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蓄積した夏の疲れもあるのか、この時季は日常の用事も日中がはかどらないもの。思いつくこともなく、夏の疲れがでたのか、なんとなくけだるい……そんな心情を詠んだユーモラスな句が、
〈詩嚢(しのう)渇れ冷蔵庫など開けて見る〉榊原石浦
「詩嚢」は詩の新しい着想のことをいいます。それが渇れてしまって、なんとなく冷蔵庫を開けてみるのですが、新しいアイディアなど入っているわけもありません。
日が陰る夕方になると、ちょっとホッとします。
近所を散歩したら、なでしこが咲いているのに気がつきました。なでしこは昔から夏・秋のどちらに入れるべきか、という議論がさかんな季語です。
〈撫子(なでしこ)やそのかしこきに美しき〉広瀬惟然
〈なでしこの節々にさす夕日かな〉夏目成美
一方、晩夏に咲く花の中で、夕顔には「源氏物語」の影響もあるのか、どことなくはかないイメージがあります。
〈淋しくもまた夕顔のさかりかな〉夏目漱石
〈夕顔に言葉のはしをききもらし〉稲垣きくの
〈夕顔や病後の顔の幼(おさな)ぶり〉富田木歩
「晩夏光」は夏のさかりに比べて衰えが感じられる光のことです。
〈遠くにて水の輝く晩夏かな〉高柳重信
〈晩夏光タウンページに探しもの〉内田美紗
〈海暮るる岬に哀愁アロハシャツ〉秋沢猛
こんな不思議な、見えないものを見ているような歌もあります。
〈晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて〉葛原妙子
「夜の秋」という季語は、夏の季語です。昼間はまだまだ暑いけど、夜などに秋のような空気を感じる、そんな時間を表現した季語です。
〈涼しさの肌に手を置き夜の秋〉高浜虚子
〈海わたる魂ひとつ夜の秋〉桂信子
〈読みかけの書ばかり読んで夜の秋〉石川桂郎
この「書」は本のことです。本を読んでみようとはするけど、まだじっくりと一冊読むというのではない、という感じでしょうか。季節の移り変わりに感じる気分なのかもしれません。
次の句の夏と文庫本というのはどういうわけか、よく詠われる組み合わせです。
〈晩夏晩年角川文庫蝿叩き〉坪内稔典
そして秋が来ます。次の歌がなんといっても有名でしょう。「おどろかれぬる」は、「はっと気づいた」という意味。「風の音」は、実際の音でもあり、微妙な空気の変化、というふうに解釈もできるでしょう。
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉藤原敏行
初秋の歌で明治時代に詠まれたこんな歌もあります。
〈馬追(うまおひ)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし〉長塚節
「馬追」はいわゆるスイッチョンのこと、「そよろに」はおもむろに、の意味です。ミニマルな空気の震え(のようなもの)が感じられて、すばらしい歌です。
〈ぶりきの蝉へこへこと秋立ちにけり〉高橋睦郎
「ぶりきの蝉」が「へこへこと」という言葉が帯びる、なんともいえず脱力した感じが、夏を通り過ぎたのちの秋を感じさせます。夏の終わりから秋にかけて、台風がやってきます。季語では〈野分〉と言います。
〈大いなるものが過ぎ行く野分かな〉高浜虚子
風とともに季節も言葉もめぐっていくかのようです。