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北国や山岳地帯からはすでに雪のニュースも聞こえています。北から南まで細長い日本列島ですから季節の歩みはそれぞれの地域で違いがあるのは当然ですが、冬の足音は少しずつ高くなっているようです。
ピンとくる季節の風物を思い浮かべるのが難しい「小雪」ですが、周りをゆっくりと見渡しながら探してみようと思います。
「雪」を思いながらあれこれ考えていると浮かんだのが「風花」です。晴天の空から降ってくる雪と知ったときはびっくりしました。雪といえば雲が厚くたれこめた空から静かに降ってくる少し暗いイメージがあります。
それにしても「風花」とは美しい名前ですが作り出すのは風の力。高い山を越える風は雪を降らす雲を風上に残し、勢いよく下降するそうです。そのため雲は消え去り雪片だけが風下に運ばれてくるというのです。青空に舞う雪は美しく優雅ですが強い空気の流れが作り出していると知ると、冬の気象の厳しさの一端を見る思いがします。
また降り積もった雪が風によって飛ばされ舞う現象も「風花」といわれているようです。いずれも青空に舞う白い雪、美しい名前がついています。あっという間にはかなく消えてしまう雪片に、日本人の詩心は大いに刺激され冬の季語となりました。
「華やかに風花降らすどの雲ぞ」 相馬遷子
「いまありし日を風花の中に探す」 橋本多佳子
「風花の一片にして遠ながれ」 皆吉爽雨
「風花」との出会いに天候の不思議を感じたり、あっけない存在にかえって時の流れを意識したりとそれぞれの「風花」への思いが描かれています。もし風花に出会えたら…なにを感じてどんな言葉が浮かんでくるでしょう、出会う日を楽しみにしたいです。
11月23日が「勤労感謝の日」となったのは1948年(昭和23年)から。戦後3年経ち、国民の祝日に関する法律によって定められました。
勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝をしあう日とするものです。改めて確認してみると、この日に込められた大切な意味を忘れがちだったと気づきます。特に今年は感染症の拡大で、医療に従事していらっしゃる方々への負担は大きなものとなっています。また、日々の暮らしを支えるために、ステイホームをしていられないお仕事の方も大勢いらっしゃいます。
先ずはそういう方々へ感謝をいたしましょう。同時に家族や支えとなってくれている身近な人へは、感謝を言葉で伝えてはいかがでしょうか。親しき中にも礼儀あり、言われれば嬉しいものですよね。
勤労感謝の日の始まりは、宮中で昔から行われていた「新嘗祭(にいなめさい)」です。「にいなめ」とは「にいあえ」新(にい)饗(あえ)から変化したことばと言われています。
「饗」の文字は上に「郷」下に「食」を組み合わせていることからも想像できますが、村人が集まって飲食をする意味があります。そこからごちそうをしてもてなすという意味になりました。
新嘗祭は、天皇陛下が、その年の新穀を天の神と地の神に供え、今年の稔りに感謝を表し自らも食する儀式です。稲の収穫を祝い、来年の農作を祈願するのです。宮中のほかにも伊勢神宮や出雲大社といった日本を支えてきた神様の前でも行われます。内裏では毎年陰暦11月の卯の日に行われてきましたが、太陽暦が採用されてからは11月23日になりました。
稲の豊かな稔りは国の根本という考えが、働くことへの感謝につながっているのですね。
亥の月(旧暦の10月)の初めの亥の日、亥の刻(午後9時から11時)に七種の新穀で作った「亥の子餅」を食べると病気にならない、という言い伝えは収穫への感謝と亥、猪(いのしし)が多産なことにあやかり子孫繁栄の祈りへとつながっています。
「亥の子餅」はイノシシの子の形に作ったお餅。作神さまへのお供えと同時に収穫まで共に手伝い働いてくれた人たちへ配られ感謝するそうです。子供たちがこのお餅をもらって歩く風習もあるとか。子供を宝として慈しんできた温かさも感じられます。
亥の月の10日は「十日夜(とおかんや)」にあたります。8月の十五夜、9月の十三夜とともに10月の十日夜を合わせて三月見と言われますが、お月様を見るというよりは収穫に感謝をする意味のほうが大きいようです。田の神が山へ帰る日だったり、田んぼを守っていた案山子を外す「案山子上げ」、子供たちが藁鉄砲で地面をたたきモグラを追い出すなど、収穫後の行事が各地に伝えられています。
食料を確保できたことは命を繋げていける安堵の時。各地から届く新米の美味しい知らせに食欲もそそられます。湯気立ちのぼる新米の美味しさの後ろにある、汗水を流してきた苦労を知ると味わいもひとしおです。
雪へと季節が変わる頃は、冬支度に忙しいときでもあるのですね。今年も残りの日を数えるようになってきました。うかうかしていられません。さあ、美味しいご飯を食べて、もうひと頑張りです。