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中国最古の語釈辞典『爾雅』では「五月為皋」つまり「五月を皋(こう)と為す」とあり、皐は皋の異字体で、皐月の皐はこの記述から来ています。
皋とは、「高い」「白く輝く」「平坦で広い水の岸辺」「大きく魂呼ばい(死者の名を呼んで魂をこの世に引き戻す信仰儀式)の声を上げる」などの意味があるとされます。
『字統』(白川静)によれば、皋または皐は「暴」と元は同じで、「日照にさらされた獣皮」であるとしています。
つまりこれは、強い日の光の放出を白と大であらわし、そこに十字の形にさらされる死骸をあらわし、ここから余すところなくすべてあらわにさらされる広い場所や、死んだものに声を(光を放つように)呼びかける、といった意味へと転化したものと考えられます。
五月の異名は、悪月、炎夏、炎節、炎天などがあり、太陽の南中の位置がもっとも高くなり、陽気が最高潮に達して地を照らす様子や、その高温によって水蒸気が湧き上がり、暴風や豪雨をもたらす荒天の季節であることをあらわしています。
日本ではこの文字を中国に倣い「さつき」という訓みをあてましたが、この「さつき」の語源は明確にはわかっていません。いくつかの仮説が提示されていて、その中でもっとも有力とされる説は次のようなものです。
「古語では『さ』とは耕作を意味した。『さ』とは山の神であり、春になると里に降りてきて田の神・稲霊となる。それゆえに、桜とは、『さ』の神が降りる坐=鞍(くら)の意から『さ・くら』なのである。稲の苗が早苗=さ・なえなのも、苗を植える女性が早乙女=さ・おとめなのも、田の神・稲霊=『サ神』から来ている。旧暦五月の頃は稲作にいそしむ月であるから『サ月』と名づけられた。」
『農と祭』(1942年)で早川孝太郎が提唱し、『花と日本人』(1975年)で和歌森太郎が広めた「サ神」説です。「サ神」は文字が日本に伝わる以前に信仰されていた神で、神に「ささげる」飲み物を「さけ」、供物を「さかな」というのも、この「サ神」信仰だというのです。地名の「相模」「上総」「土佐」「讃岐」なども、「サ神」に由来するというのです。
筆者の浅学のせいか「稲作を古語でサと言った」という根拠に心当たりがありません。文字がない時代の信仰ならば、文献を探すのは無意味だとしても、何らかの根拠はあるべきです。唯一連想するのは中国・四国地方や佐渡島で、お田植え祭りの田楽で迎える田の神を「さんばいさん」と呼ぶことくらいでしょうか。
これは早川孝太郎もその著書で言及しています。しかし、田楽舞に参加した者たちに弁当が配られたので「参・配」、または田の神降ろしの行事で、田の水口や家の床の間に、稲の苗を三把くくって供えるため「三把=サンワ/サンバ」から来ていると考えられ、ならわしの内容からつけられた愛称・ニックネームです。さんばいさんを「サ神」とは言い得ないでしょう。
意味の共通性や関連性を見ずに、単にキーワード(稲作)に関わる事物のいくつかの名称の偶然の一致を、強引に括るのは少々乱暴な気がします。「サ」という音に「稲作・稲の穀霊神」という共通項があるというのなら、「笹」「坂」「さざ波」「鞘(さや)」「サイコロ」「さわぐ」「ささやか」「ささやく」「さやけし」「些細」「差す(挿す・刺す)」「さがす」「さぐる」「さげすむ」「覚める(冷める・褪める)」「去る」「叫ぶ」「冴える」「さわる」「さする」「避ける(裂ける)」「離(さか)る」「下がる」「寒い」「さびしい」などもそうでしょうか。どうみても無関係のように思われます。
「さ」とは、(1)小さなもの、細かいもの、細いもの、少し、わずか、とぼしさ、狭い場所や限定されたエリアやそこで起きる事象、(2)高く澄んだ風や水の音に結びついた落ち着かない状態・心理・現象(叫び、笹、さわぐ)、(3)全体を部分に分ける(裂く、割く、柵、離う、遮る、境)、を包括する音です。上記にあげたさまざまな単語も、概ねここから成り立ちを類推できます。
