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「七月在野、八月在宇、九月在戸。十月蟋蟀、入我牀下。」蟋蟀(コオロギまたはキリギリス)は、七月は野原に、八月は宇(う・軒)に、九月は戸口に、そして十月には我が牀(しょう・寝台のこと)下に入る、とコオロギが次第に野原から家へと侵入してくるさまを描写しています。旧暦九月は概ね現在の暦の十月中~下旬になりますので、まさにコオロギは戸口までせまってきます。これは、一歩一歩とやってくる冬の足音の象徴でもあるのです。
「七十二候鳥獣虫魚草木略解(春木煥光)」では、
蟋蟀は和名鈔にこほろぎ或ははたおりめ又きりきりすと云 今はいとどと云 キリギリスと呼ぶ国もあり 又コホロギと云蟲は別に一種あり きりきりすのことに非ず
とややわかりにくい説明をしています。ハタオリメは今で言うキリギリス、そしてイトドというのはカマドウマのことですが、かつてはコオロギやキリギリス類もそう呼ぶ地域もありました。続けて同書では、
蟋蟀ハ庭間瓦石の下に徴し 土を凹め其中に住す 長さ六七分(2cm前後) 潤さ三四分 (中略 ) 身うら油色 雄は背に薄き翅あり (中略) つづれさせと云ふ如くきこゆるなり
と記され、蟋蟀が今で言うコオロギのことであると言っていることがはっきりとわかります。
ただ、コオロギと一言で言ってもさまざまな種類があります。民家の土間などの暖かい場所を好むカマドコオロギ、畑や草地などの環境を好むミツカドコオロギ、同じく人家付近より戸外に暮らし、横から見たとき面をかぶっているようにも見える独特の風貌のオカメコオロギ。現代の私たちがまず思い浮かぶのはコオロギの仲間の国内最大種エンマコオロギ(閻魔蟋蟀 Teleogryllus emma)ではないでしょうか。しかし、江戸時代に単に「コオロギ」と一般名で呼ぶ場合、それはツヅレサセコオロギ(綴刺蟋蟀 Velarifictorus micado)を指しました。庭石の底面を浅く掘ってそのくぼみに暮らす習性も、「七十二候鳥獣虫魚草木略解」の記述そのままです。また、エンマコオロギの音色よりも細く高い、「リッリッリッ・・・」というやや哀愁を帯びた鳴き声を「つづれさせ つづれさせ」と聴きなしていた、ということも、記述からわかります。
「つづれさせ」は「綴れ刺せ」で、「綴れ」とは破れをつぎ、はぎ合わせた庶民のぼろぼろの着物のことで、つづれごろもとも言います。江戸時代に限らず、昭和の中期くらいまでは、子供たちも母親が破れた箇所につぎあてをしてくれた服を着て遊びまわっていました。
秋の夜、コオロギが土間や縁の下で「肩刺せ 袖刺せ 綴れ刺せ」と、ほころびをしっかりついで寒い冬に備えるよう促しているのだ、と囲炉裏端で聞きなしていたのです。貧しくわびしい情景でありながら、昔の農民、庶民たちの暖かく豊かな精神性を感じさせてくれます。
「千蟲譜 」(栗本丹洲・1811年)第三巻の蟋蟀の項目では、見開きページで蟋蟀の詳細な説明の挿絵としてツヅレサセコオロギを、万葉集の
夕月夜 心もしのに白露の 置くこの庭に蟋蟀鳴くも (湯原王 巻八 1552)
の和歌の紹介部分にカマドコオロギの絵を載せ、それに加えてコロギスとエンマコオロギ(ヱンマコホロギ)の絵も別に載せています。面白いのは、コロギスについて、
此虫名不知 形コウロギノ如ク 下品ナル状ナリ 髯長サ三四寸許 啼ク声ヲ不聴
と、江戸時代にはコロギスは正体不明の虫で、名もついていなかったらしいことがわかります。コオロギの仲間の幾種類かも、はっきり種が分けられていなかったものと思われます。
