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大菩薩嶺の南西斜面には開放的な草原が広がっていて、どの方角を見渡しても大パノラマが展開します。南アルプスが背後にそびえる甲府盆地のポスター写真の多くが、大菩薩嶺から撮られています。甲府盆地から南に目を向けると足元に大菩薩湖があり、その先にはひときわ高い富士山が堂々した姿を見せています。直線距離で約40キロメートル。さえぎる山はほとんどありません。この光景を目当てに、週末は首都圏から数多くのハイカーがやってきます。
ところが、大菩薩嶺から富士山までの40キロメートルという距離がときどきやっかいな問題を引き起こします。空気が澄んだ日なら山肌の状態までわかるほどよく見えますが、空気が濁っていると富士山の輪郭さえほとんど見えないことがあるのです。
上の2枚の写真はほとんど同じ場所から撮ったもので、いずれも大菩薩湖が見えていますが、左の写真には富士山がくっきり写っているのに右の写真は目を凝らさないと富士山が見えません。この差は主に空気に含まれている水蒸気や、上空に漂っている黄砂やPM2.5などの微粒子によるものです。左の写真は12月の寒い季節に撮ったものなので、空気が非常に乾燥しています。一方、右の写真が撮られたのは5月末の水蒸気が増えてくる季節です。積雲が発生していることから、湿った空気の流れ込みが多い日だったことが想像できます。また、4月から5月は大陸から黄砂が飛来しやすい季節でもあります。春霞は景色を楽しみにしている登山者にとっては、ありがたくない存在なのかもしれません。
日本気象協会では、オフィスのある東京池袋のサンシャイン60から富士山が目視できるかを観測するという業務が過去にありました。その観測データによると、12月や1月は半分以上の日で富士山を目視できたのに対し、5月から9月はそれぞれ数日しか目視できませんでした。また午前9時の観測と午前10時の観測を比較すると、明らかに午前9時の方が見える日が多かったこともわかりました。このことから、富士山周辺の見通しがいいのは暖候期より寒候期で、1日の中ではなるべく朝早い時間の方がいいと思われます。ここまでは山に登る人なら経験的によく知っていることだと思います。
見通しのよさのことを専門的に「視程」といい、キロメートルで表します。実は全国にある気象台の観測項目にも含まれているのですが、普段の天気予報で「視程の予報」が登場することはまずありません。でも毎日天気と向き合っている気象予報士は、天気図などから視程がいい日をある程度予想することができます。そのコツの一部を紹介します。
ひとつめのコツが、予想最高・最低気温の平年比を確認してみることです。登山に適した晴れた日を想像してください。一般的に晴天時は平年に比べて最高気温が高くなることが多いですが、暖候期に気温が上がると土埃が舞ったり水蒸気の量が多くなったりして視程が小さくなりやすい傾向があります。しかし、晴れても最高気温が平年を下回るような日は大陸から乾いた涼しい空気が流れ込んでいることが多いため、爽やかに晴れる傾向があります。同時に最低気温も平年より低い場合は放射冷却がよく効いていると考えられるため、視程が大きくなりやすい条件です。
一方で、実は気温が平年を大きく上回る日もねらい目です。それは、例えば甲府や熊谷などの地上の一部の街で40℃以上の酷暑日が予想されるような日です。このような特別暑くなる日は太平洋高気圧の勢力が非常に強いため、上空から地上に向かって下降気流が発生します。すると山の稜線の高さでは空気が極端に乾燥して、遠くまで見通せるようになるのです。標高100mにつき1℃ずつ気温は下がってきますが、もちろん熱中症には十分注意してください。
雨上がりも澄んだ空気が期待できます。ところが実際に雨が上がった後の様子を観察すると、期待に反して視程が小さくなってしまうことがあります。低気圧の後に入ってくる空気が大量の水蒸気を含んでいたり、黄砂を含んでいたりすると、雨が降る前より空気が濁ってしまう場合があるのです。
低気圧が通過した後に入ってくる空気が澄んでいるのかを見分ける手がかりのひとつが、上空の気圧の谷(トラフ)の動向です。上空の気圧の谷は地上の低気圧を発達させて荒れた天気をもたらす厄介者です。中でも寒気を伴った気圧の谷は質が悪く、大気の状態が不安定になって激しい雷雨や降雹をもたらします。こんな天気のときにはもちろん山に登れませんが、気圧の谷が通過した後は期待できます。気圧の谷の通過後、乾燥空気と寒気がどっと流れ込んでくる形をしているとき、天気が回復した後にやってくる晴天は気持ちよく澄みわたることが多いのです。