たとえば(1)。「鞘(さや)」は、「さ=狭い や=家・部屋」から、被子植物の種子を包む鞘や刀の鞘になったと理解できます。「さなええ(早苗)」や「さおとめ(早乙女)」の「さ」も、小枝(さえだ)、小百合、小夜、沙織、さざ波、さ霧などと同様、小さいもの(から転じて未熟なもの、かわいいもの、清らかで穢れないものというニュアンスをふくむ接頭語)から来ています。まだ小さい幼い苗だから「さ苗」、田植えのために禊をして清らかで若々しい生命力に満ちた乙女だから「さ乙女」なのです。
(2)では、「笹」「さざ波」は、渡る風が鳴らすカサカサ、さわさわ、ざあざあという音、形状、現象からつけられたものです。日本語は極めて自然音への感度が高く、オノマトペ(擬音語)が豊かな言語なのです。
小竹(ささ)の葉はみ山もさやに乱(さや)げども吾は妹(いも)おもふ別れ来ぬれば
(柿本人麻呂 万葉集巻二 一三三)
この古い和歌は、「ささ(笹)」「さやに」「さやぐ」といった音韻と、下の句の「別れ」によって、「さ」なる音が古代人にとってどのような意味内容を持つものであったかを如実に示しています。
さらに(3)についてですが、「坂」「境」「裂く/割く」「柵」「遮(さえぎ)る」「離る」「さかふ(区切りをつけるという意味の古語)」などの言葉は、「サイ/サエの神」、つまり「賽神」と関係があります。しかし、賽神は山の神でも田の神でもありませんし、もちろん仮定された「サ神」でもありません。賽の神は、イザナギが黄泉の国との境界(サカイ)に投じた杖から生じた神(来名戸祖神 くなとのさえのかみ)で、この世とあの世、生と死、内と外とを区切るゲートキーパーであり、道を守り、導く(道引く)神。国土(久那土)と産土を守る守護神です。サルタヒコという名でも知られます。
「サ神」信仰説では、山の神を稲田へと迎える神事を「さおり(降り)」と言い、田植えが終わり山の神を山へ帰す神事を「さのぼり(上り)」と言う、と説明されます。
しかし、これも田植えを終えた後の村落行事の饗宴や、古くは行われた禊払行事「サナブリ」を、「サ・のぼり」であるとこじつけたものです。
サナブリとは「早苗・振り/振る舞い」で、山の霊力を帯びた早乙女が霊力を「振り」落とし俗世に戻ることから来ています。
「サオリ」という行事名も、民俗学文献では頻繁に見かけますが、そういう名前の田植え行事が実際にあるとは聞きません。宮城県や福島県など東北の一部地域に春の豊穣祈願の「ソオリ」「ソウリ」と呼ぶ民間行事があるのですが、これらの地域は白山権現信仰が篤く、山と清水の神であり竜神でもある白山権現=瀬織津姫(せおりつひめ)の「せおり」が転じたと考えるべきでしょう。
日本の民間習俗において、祖霊や山の神などの外界・異界の神を共同体の中へと導きいれるプロセスは几帳面な性質があり、外から迎えた神は、定めた日時とどまった後きちんと送るのがセットになっています。
正月のお供えやお炊き上げや鏡割り、お盆の迎え火、送り火の風習を想起すれば明らかです。「お山始め」「卯月八日」で天道花に乗せてわざわざ山から下ろして田に迎えた神を、田植えが終わったからとすぐさま山に帰してしまったら、再び迎えに行かねばなりませんが、そのような行事はありません。春に山から迎えた田の神は、実りをもたらした後に十日夜(とおかんや)などの秋に行われる祭りで送り返すのです。「サオリ・サナブリ」説はこの点で大きな瑕疵があります。
「さ月」の「さ」が「サ神」ではないとすると、ではどういう意味なのでしょうか。
陽気は高まり、鳥獣草木はざわざわと満ち溢れ、そこら中でカエルや虫、鳥の声がさわがしい。畑には畝が幾筋も立てられて細かく作付けされ、青田には、苗筋に沿ってさらさらと風が葉をなびかせる。さーさーと降りそぼる雨が雑木山をぬらし土にしみこむ。かたや人間は、昨冬の収穫の蓄えもとぼしくなってきて、かと言って今年の実りはまだまだ先。秋を待ち遠しく思いながら、ささやかにつつましく暮らさなければいけない。古い「さ」の意味から考えると、そんな季節を「さ月」と言いあらわしたのではないでしょうか。
(参考文献)
字統 白川静(平凡社)
花と日本人 和歌森太郎(草月出版)
宮城・福島両県における慣行田植法の地域性とその成立要因に関する研究
(農作業研究:日本農作業学会)
農と祭