秋になると、戸外の物音がなぜかよく響くように感じませんか?遠くで遊ぶ子供の声が、高い天蓋に反響するかのように不思議とはっきりと聞こえてくると、ああ秋が深まったなあとしみじみとします。私たち人間の聴覚を担う「耳」は、そのように繊細な音の聞き分けが可能な優れた感覚器ですが、実は昆虫にも耳はあります。それはそうですよね。コオロギやキリギリス、セミなどの音を奏でる昆虫は、その音で求愛や威嚇、テリトリーの宣言をしているのですから、聞き取る耳がなければ意味がありません。当たり前のことのようですが、実は節足動物のほとんどは耳(聴覚)はなく、たとえばクモやエビなどにも耳はありません(敏感な繊毛でわずかな音周波の変化を感知することは出来ます)。昆虫は、節足動物の中でも耳を獲得進化させた特殊な種族なのです。
では昆虫の耳はどこにあるのでしょうか。
私たち人間の属する脊椎動物では、耳と言うのは顔の両サイドにあるもの、とデザインが決まっています(例外的には魚の場合は骨格内の内耳と、鰓から尻尾にかけての腹部の側線に聴覚機能があります)。脊椎動物では、耳の進化発生は共有されたもの(単一系統)だからです。
ところが昆虫は、現生の昆虫の新翅下綱(しんしかこう)のみでも、12種類の別箇の進化系統が知られていて、それぞれで耳の位置も形態・機能も異なるのです。蛾の一種・ヤガの耳は羽の付け根、同じ蛾でもスズメガは口の付け根に耳があります。カマキリは胸部に、ハンミョウはお腹の付け根に、といった具合。コオロギ・バッタと並んで鳴く虫の代表、セミはどうでしょうか。ファーブル昆虫記で知られるアンリ・ファーブルが、かつて大砲がなってもセミが反応しなかったことから、「セミには耳がない」と提唱したことがありますが、もちろんセミにも耳はあります。位置は後ろ足の付け根の腹弁付近、あの大音量を発生させる発生器のすぐそば。自分の出す音で鼓膜が破れないの?と心配になりますね。
そして同じバッタの仲間で鳴く虫のライバル、コオロギとキリギリスは、三億年前にはそれぞれ既に耳を獲得していましたが、その耳の位置は異なり、キリギリスはバッタ類と同じく後肢付け根に耳があり、対してコオロギでは前肢の脛節に耳が形成されます。コオロギ類とキリギリス類の発声器は、鑢状器(ろじょうき)、絃部(げんぶ)、鏡膜(きょうまく)の3つのパーツから構成されています。バイオリンにたとえれば、鑢状器は弓、絃部は弦、鏡膜は共鳴室にあたります。スズムシやマツムシ、カンタンなども含むコオロギ類ではこれらが左右両方の前翅にあり、上側の前羽の裏側で下側の前羽の表側をこすりあわせることによって音がでます。鳴く時は羽を立て、腹部の背面と羽との間に大きな空間を作って共鳴器にします。
キリギリス類では鑢状器が左前翅、絃部と鏡膜が右前翅に分かれていて、上側の前翅の裏にある鑢状器を、下側の前翅の表面にある絃部とこすりあわせて絃部と同じ面にある鏡膜に共鳴させて音を出すため、やや窮屈な奏で方になります。
音楽器としての機械的な完成度だけを見れば、コオロギ類のほうにやや分があるようです。コオロギ、スズムシ、マツムシ、アオマツムシなど、澄んだ「美声」の持ち主にコオロギ類が多く、キリギリス類はウマオイ、クツワムシ、キリギリス、ヤブキリなど、ややにごった音を奏でる種類が多いことからもわかりますが、キリギリス類の独特の味のある鳴き声も、印象的ですし、ルックスで言うとすらっとしたキリギリスはかっこよく、ころっとしたコオロギはやや見栄えで劣るところから、オペラ歌手=コオロギ、ブルース・ロック歌手=キリギリス、といったところでしょうか。
コオロギの鳴音には、種の識別、同種異性への求愛誘引、同種個体間での威嚇や闘争など多様な使い分けが知られています。そしてそればかりではなく、ときに戯れのように意味もなく、人間でいう鼻歌のような鳴き方もするんだとか。かわいいですよね。キリギリス類には、そのような多様な鳴き分けはない、と言われていましたが、近年ではキリギリス類にもさまざまな鳴き分けがあることが徐々にわかってきました。負けていませんね。
彼らには、美しい音を奏でる能力とともに、さまざまな音を聞き分ける高い聴力があることもわかっています。戸口や庭で、「この家の人間の怒鳴り声はやばい」「この人間はやさしい声で好き」などと、もしかしたらあちらもこちらの声を聞いて、色々なことを感じているかもしれません。
千蟲譜3巻