高級×スポーツ路線の新機軸スクーターの元祖を脇から読み解こう!
語り:津田洋介/TDF、まとめ:宮崎正行
──結局どこのメーカーがいちばん好きなんですか、津田さんは?
津田 ホンダかな。ホンダだな。
──幹がいちばん太いからですか?
津田 ん? どういうこと?
──「寄らば大樹」ってことです。世界一バイクを売ったメーカーを「大木」と表現したわけです。
津田 わかりづらッ! でも80年代のスクーター需要はホンダにとってめちゃ太い〝枝〟だったかも。
──バイクブームの一翼を担っていたのがスクーターでしたから。
津田 毎年いろんな原付スクーターが発売されたもんね。「誰がアタマを穫るか⁉」という販売ウォーズでの、まるで兵器開発みたいだったし。
──そんなカンジでしたね(笑)
津田 ものすごいスピードの開発競争のなかで〝高級×スポーツ〟という新コンセプトを引っさげて業界を〝リード〟したスクーターが……今回扱うホンダ・リード。
──今日もトークをリードしてくれてありがとうございます! そんなリード、デビューは1982年。82年は、森永から「おっとっと」が発売された年ですね。
津田 お~っと!
──……。読売新聞で「コボちゃん」の連載がスタートしました。
津田 ウチは毎日新聞だから。
──中森明菜が「スローモーション」でデビュー。
津田 「少女A」じゃなくてね。
──国鉄のリニアモーターカーが「世界初の有人浮上走行」に成功。
津田 たしか当時は宮崎に実験線が通っていたな。開通すんのか?
──そしてT少年がバイクの無免許運転で地元警察署管内にて補導。
津田 されてないってば。アニメと漫画とプラモに夢中だったよ。
──なんだか最近打たれ強くなっていますね、津田さん。そろそろ本題に入ります。
津田 ぜひ入って。
──リードが発売された82年は津田さん、中学生ですよね。どんなふうに見ていましたか、リードを?
津田 とにかく装備が充実していたよ。前輪にボトムリンクサス、後輪はオイルダンパー付き。大柄なボディのおかげでシートも足もとのスペースも大きかった。メインコンセプトは「スポーツ」だったけれど、「高級」であることもしっかり表現した車体デザインだった。いや、むしろ高級寄りだったのかも。
──中学生のコメントとはぜんぜん思えませんね。
津田 2019年目線だよ!
──やっぱり。
津田 AB07と呼ばれた初代タクトを大ヒットさせたホンダは、「よっしゃ、この方向性をもっと邁進しよう!」と踏んで、さらに高級な新型リードを開発したんじゃないかな。
──だいぶオシャレになりましたもんね。なんて言うか……。
津田 ポップに、カラフルに、スポーティになった。ってこと?
──そう!
津田 装備の中身も、50と50Sと80の3車でしっかり差別化している。
──具体的には?
津田 50Sでは透過光式のタコメーターが、80ではアルミホイールが装備されている。でもいちばん思い出深いのは……50Sのカウル前面下部の左右にニョキッと生えている「エア・スタビライザー」でしょ! カタログのキャプションにも「50㏄スクーター初」と銘打たれている気鋭のニューエクイップメント。「フロア下に流れ込む空気を整流。さらにフロントビューに精悍さを与えます」と能書きしてある。これは画期的だったなあ。まるで「牙」(笑)
──カタログ裏面には50Sの欄に「セミWシート」って書いてあります。
津田 そのあたり、80年代は寛容でいいよねえ。今だったら、どこぞから怒られそう。でもリードの上昇志向はちゃんと伝わってくる。
──そうですね。スポーツコンセプトで言えば、カタログ表紙の赤ブルゾンダンディの方はレーサーなんですかね? 白いパンツに白い革靴って、イケメンか有名人じゃないと許されなさそうな敷居の高いファッションがばっちりキマッていますが。
津田 背景に写っているホンダのフォーミュラーマシンはF2かな。F3かな。後ろで歩いているレーサーの背中にはマルボロのロゴ。……赤ブルゾンは誰だろう?
──中面の写真には「ポール・リカール」の看板の文字が見えるので、ここはフランスですね。
津田 濃いお顔は……マリオ・アンドレッティ的な?(笑)
──「ホンダお客様相談センター」に問い合わせたら、これが誰だか教えてくれますかね?
津田 自分でかけてね。
──無料の電話番号をここに記しますね、読者のみなさんに期待しつつ。0120……。
津田 やめなさいって!