八月も終わりに近づいてきました。厳しい暑さとのたたかいとなった今年の夏も、ようやく終わりへ向かっているのではと期待が高まるのは、朝夕に感じられる秋の気配にありそうです。「秋隣(あきどなり)」は肌に感ずるほどの近さに秋を発見する、そんな雰囲気がすることばです。何よりも感じたいのは涼しさ。秋を待つ心に飛び込んでくるのは何でしょうか。あれも、これも、もうそこに来ています。秋の訪れは間近かなようですよ。


秋を知らせる一番はやはり「虫の声」

昼間の蝉の喧騒にまだまだ暑さが続くのか、と汗をぬぐいながら歩き回っていると、日が落ちてふと気づけば聞こえてくるのが「虫の声」。静寂の底のあちらこちらから思い思いの声が静かに響いてくると、思わず耳をかたむけ聞き入ってしまいます。もう秋はすぐなんだと思うとき、暑さに疲れた身体に残る緊張がホッとゆるんでいくのを感じます。

「虫の声」に魅了されていたのは昔の人も同じ。平安時代の貴族たちは野へ虫を取りにいかせ、その中からいい虫を選んでは鳴き声を愉しんでいたようです。さらに自慢の虫を籠に入れて持ち寄り、鳴き声を競う「虫合せ」もしていたとのこと。なんとも優雅な遊びではありませんか。

≪ゆふ風や草の根になくむしの声》 野梅

≪其中に金鈴をふる虫一つ≫ 高浜虚子

立秋の頃からさまざまな虫が鳴き始めているそうです。澄んだ「虫の声」が聞こえてくるようになるのは、やはり夜の風が秋めいてくる頃。秋の到来をしみじみと感じさせてくれる「虫の声」に耳を傾けてみませんか。

秋の虫 鈴虫


秋を知らせる花は? 秋にも桜が…

秋に咲く淡いピンクの「コスモス」は、桜が大好きな日本人にとって秋にはなくてはならない花だからでしょうか、「秋桜」とも表します。茎が細く長い割には先端につける花は堂々としています。それでも秋の風にさわさわと揺れる姿はなんとも可憐。白、淡い紅、深い紅の花が空地や河原、道端にいつの間にか群れて咲き秋の色どりを与えています。

≪乱るるといふ美しさ秋桜≫ 伊藤政美

「コスモス」とはギリシア語で、秩序ある整然とした調和のある世界を表すとのこと。日本語では「宇宙」とも訳されます。「コスモス」の背景には秋の青空の広がりが似合うのも頷けます。

≪コスモスの白き空にてうちそよぎ≫ 山口青邨

日本では秋の草花の代表のような存在となって親しまれていますが、到来したのは明治時代とのこと。もともとはメキシコが原産で、コロンブスのアメリカ大陸発見を機にヨーロッパへ渡り、品種改良が重ねられ日本へやってきたそうです。

≪風つよしそれより勁(つよ)し秋桜≫ 中嶋秀子

さまざまな大陸をめぐりながら完成されてきた「コスモス」には、宇宙のような雄大さとゆるぎない強さを秘めているに違いありません。


「月を待つ」愉しむのは待つ心です

秋といえば「月」。一年中見られる月ですが秋の月が特別なのは、空気が澄んで明るく大きな月が照りわたるからでしょう。

秋の月には趣きのことなる三つの月があります。現在『歳時記』で秋といえば八月、九月、十月をさします。初秋の八月はお盆と重なることから「盆の月」、九月の望月はもちろん「中秋の名月」、そして十月の晩秋は望月に至らない十三夜の月を「後の月」としてお祭りし、愉しむ習わしがあるのです。旧暦では一日が新月、十五日が満月というように日付が月の満ち欠けを表していましたので、今日が何日目のお月さまか、というのは容易に知ることができたのです。

≪逢う人に待たされてゐて月に逢ふ≫ 泉田秋硯

≪ある僧の月も待たずに帰りけり≫ 正岡子規

≪三尊仏伏目に月の出を待てり≫ 谷本淳子

お月さまに出会えれば、待ち人へのいらだちも消えてしまいます。せっかちなお坊さんは次の檀家さんの家へお急ぎだったのでしょうか、ともに月を見たかった子規としては残念な思いが残ったのですね。月を待つ想いは、いつもと変わらない仏様さえまるでお月さまを待っているかのように感じてしまうのでしょう。どの句にも月を待つこと、出会うことを愉しむ心がにじんでいます。

夜空に月を見つけると嬉しくなりませんか? 不思議ですね、なにかホッとするのでしょう。たいていが帰り道、一日の終わりにお月さまに出会うと見守られているような安心感があるのかもしれません。「月を待つ」気持ちを愉しめば、なにか思い出も一つ生まれるかもしれません。

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 「秋近し」? いえいえ、もうそこに、秋はあなたのお隣まで迫っています!