灰色の世界に新しい色が混じったようです。
イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学(HUJ)で行われた研究により、遺伝子変異によって完全に色盲だった被験者たちに対して遺伝子治療を行ったところ、赤色を認識できるように変化したことが示されました。
また治療効果は1年後も継続していることも確認され、研究者たちは遺伝子治療による色覚獲得への第一歩が得られたと述べています。
被験者たちは初めてみた赤色を、どのように感じたのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年7月10日に『Current Biology』にて公開されました。
目次
- 色が識別できないとは医学的にどういう状態なのか?
- 初めての「赤」は輝き背景と別の面にあるようにみえた
色が識別できないとは医学的にどういう状態なのか?
私たちの網膜には、明るい場所で色を検知する錐体細胞と、暗い場所で物の形を検知するための桿体細胞という2種類の細胞が存在しています。
この2種類の細胞の性質の違いのせいで、私たちの目は明るい場所では色彩が感知されるものの、暗い場所では色の差異がなくなって形だけがみえるという現象が起こります。
しかし色を知覚する錐体細胞を制御する遺伝子に欠陥がある場合、明るい場所でも特定の色が識別しづらくなるという現象が起こります。
そしてこの欠陥レベルはどの遺伝子にどんな変異が起きているかによって異なり、3万人に1人は世界が完全に灰色の濃淡でしか認識できないといいます。
たとえばCNGA3と呼ばれる遺伝子は色の知覚において非常に重要な役割をしており、この遺伝子に機能不全が起こると色の知覚が全くできなくなり、全てが灰色の濃淡で作られた視覚が形成されてしまいます。
この症状を治す方法の1つが、遺伝子治療です。
遺伝子治療では機能していない遺伝子の代りとなる正常な遺伝子を外部から細胞に供給することで、症状の回復を目指します。
変異したCNGA3を抱えている人々の錐体細胞に対して、外部から正常なCNGA3遺伝子を注入する遺伝子治療が上手くいけば、色の知覚ができるようになる可能性があるのです。
そこで今回、エルサレム・ヘブライ大学の研究者たちは、生まれつきCNGA3に変異を持つせいで灰色の世界に住む大人3名と7歳の子供1名に被験者になってもらい、遺伝子治療を行うことにしました。
実験にあたってはまず、健康な人間の遺伝子から「正常なCNGA3」を切り出して、無害なウイルス(アデノ随伴ウイルス)の遺伝子に組み込みました。
この無害なウイルスは感染すると自らの遺伝子を人間の細胞内部に注入する機能を持っているため、被験者たちの錐体細胞に感染させることで、「正常なCNGA3」を外部から補うことが可能になります。
実験では4人の被験者たちは全員片目の網膜に、このウイルスが入った遺伝子治療薬が注射されました。
結果、遺伝子治療を受けた4人の被験者たちは、注射を受けた目のにおいて赤色を認識できるようになっていることが判明しました。
被験者たちは初めてみた「赤」をどのように感じたのでしょうか?
初めての「赤」は輝き背景と別の面にあるようにみえた
遺伝子治療を受ける以前、被験者たちは色が認識できず、灰色の背景の上に赤い線を引いた図をみても、赤い線に気付くことができませんでした。
しかし遺伝子治療から徐々に時間が経過し数か月が経過すると、同じ図に背景とは違うものが映り込んでいることに気付いたのです。
そこで研究者たちは被験者たちに対して、新たに現れた線がどのように知覚されるかを説明するように求めました。
しかし被験者たちは、新たな見えるようになった赤い線を説明するための適切な言葉がみつかりませんでした。
うまれてからずっと灰色の世界で暮らしてきた被験者たちにとって、突然みえるようになった赤色は説明困難な存在だったようです。
ただそれでも研究者たちは被験者に対して、できる限り正確な表現で説明してくれるように求めました。
すると被験者たちは新たな赤い線を「背景とは異なる輝きをみせたり、背景とは異なる面に浮かび上がったり沈み込んだりした状態でみえた」と証言しました。
この結果は、遺伝子治療によって錐体細胞の赤色を感じる能力が被験者たちに付け加えられたことを示しています。
さらに遺伝子治療の1年後に再び患者全員の検査を行ったところ、治療効果は維持されていることが明らかになりました。
あらゆる色覚を体験している普通の人にとっては大したことには思えないかもしれませんが、灰色の世界に住んでいた被験者たちにとっては大きな前進です。
そのため被験者たちは今回の研究結果を、遺伝子治療による色覚獲得への重要な第一歩であると評価しています。
しかし正常なCNGA3が働いているにもかかわらず、なぜ赤色だけが検知されたのでしょうか?
遺伝子治療で人間の色覚を回復させたのは確かに大きな成功ですが、理論上は赤色だけでなく全ての色がみえるようになっているハズです。
この点について研究者たちは、普通の人間ならば明るい場所では物体の形を認識する桿体細胞が不活性になるものの、被験者たちの網膜では活性化したままであることに気付きました。
この性質のお陰で被験者たちは錐体細胞が機能していなくても、常に物体の形を認識できました。
しかし明るい場所でも桿体細胞が活性化してしまったせいで、正常なCNGA3を経て錐体細胞の機能が復活しても、色にかんする信号が乱されてしまい、赤色しか認識できなくなっていたのです。
色認識機能が停止しているときに得られた恩恵が、色認識機能が復活すると恩恵ではなく害になるというのは、悲しい結果です。
ただ遺伝子治療による色覚の復活ははじまったばかりの試みであり、今後は手法の改善が続くと予想されます。
研究者たちは今後数年にわたって被験者たちの状態を監視し、後日、もう片方の目に遺伝子治療を試みる予定です。
現在、遺伝子治療の試みはさまざまな先天性疾患について試みられており、過去には致死的な遺伝病を持つ赤ちゃんたちを治療することにも成功しています。
近い将来、外部から好ましい遺伝子を注入する手法は、病気治療を超えて利用が進むと考えられます。
それは知性や運動能力を含め欲しい能力を後天的に獲得するという形で、私たちの生活に浸透していくかもしれません。
参考文献
People With Complete Color Blindness Given Their First Sight of Color https://www.sciencealert.com/people-with-complete-color-blindness-given-their-first-sight-of-color元論文
Seeing color following gene augmentation therapy in achromatopsia https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(23)00826-6?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0960982223008266%3Fshowall%3Dtrue#%20