほのぼのとした印象を受けました。
故人の人格をAIで再現させ、残された人々と対話する。それは亡くなる本人が生前に準備し、望む場合もあるのです。
故人を蘇らせることに心のざわつきを覚える人も多いと思いますが、その方法次第では一般的にも受け入れられていくのではないでしょうか。
今後、世界中で同じようなサービスが多く提供されていく中で、もしかすると遺影の中の故人と思い出を語り合う光景が、当たり前になる日がくるのかもしれません。
もしかするとそれは間違った悲しみへの対処法かもしれません。
しかしこのような故人との再会が本当に正いことなのか、その意義は実際に大切な人を亡くした人、大切な人を残して亡くなる人、その本人たちにしかわからないことでしょう。
参考文献
‘Digital necromancy’: why bringing people back from the dead with AI is just an extension of our grieving practices https://theconversation.com/digital-necromancy-why-bringing-people-back-from-the-dead-with-ai-is-just-an-extension-of-our-grieving-practices-213396