開発には大嶋和也選手(2019年スーパーGT・GT500クラス王者)や石浦宏明選手(スーパーフォーミュラ・2015年/2017年王者)など、バリバリのプロドライバーが初期段階から携わったのも異例なら、商品を最終的に決定する大事な商品化決定会議でコメントを求められたのもトヨタの長い歴史で初めてのことだったという。
そうした完成したGRヤリスは、9月4日に発売が開始された。同日から開催開始となったスーパー耐久シリーズ開幕戦「NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース(以下富士24時間)」に参戦し、見事にデューウィン(ST-2クラス)。そのポテンシャルの高さを実戦で披露したのである。
GRヤリスは、空力・軽量・高剛性を追求したボディに272psを発生する新開発の1.6ℓ直列3気筒ターボを搭載。駆動システムも新開発のスポーツ4WDシステム”GR-FOUR”で、多板クラッチにより前後の駆動力を可変する。最上級グレードの「RZ”ハイパフォーマンス”」には前後トルセンLSDやBBS製鍛造アルミホイールがおごられるほか、ラリー用小径タイヤの装着を考慮して16インチブレーキディスクを採用したモータースポーツのベース車向け「RC」も用意。さらに、気軽に走りを楽しみたいというライトユーザーのために1.5L FFモデルもラインアップする。
【トヨタGRヤリス ラインアップ】
RS 1.5L直列3気筒・CVT・FF 265万円
RC 1.6L直列3気筒ターボ・6MT・4WD 330万円
RZ 1.6L直列3気筒ターボ・6MT・4WD 396万円
RZ"ハイパフォーマンス" 1.6L直列3気筒ターボ・6MT・4WD 456万円
そんなGRヤリスをフィーチャーしたオンラインイベント「GR YARIS ONLINE FES」が9月16日に開催された。イベントの第一部は「ファンイベント」、第二部は「GRヤリス オンラインQ&A」という二部構成だ。
「ファンイベント」では、脇坂寿一TGRアンバサダーと井澤エイミーさんが司会を務め、ゲストに大嶋和也選手、石浦宏明選手、9月からGRカンパニーのプレジデントに就任した佐藤恒治さん、初代プレジデントで現在はトヨタ自動車の執行役員を務める友山茂樹さんが登壇。豊田章男社長もテレビ電話で参加するなど、豪華メンバーでトークライブが行なわれた。
豊田社長は、トヨタのテストドライバーの頂点である「マスタードライバー」として、クルマの性能開発に関わるほか、レースやラリーといった競技にも積極的に参戦しているのはよく知られている。富士24時間でも、GRヤリスを走らせるトヨタのプライベートチーム「ROOKIE Racing」の一員として出走を果たし、自身のドライブで見事にトップチェッカーを受けてみせた。
「目標は完走だった。緒戦なので、絶対壊れると思った」と富士24時間を振り返る豊田社長。24時間レースではクルマを労るため、エンジン回転数を下げて走ったり、縁石に載らないように走ったりという指示がチームからあるのが普通。しかし今回はそうした配慮はせず、ガンガン走れるだけ走る、と決めていたそうだ。もし壊れてしまってもその箇所を直せばいい、ということで、事前にトランスミッション交換の練習をしたり、50時間に及ぶ耐久テストを行なったりと入念な準備をしていたものの、実際のレースでは、クルマの不具合は驚くほどなかったという。レーツ当日はあいにくの天候だったのだが、ヘビーレインのコンディションで他車がペースを落とす中、軽量かつ4WDのメリットを活かしたGRヤリスは、クラスが上のGRスープラを追い抜く場面もあった。
そのように自身がレースに取り組むメリットの一つを、豊田社長は次のように語った。
「プロのレーシングドライバーには以前からクルマの開発に関わってもらっていたが、彼らはメーカーに忖度するときもある(笑)。クルマの運転ができて、うちのエンジニアも話を聞いてくれるのは、僕が社長だから。これをトヨタのクルマづくりの武器として使わない手はない」
