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昼夜の時間が等しくなり、太陽が真東から昇り真西に沈む日です。日本では「お彼岸」としてお墓参りの習慣がありますが、よその国ではどうしているのだろうか? という素朴な疑問がわきました。そこでちょっと世界に目を向けて、この秋分の日に何か特別な意味を持っている海外の文化を探したいと図書館へ出かけました。そう、読書の秋でもありましたね。すこしおつき合いください。
極楽浄土は西の彼方にある、と信じた私たちの祖先は「亡きご先祖をお浄土に送り渡したい」と願い、太陽が真東から昇り真西に沈む春分と秋分の日に、先祖に思いをはせて彼岸会を行うようになりました。
「彼岸」とは、サンスクリット語のパーラーミターの漢訳語で「到彼岸」に由来し、仏道修行の功徳により、苦しみと迷いの人間世界「此の岸(このきし)」から煩悩を離れた悟りの世界「彼の岸(かのきし)」へ渡ることを意味します。秋分の日をお中日として前後3日間が秋の彼岸となります。お盆ではご先祖をわが家へ迎えましたが、お彼岸では私たちがお墓にお参りして極楽浄土でのやすらかな日々を祈ります。お寺のそばを通るとお線香の香りがただよい、人々がお花を手にお参りをする光景を見かけると、日本の秋の風情と平和を感じます。
やがて秋の実りの収穫が始まり、その感謝を表す秋祭りへと繋がっていくのが、日本の秋分の日といえますね。
エジプトは紀元前に3000年を越える王国の歴史を持ち、ピラミッドのような多くの巨大建築を作り上げました。当時の豊かな文化は数々の遺跡に残され21世紀の現代まで、人々をいまだに驚かせるほど素晴らしい文化を持った国です。
太陽は東の砂漠のかなたから昇り、真昼には天上に輝き、とうとうと流れるナイルを見下ろします。やがて西の砂漠のかなたに沈んでいき暗い夜が明ければまた人々の前に現れます。
この太陽のように王も1度消えても再び現れると信じられていました。空と大地が対峙するエジプトの地で太陽の役割が非常に大きいことがわかりますね。
アブシンベル神殿はナイル川を遡ったアスワンの地にある紀元前13世紀頃の遺跡です。作ったのはラムセス2世。入口に巨大な像が4体も据えられています。
この神殿は春分と秋分の日の年2回、昇る太陽の光が真ん中の入口から入り60メートル奥にある至聖所に安置されているラムセス2世を含む4体の神像を照らすように作られているのです。何故このようにしたのかはさまざまな説があるそうですが、この世からいなくなっても王の存在は変わることがない、ということを年に2回太陽の光をあてることで王を慕った国民が確認していたのかもしれません。
参考:
『古代エジプト神殿大百科』 リチャード・H.ウィルキンソン著、内田杉彦訳 東洋書林
マヤ文明と聞いて何が思い浮かびますか? マヤ暦など天文学を発達させた高度な文明を持っていたが、いつの間にか滅びてしまった文明、というところでしょうか。
実は紀元前後から16世紀までという、大変長い時代生きつづけていた文明です。場所は中米のホンジュラス、グアテマラ、メキシコのあたりです。
今回お話したいチチェン・イッツァのエル・カスティージョはメキシコの影響を受けた10世紀頃の神殿です。この神殿は高さが24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)、9段の階段状のピラミッドになっており4面に階段がついています。階段は合わせて364段、頂上を足すと365段になり、1年の日にちの数と同じになるのです。
この神殿の特徴は、北側の階段の両側に上から下に降りてきて口を開ける「羽毛の生えた蛇(ククルカン)」が彫られていることです。「羽毛の生えた蛇」とはメキシコを中心としたマヤ文明で、天地創造を行った神として共有されている神様です。
この「羽毛の蛇」が動き出すのが春分と秋分の日。ピラミッドを成す9段が階段脇の壁に影となって映り、次第に下の方へ動いて行くということです。その様がまるで太陽のエネルギーを得たククルカンが天から舞い降りてくるように見えるというのです。
ここにマヤ文明の天文の精密さを感じることができます。 この様子を見た人々はククルカンの神に守られている自分達を喜び、そのエネルギーを活現して生きていた、とは考えられないでしょうか。
人間の生きてきた場所も時代も全く異なりますが、太陽がこの地球を今と同じように照らしてエネルギーを与えていたことは、変わらないのだと改めて感じます。地球、太陽を包む宇宙の摂理の中で生きて行く人間の智恵の素晴らしさも知ることができました。
「秋分の日」さあ、秋本番です。お出かけはなかなか自由にはなりませんが、それぞれに自分の秋を見つけて楽しむ年にしたいですね。
参考:
『図説 マヤ文明』嘉幡茂著、河出書房新社