曲を書く以外に生きる道はないところに、いつも自身を追い込んでいなければと思うのです
日本のどこかで真面目に働いているファンのために演奏し、歌いたい
僕はアーティストという言葉が好きではありません。
知識人とか文化人といった、上から目線の「私は君たちとは違う」と言わんばかりの呼称も全く受け入れられない
運、不運でしょう。いい曲であっても、歴史のなかに埋もれているものはいくらでもあるし。
「クリスマス・イブ」だって、JR東海のCMがなければ、アルバムの中の1つだったんだから。そんなもんですよ
僕はとにかく、最後の1分、1秒まであがく人間なので。OKなんか出したことないですよ。
「ここで時間です」と言われて、諦めるだけで
僕は職人の魂で仕事をしたいと思いますが、自分の昔の価値観や経験則にこだわり過ぎるとたちまち時代に取り残される。
それを避けるためには必死に自己変革や学習を続けるしかないのです
僕は「夢はかなわない確率のほうがずっと高い」と思う人間です
新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」。
でも、それはウソです。
自分の信じることを貫いて進歩しなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない
ウチの娘が中学のとき、学校で「両親について、ひとこと書く」っていうのがあって。
そのとき娘が書いたのが「ウザイけど、ときどき使える」っていう
最近、音楽の質が低くなった、昔の音楽は良かった、という人がいますが、それは違います。
昔も質の低い音楽はたくさんあった。低質の方が多かった。
でもそれらは時と共に忘れ去られ良いものだけが残ってる今だから昔の音楽は良質のものばかりという印象を受けるのです
名が知られていることに何の意味があるのでしょうか
夫婦でCMに出ないかと誘われたことがあります。2日間の拘束で相当なギャラでした。
でもそんなことをしたら、自分の曲が書けなくなります。
曲を書くのは大げさに言えば命を削る作業なので、できなくて苦しんでる時に頭に浮かぶでしょう、またCMに出ようかなって
ロックンロールの場合、ギターコードを三つ知っていれば曲が作れてしまう。
でもその程度では100曲は書けません。
自分の魂の叫びがいくら強くても、すぐに限界が来るのは冷徹な事実です。
音楽表現を長く続けていくためには、継続的な訓練と学習が必要なのです
職種を問わず、仕事人になったら、好き嫌いと良しあしをきちんと区切って、他者の作品や仕事への敬意を払わねばなりません
人間ってね、どんなに強靱な精神でも、結局1000の賛辞より1個の罵倒のほうが気になる動物なので。
昔から評論とかほとんど読まないし、特に匿名的なものに影響されるのが大嫌いなので