「社長室にいるだけでは得られない情報がある。レースの現場で『このミッションもたないよ』『このブレーキ危ないよ』という声が現場で上がっていても、社長室で待っていてはその情報は来ない。自分が現場に一緒にいて、プロのレーシングドライバーたちが話している内容を小耳に挟み、『えっ、どういうことなの?』と聞くことが、クルマを強くする」
豊田社長は、富士24時間で印象的だった場面を一つ挙げた。それは、GRヤリスの開発責任者である齋藤尚彦さんの姿だ。
「ピットでは、齋藤さんもツナギを着てメカニックと一緒に汗をかいていた。ドライバー交代のためにクルマがピットインしたてきたとき、(ピット作業の人数制限のため)齋藤さんはクルマに近づけなかったんだけど、線の外から、ピットの床に這いつくばりながら何かクルマに不具合は出ていないか見ていた。そして、ドライバーからコメントを聞き出しては、本社で待機しているスタッフに伝えるという連携ができていた」
トークショーの話題は、GRヤリスが生産される元町工場(愛知県豊田市)の専用ライン”GRファクトリー”に移った。GRファクトリーでは、高剛性化されたボディを高精度に組み付けるために、一般的な工場よく見られるベルトコンベアを廃止。その代わり、無人搬送車とセル生産が取り入れられている。セル生産は、作業者1人が受け持つ範囲が広く、多品種少量生産に向いている。GRファクトリーにはトヨタ全社から熟練工が集結し、「匠」の技能伝承の場としても活用されているのだ。
GRヤリスの開発過程では、石浦選手や大嶋選手はGRファクトリーに何度も足を運ぶ機会があったという。彼らがそこで驚かされたのは、ピストンやスプリングが1個ずつ計測され、そのデータを蓄積・管理してバランスを取る作業が行なわれていたこと。普通はレーシングチームがやるようなことを、GRヤリスは生産工場で行なっていたのである。
豊田社長は「工業製品にはどうしてもばらつきがある。しかし、クルマ本体としてのばらつきはミニマムにして欲しい。そのために、友山(茂樹)が生産部門を変革してくれた」とGRファクトリーの成果を評価。その一方で、「ただ、彼(友山)には赤字にするなよ、と言ってある」とチクリ。それを受けて友山執行役員は「ギリギリのところですが」と苦笑しながら、「トヨタには設計・生産技術・製造がいて、普通は各部署の調整が大変。しかし今回は、世界に通用するスポーツカーをトヨタの手で作るという線が一本通っていた。モリゾウがあれだけ言うんだったら、俺たちもやってやろうというコンセンサスができていた」と語った。
GRカンパニーのプレジデントを8月から受け継いだ佐藤恒治さんは、レクサス・インターナショナルのプレジデントでもある。GRとレクサス、そのクルマづくりの違いについては、次のように語った。「レクサスは、クルマを作品として全体を作り込んでいくのだが、GRファクトリーは走りに特化して、これでもかと生産側で追い込んでいる。開発と生産は表裏一体なので、生産側がそこまでやって精度が高まると、開発側もビシビシに追い込める。その関係がすごく上手くいっているのが、今のGRだと思う」
豊田社長は、「GRヤリスで、生産、開発、販売、モータスポーツといった垣根を超えてクルマを作るという事例ができた。今後のトヨタの物づくりに大きな影響を与えるだろう」と語り、イベントの第一部を締め括った。
第二部では、「VR YARIS With Morizo」と題して、VR技術を用いてモリゾウ(豊田社長)がドライブするGRヤリスの同乗体験を行なえる映像がオンエアされた。
映像の中で豊田社長は、「シートベルト大丈夫かな?」などと話しかけなながらGRヤリスに鞭を入れる。ダートコースを縦横無尽に走り回るGRヤリス。VRスコープを使うと、頭の動きに合わせて視線が変わり、かなりの臨場感が味わえる。途中、ドーナツターンも披露したほか、走行が終わると「どう? 怖かった? でも、その笑顔、結構楽しんだんじゃない!?」とにこやかに語りかけるなど、豊田社長のノリの良さも大いに楽しめたコンテンツであった。
