- 週間ランキング
1809年9月23日、英国人のフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが、軸の中にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許を取得。当時はペンの軸にバルブをつけ、それを開閉することでペン先にインクを送る仕組みだったといわれています。これが万年筆の起源とされ、9月23日は万年筆の日となりました。
同じく1809年に英国人のジョセフ・ブラマーも、ペンの中にインクを入れ、軸を押すことでペン先からインクを出す仕組みを考案します。このときは“泉のよう”にインクが出るということから、「泉のペン(fountain pen)」と名づけられたといいます。それにしても“泉のよう”にとは、どれぼとの量のインクが出たのか気になりますね。
それまでインク壺にペン先を浸して書いていた当時の人々にとって、ペンの内部にインクを内蔵する仕組みは画期的な発明だったようです。しかし、インク漏れなど解決しなければならない問題も多々あったようです。
これらの問題を解決したのが、米国人のルイス・エドソン・ウォーターマンです。
このウォーターマンは保険のセールスマンだったのですが、契約書を交わす際に書類をインクで汚したしまったために顧客を失った経験を持ちます。この時の経験をもとにウォーターマンは、軸の中にインクを貯蔵できる筆記具が開発されてから75年後の1884年、“毛細管現象”(内側の液体が管の中を上昇または下降する物理現象)を利用して、ペン先にインクを送る仕組みを発明します。
この仕組みは今日の万年筆にも用いられており、ウォーターマンは「近代万年筆の父」とも呼ばれています。
日本で初めて万年筆を販売したのは、「丸善」と「伊藤古一堂」であることが現在定説とされていますが、「丸善」と「伊藤古一堂」は店頭で万年筆を販売する筆記具店でしたが、両者はどこから万年筆を仕入れたのでしょうか。
このとき万年筆が輸入されたのは開港(1859年)間もない貿易港・横浜であり、貿易業者・バンダイン商会が1884年に米国製「カウス・スタイログラフィックペン」を輸入したことがわかっています。しかし、実際のところは今日の万年筆の仕様とは大きく異なり、万年筆の前身といわれる筆記具だったようです。
また「万年筆」という名称は、1885年に「丸善」のチラシに登場したのが初めとされていますが、万年筆の名づけ親については次の2説がいまに伝わっています。
【一説】国産の万年筆を作った時計商・大野徳三郎が「万年筆」と名づけたことが、1905年10月の東京横浜新聞で報じられている……
【一説】一方で、明治の評論家兼文学者の内田魯庵が、懇意にしていた筆記具販売員の「万吉」さんの名前と、インクを補充さえすれば千年、万年かける筆であるから「万年筆」と名づけた……
いずれにしても、墨(すみ)や硯(すずり)を用意しなくても、いつまでも書き続けられる、そんな夢のようなペンに対する思いが込められていたのかもしれません。ちなみに、明治時代も末ころまでは「萬年筆」と書いて「まんねんふで」と読んだともいわれています。
0.1mmや0.3mmなどの極細ペン先のペンが安価で購入できるようになったほか、最近はボールペンで書いた文字が自由に消せる、流れるような書き味、再生樹脂で製作されたエコロジー・ボールペン、持ち手にフイットする形状など、筆記具の進化が止まりません。こうした点からも、通常のペンであれば購入したて(新しければ新しいほど)書きやすいと感じる人が多いようです。
逆に、万年筆の大きな魅力のひとつに、書けば書くほど書きやすくなるという点があります。
その理由として考えられるのが、ペン先です。万年筆のペン先の先端には硬い合金がついていて、これが紙の上をなめらかにすべることで字を書くことができます。このペン先を日々使い続けることで合金部分に磨きがかかり、持ち主のペンを握る角度や筆圧、書き方のくせなどになじんでいくのです。
万年筆愛用者の中には、その書き味の変化で自分の万年筆を誰かほかの人が使ったことが分かる、という人もいるほどですので、それほどに繊細に、万年筆は持ち主仕様にカスタマイズされていくということなのでしょう。