このVR映像を見ても感じられたのは、豊田社長のドライビングテクニックの凄さ。「4WDの運転が向いている」と豊田社長は語るが、同じダートコースを走行すると、石浦選手より6秒速いというから驚きである。
豊田社長は開発の現場でも、鋭い指摘を行なうそうだ。「僕たちが、1つめのコーナーで感じたんだけど2つめのコーナーではわからなくなってしまうような微妙なことを、モリゾウさんはすぐ指摘する」と石浦選手。その一方で、「レーシングドライバーはクルマの限界を見極めたらすぐピットに戻ってくるが、モリゾウさんは運転が好きすぎて、なかなか戻ってこない(大嶋選手)」というほっこりするエピソードも。
さて、前述の通り、今回のGRヤリスの開発では、初期段階からプロドライバーが関わっている。
「性能がだんだん作り込まれて、ある程度の高い評価ができるようになったら、レーシングドライバーに乗ってもらうのが今までのやり方。しかし、このプロジェクトは逆再生。最初にモータースポーツを起点にしてクルマを作っている。それをやっていくことで、高い目標を最初に設定できた」と、佐藤プレジデントはそのメリットを語る。
大嶋選手も、GRヤリスの開発には手応えを感じたようだ。
「これまでも開発の最終段階で乗せてもらうことはあったが、その状態だとダメ出しをしても直ることはないので、あまり言わなかった。でも、GRヤリスは開発の初期段階だったので、どんどん注文を出した」
大嶋選手と石浦選手は、サーキットの評価だけでは時間が足りず、ウェブ会議に参加したり、トヨタ本社まで赴いたりしたという。「昨年はスーパーGTよりもヤリスに乗っている時間の方が長かった(大嶋選手)」
そうした開発手法により、GRヤリスは性能をより一層磨き込むことができたという。その一例が、多板クラッチだ。
前後の駆動力配分を司る多板クラッチの枚数は12枚だが、当初はその半分程度の枚数だったという。「モリゾウさんや大嶋選手に『リヤのトルクをしっかりとレスポンス良く流すことに注力してくれ』というリクエストをもらった。初期の段階だったから、増やすことができた(齋藤さん)」
豊田社長やプロドライバーによる厳しいテストを通じて行なわれたGRヤリスの改善ポイントはこれだけにとどまらない。
ダートコースを豊田社長が走っていたところ、穴が開いてしまったアンダーカバーには補強のカバーを追加した。赤色にしたのは「カッコよくしたかった」という齋藤さんの遊び心だ。
また、富士24時間では駆動系が熱に少し弱いことが分かったので、アンダーカバーにダクトを設けてクーリング性能を向上させたパーツも開発中。完成の暁には、GRパーツとして購入が可能になるそうだ。
さらに、ボンネットには左右に切り欠きがある。普段はカバーで覆われているのだが、それを外すとサスペンションのストロークを伸ばすことができるのだという。これはWRCのレギュレーションを考慮したものだ。
さらに、豊田社長からはエンジンのレスポンスの悪さが指摘されていたが、最終的にはアルミテープをエアクリーナーの後ろに貼って吸気の流速を上げるという、微に入り細を穿つ改良が施されている。
開発の最終段階では、筑波サーキットでのタイムアタックも行なわれた。ノーマル状態のRZ”ハイパフォーマンス”で、安定して1分5秒台を記録したという。それも4秒台にごく近い5秒台というのだから、排気量1.6Lのコンパクトカーとしては驚異的なタイムである。
1万人近くの熱心なファンがリアルタイムで視聴したオンラインイベント「「GR YARIS ONLINE FES」だったが、最後に佐藤プレジデントが今後のTGR(トヨタガズーレーシング)の展望を語った。
「開発チームとプロのレーシングドライバーはこれまで距離があったが、今日の雰囲気でも分かっていただけた通り、今は漫才もできるくらい(笑)の一体感がある。新しいクルマの開発スタイルが見えかけているので、その兆しを本当の変化にしないといけない。GRヤリスがが特別だったとならないよう、開発のあり方をもっと突っ込んで変えていきたい」
「トヨタのクルマづくりはGRヤリスから変わった」という声が聞かれるようになるのは、それほど先のことではないかもしれない。